SSブログ

2005年10月12日 [バルジの戦い]

今日は、バルジの戦い(戦史)についての話を少し。

ゼップ・ディートリヒ率いる第6装甲軍の攻勢初日における攻撃は、
当初予定していたようには成功しませんでした。その大きな理由の
ひとつは、彼が第一撃に戦車を投入せず、歩兵(国民擲弾兵)で
戦線に穴を開けてから、戦車を投入しようと考えていたためです。

この「第一撃は戦車ではなく歩兵で」という方策を、ドイツ軍は
かつて重要な戦いで試み、失敗したことがあります。
時は、1943年7月、場所はクルスク突出部の北側面。
当時、第9軍の司令官だったヴァルター・モーデルは、
第一撃に戦車を投入せずに攻勢を開始し、後続の戦車を逐次投入
したものの、わずか15キロほど前進しただけで頓挫させられました。
一方、突出部南側面の部隊を率いるマンシュタインとホトは、
戦車を積極的に第一撃に投入した攻勢を実施し、25キロほどの
前進を行いましたが、ソ連軍の2個戦車軍による反撃を受け
(北では1個戦車軍)、熾烈な戦車戦を繰り広げた末に、
やはり停止を余儀なくされました。

それぞれの戦力比も兵力規模も戦場の環境もすべて違うので
単純な比較はできませんが、しかしバルジにおけるディートリヒ
の上官に当たるB軍集団司令官が、他でもないモーデル元帥
だというのは、単なる偶然でしょうか? フォン・マントイフェルは
モーデルを「攻撃よりは防御の人」と評していますが、彼は
ルジェフやクルスク以後の後退戦、末期の西部戦線など
防御戦や退却戦では卓越した手腕を発揮した反面、戦車を
用いた攻勢で成功したという経歴は皆無に近いようです。

ドイツ軍のアルデンヌ攻勢が失敗した背景には、補給物資の輸送
手段の不足など、さまざまな理由があったようですが、
もしB軍集団と第6装甲軍の司令官がそれぞれバルクと
フォン・メレンティンだったら、と考えながら、第6装甲軍のSS装甲師団
をゲームで第一撃に投入してみるのも、一興ではないでしょうか。


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