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2006年1月9日 [クルスク大戦車戦]

「クルスク大戦車戦」リプレイ記事用の5月シナリオ対戦(簡略版ルール)
第二回が、本日無事に終了しました。先にお知らせしていましたとおり、
今回はドイツ軍がリゴフを合流点とする小規模包囲を行った後、クルスク
に向けて西から進撃するという「小解決案(バスチオン作戦)」を採用して
プレイで検証してみました。下は、第3ターン終了時の地図上の戦況です。

史実よりソ連軍の防備の弱い箇所に攻撃を集中しているので、序盤は
ドイツ軍に有利な形で戦局が推移しました。しかし、中盤から戦線に到着
した大量の戦車軍団が大挙して反撃に転じると、中央部のドイツ軍も
苦戦を強いられ、あちこちで熾烈な戦車戦が繰り広げられました。

結局、全第9ターンを完了した時点でも地図上の情勢だけでは勝敗を
判定できず、勝利ポイントの計算を行って初めて決着がつくほどの接戦
となりました。1943年5月のドイツ軍攻勢というシチュエーションでしたが、
プレイしてみると独ソ戦後半戦におけるドイツ軍司令官の重圧をひしひし
と体感できた気がします。本来、ゲームのプレイというのは楽しいもの
ですが、途中で何度か、対戦を投げ出して逃げたくなりました。いくら
損害を与えても、次から次へと登場する新手の戦車軍団。1点また1点と
ステップロスで兵力をすり減らしてゆく前線の師団群。果たして、ソ連軍
の反攻が停止することはあるのか? このシナリオでのドイツ軍は、
装甲部隊を先頭に立てて赤軍の戦線を迅速に突破してゆく戦争前半の
電撃戦と、崩壊の瀬戸際で戦線を維持してゆく戦争後半の機動防御を、
両方ともたっぷりと味わうことができます。リプレイ記事用の詳細な記録
をとりながらプレイして、朝9時から夜8時まで(途中1時間の昼食休憩
あり)でしたので、慣れたプレイヤーが(記録もとらずに)プレイすれば
6~8時間で最終ターンまで終わるはずです。簡略版ルールと言っても、
骨格はすべてゴールドバーグ氏の手によるルールを使用しているので、
ゲーム全体の作戦や戦略はほとんどオリジナル版と同じになります。


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中モルトケ

43年5月の仮想クルスク戦というのは、単純に「ソ連の防備が7月より弱い」というだけの仮想シナリオかと思ってましたが、意外と興味深いシチュエーションなのですね。前半の電撃戦と後半の機動防御が同時に楽しめる? ある意味、贅沢な設定ですね。そのくらいの魅力がないと、仮想設定としても魅力がないのでしょう。この「バスチオン作戦」を実行して成功していたら、その後の歴史はどう変わったでしょうか。
by 中モルトケ (2006-01-14 12:23) 

Mas-Yamazaki

こんにちは。1943年5月にドイツ軍がクルスクで攻勢を開始していたら、東部戦線の戦いがどう変わっていたか、というのは興味深い問題ですが、答えを出すのはけっこう難しいです。もし、ソ連軍の後方予備に大損害を与え、ドイツ側は兵力の損失を最低限に抑えることができれば、仮にオリョールを失っても、敵の南方での大攻勢開始を遅らせる、またはその速度を低下させることができた可能性があります。その意味で、クルスクでのドイツ軍の攻勢は「無意味」ではなかったと思いますが、41年のタイフーン作戦や42年のブラウ作戦のような、ソ連を崩壊に追い込むことができるかもしれない、という希望が(わずかとはいえ)含まれた攻勢とは違うものだったと思います。

43年夏には、もはやドイツ軍の「勝利」は事実上なくなっていたわけで、あとは「引き分け(=講和)」に持ち込むか、東部での戦線後退を遅らせてベルリン占領を西側に委ねるのを目指すしかないわけですが、これはいずれも後世の視点で見た「最善手」であって、43年当時のドイツ軍高官がこのような提言をしていれば即刻首が飛んだでしょう。ただ、このゲームではクルスク南北のドイツ軍を一人のプレイヤーが指揮することで、手持ち兵力を史実より効果的に活用できるようになるので、史実でマンシュタインが「東部戦線総司令部(OB Ost)を創設してほしい(そして自分を司令官に任命して欲しい)」と提言した気持ちがよくわかります。
by Mas-Yamazaki (2006-01-16 21:42) 

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