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2007年2月19日 [マザーランド]

昨日の日曜日、森之宮のミドルアース例会場で、出口さん、石田
さんと「リプレイ記事用マザーランド対戦」後編を行いました。
詳しいプレイ内容は、リプレイ記事で書きますが、対戦の結果は
ソ連政府が1942年7月に降伏して、出口ドイツ軍の決定的勝利と
なりました。下は、ソ連降伏時の地図上の戦況です。


北方戦域。冬季反攻で部隊を浪費したのが裏目に出て、レニング
ラードを完全包囲後に攻城砲つきの総攻撃で陥落させられました。


中央戦域。モスクワをなんとか守るべく必死で努力したものの、
兵力面でドイツ軍の優位を崩すことができず、後手後手の展開に。


南方戦域。バクー油田からアストラハンに通じる石油輸送路を
4ヶ所で破壊され、遂にソ連政府は降伏を決意。セヴァストポリも
陥落していたため、降伏修正が「サイの目+3」で出た目は「4」。

前回の記事でも書きましたか、ドイツ軍はやはり兵力温存とソ連軍
の部隊撃破を優先する戦略で、最初の冬にも全く揺らぐことなく、
当初の方針どおりに着実な攻撃を各地で展開しました。一方、私は
といえば、前半終了時のドイツ軍の進撃スピードが史実より遅かった
こともあり、情勢を楽観視し過ぎて冬季反攻で部隊を消耗しすぎ、
史実のスターリンが犯した過ちをより大規模な形で繰り返す結果と
なってしまいました。ただ、負けたとはいえ、最後の数ターンはソ連
軍プレイヤーとしての焦燥感・心理的圧迫感を痛感しつつ、デザイ
ナーとしては「(太平洋艦隊のデザイナー佐藤弘明氏流に言えば)
自分の仕事がそれなりに成功した」という妙な充実感を味わって
いました。ソ連軍の負け方・ドイツ軍の勝ち方が、「史実で起こりえた
可能性」の範疇に充分入っているように思われたからです。

モスクワやレニングラードなどの都市をいつ占領するかという時期
はさほど重視せず、とにかく前線のソ連軍部隊を壊滅させて「ソ連
の軍事力」を無力化すれば、実質的に戦争の行方は決するので、
都市の占領順序はそれから考えても充分間に合うという考え方は、
実は史実のドイツ軍首脳部における対ソ侵攻計画の立案初期段階
における共通認識であり、モスクワか、キエフかという有名な優先順
位をめぐる議論は「前線のソ連軍部隊を壊滅させることに失敗した」
ために生まれたものでした。今回の対戦で出口さんがとった戦略は、
進撃スピードで史実より遅れても、より多くのソ連軍部隊を確実に
壊滅させるというもので、その戦略にまんまと乗せられた私は、前進
防御と冒険的な冬季反攻で必要以上に部隊を浪費し、遂にはソ連
の全面降伏という最悪の結末を迎えることになってしまいました。
もし私が相手の戦略をもう少し早く掴んで、兵力温存策に切り換えて
いたなら、最初の冬以降の展開もだいぶ違ったものになっていたか
もしれません。ともかく、最初から最後までブレることなく一貫した
戦略を実行し、ほぼ完璧な勝利を収めた出口さんには最大限の敬意
を表したいと思います(彼が「鉄人」と呼ばれる理由が理解できました)。

対戦後、出口さんと石田さんと3人で居酒屋に行き、今回の対戦内容
についていろいろ意見交換しましたが、私もマザーランドとパウルスに
関してはそれなりに持論を持っているので、出口戦略を研究してから、
年内にもう一度私がソ連軍を担当して再戦したいとお願いし、出口さん
にも快諾していただきました。そして、来月のミドルアース例会では、
この3人で「パウルス第6軍」を対戦することで合意しました(私がドイツ
軍、石田さんと出口さんがソ連軍)。次回は、油断せずにソ連軍の攻勢
から第6軍を生還させ、今回の雪辱を晴らしたいところです。

森之宮の居酒屋会談ではそのほか、「モスクワ攻防戦」のプレイテスト
に出口さんも加わってもらえるという(私にとっての)大収穫もありました。
モスクワ以外にも、新作ゲームのアイデアや要望などを両氏から聞くこ
とができましたが、この辺りの話題は日を改めて触れたいと思います。


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