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2009年8月10日 [その他(テレビ番組紹介)]

昨日の午後9時からNHKで放映されていた、NHKスペシャル「日本海軍 400時間の証言」第一回を、先ほど鑑賞しました(今回はちゃんと録画できました)。

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(画像はNHKホームページより)

ご覧になった方も多いかと思いますが、この番組は海軍の将官や佐官が昭和末期から平成初期にかけて、原宿に集まって完全非公開で行った「反省会」つまり意見交換会の録音テープを基に、戦前から戦中にかけての海軍上層部に蔓延していた「空気」や、史実のような状況および結果を招いた原因や構造についての当事者による分析などを探ろうという、全三回シリーズの第一回です。今日と明日に、第二回と第三回が放送される予定です。

「あの戦争と同じ失敗を繰り返さないため」と言いながら、交わされた意見の内容を非公開にしていたというのは、一見すると矛盾しているようにも思えますが、私は結果的にそのような完全非公開の形で会合を継続したのは正解だったと思います。もしこの内容の一部でも外部に漏れていたら、特定の政治的イデオロギーに固執する方々(R・Lを問わず)が、自分に都合のいいように我田引水したり、あるいは感情的な罵倒を浴びせたりして、参加者の身の安全が保障できなくなり、会合が11年も続くことはなかったと思われるからです。

計400時間にもおよぶ録音テープのうち、番組で紹介されるのは当然のことながらごく一部に過ぎません(番組にも登場された戸高一成氏の編集で同テーマの書籍も出たようなので、仕事が一段落したら読む予定)が、皇族(昭和天皇にあらず)の海軍軍令部への影響力など、今まで正面から触れられることが少なかったと思われる要素も多く、非常に見応えのある内容だったと思います。

皇族のバックを得て大蔵省からの予算獲得も容易に行えるようになり、莫大な予算をつぎ込んで欲しい兵器をどんどん揃えて「世界に自慢できる立派な艦隊」を作り上げたはいいが、いざ日本と外国との関係が緊張状態となった時、戦争をできるかと問われて今さら「態勢が整っていないのでできません」と答えられるはずもなく、また「海軍が弱点を認めれば陸軍や右翼にそこを突かれて国内での戦いに負けるのではないか」との恐れから、戦争遂行以外の選択肢を失ったというのは、どう考えても「軍事的合理性」とは無縁の判断としか言いようがありません。

そして、陸軍でも同様に「中国から今さら撤退すれば、今までの戦死者数を考えれば陸軍の威信と面子が丸潰れになり、また陸軍が弱点を認めれば海軍や右翼にそこを突かれて国内での戦いに負けるのではないか」との恐れから、同様に戦争遂行以外の選択肢を失ったとするなら、当時の日本が戦争回避(およびいったん始まった戦争の自律的な停止)という選択を下すことは事実上不可能だったという結論になります。

「戦争は二度と繰り返してはいけない」という言葉は、今では決り文句のように陳腐化してしまっているようですが、山本七平氏をはじめ多くの先人が指摘されたように、戦争を開始するという決定の背景にあるのが「軍事的論理」ではなく「面子と威信を優先する組織防衛の論理」にあるのならば、いくら軍備を縮小したり防衛予算を減らしたり軍隊を「自衛隊」と呼び変えたりしても、組織内部の価値判断基準を根本から改めない限り、戦争あるいはそれと同種の災厄は繰り返される可能性があり続けます。

最初はソファでリラックスしながら見始めたのですが、途中で姿勢を正さざるを得なくなり、最後は勝手に涙が溢れて、止まらなくなってしまいました。大理石が散りばめられた豪勢な建物の、ごく少数の人間しか上がることのできない立派な階段の上で、当時の海軍軍令部のエリートが長期的な見通しもないまま、戦争遂行の方策を場当たり的に決定していった過程は、過去に読んだいろいろな文献からも多少は読み取ることができました。しかし、書物の活字を通じて「たぶんこういう事情だったのではないか」と薄々考えていたことが、老いた当事者の肉声として拍子抜けするほど軽く裏付けられてしまうと、胸の底から込み上げてくるものを抑えきれなくなってしまいます。

平和な時代に気楽な生活を送る私には、この証言をした当事者の方々を今さら責めようという気持ちはまったくなく、ただ歴史が自らの重みで岩のように坂を転がり落ち、その途中でたくさんの人間を潰していく過程を思い、歴史から教訓を得て後世に活かすというような「誰もが当たり前だと思う発想」が、実はどれほど実現が難しいものかということを、改めて思い知らされた気がしました。もちろん、だからもうそのための無駄な努力はやめよう、などと短絡的な極論に一直線で走るつもりもありませんが。

シックス・アングルズ第13号の「第6の視角」では、今までとは違う視点で太平洋と東アジアの第二次世界大戦を「表現」するゲームのデザイン構想について少し触れましたが、この番組を見て改めて、私なりの「歴史認識の表現手法」の一つとして、このゲームを必ず完成させたいと強く思いました。幸い、出してくれるメーカーを探さなくても、自分のところで好きな部数だけ出版できるので、太平洋戦争に造詣の深い方々のご意見もうかがいながら、自分で納得のいくまでデザイン作業を続けるつもりです。
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戦史ファン

私もこの番組みていました。
最後の永野軍令部総長の話で海軍反省会の出席者が笑っていたのには、腹立たしい思いがこみ上げてきました。
軍令部の10人程のメンバーで、どれ程のひとが死んでいったのか、、
私の祖父も昭和19年フィリピン沖で、戦死した事もあり、とても悲しい思いがしました。
当時の状況を考えると現在も類似していることがある様におもいます。
日本政府、官僚の責任の所在、北朝鮮の恫喝外交等、、
この番組はとても興味深く今日もみるつもりです。
by 戦史ファン (2009-08-10 19:39) 

出戻り2008

私はライブで見ましたが、録画に失敗してしまいました。
参謀本部に関しては学生時代に調べた事があったのですが、軍令部に関しての知識はほとんどなかったので、この番組は私にとって非常に衝撃的でした。
学生の頃は、“特別な教育を受けた集団”による暴走行為という印象を持っていましたが、今回の番組を見て、軍令部の抱えていた問題が、自分の所属している会社組織の抱えている問題と重なりあってしまい(うちの会社も同じ事を〜無自覚に〜やってるなぁ、と)、その事に漠然とした恐怖を覚えました。
“私なりの「歴史認識の表現手法」の一つ”としてのゲーム、期待して、お待ち申し上げます。
by 出戻り2008 (2009-08-10 20:09) 

Mas-Yamazaki

戦史ファンさま、出戻り2008さま: コメントありがとうございます。私は仕事が忙しくて、第二回と第三回は、録画しただけでまだ観ていないのですが、私は今まで海軍の中枢にいた人の話を直接聞く機会がなかったので、実際に当時の海軍関係者がどんな考えを抱いていたのか、組織の内部ではどのような議論が交わされていたのか、といったことを、閉鎖された空間で安心して(ガードを緩めて)、それぞれの参加者が語っておられる、その「生の声」に、たいへん重いものを感じました。最後の方で現場の将校が軍令部の佐官に「あんたたちは本当に現場の状況を理解していたのか? 理解していたというが、そうじゃない、本当は理解していなかったんだろう?」と詰め寄る、あの切実な「声」は、今でも脳裏に焼き付いたままです。

第一回の内容と、第二回・第三回の予告を見た感じでは、今回の三回シリーズのテーマは「海軍軍令部の責任追及」であり、膨大な発言の中からこのテーマに合ったものを集めたような印象ですが、しかし「海軍反省会」の目的は海軍軍令部を槍玉に上げることではなく、もっと他にもいろいろな話題が出たはずなので、仕事が終わったら戸高さん編集の「海軍反省会」の書籍をじっくり読んでみようと思います。

第一回の最後、みんなが「ワハハハ」と笑っていたところは、私もショックでした。ただ、あそこにいた参加者はみんな、仲間や部下をたくさん失っている人たちですから、あの笑いは「他人事」のような無責任な笑いというよりは、すべてを承知して問題の所在も共有して理解し合っている仲間うちだからこその、自嘲交じりの「やりきれないという思いを込めた笑い」だったのではないか、と私は感じました(あくまで主観ですが)。怒りも憤りも通り越して、もう笑うしかない、というような境地だったのでは、と思うのですが、どうでしょう。

NHKの担当者が番組の中で語っていたように、当時の組織内部の問題点というのは、今でも官公庁や企業で当たり前のように繰り返されていると、私も思います。そのメカニズムを解析する試みは、山本七平氏をはじめ多くの先人によって行われていますが、そうした論理的な分析結果の蓄積が、なぜかまったく問題の改善に結びつくようには見えないというのが、我々の考えるべき一番の問題なのかもしれません。
by Mas-Yamazaki (2009-08-13 17:44) 

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