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2009年8月13日 [大東亜戦争]

新しい視点で作る、アジア・太平洋戦域の第二次世界大戦ゲームですが、本気で作る覚悟を決めたので、カテゴリを分けました。作りかけの企画だけが増えていくのは、よろしくない傾向ですが、それぞれ完成したゲームのイメージはかなりクリアに見えているので、時間はかかっても順番に仕上げていきたいと思います。

このゲームの勝利条件ルールに関して、日本側の視点については、第13号の「第6の視角」や本ブログ記事でも少し触れましたが、当然連合軍サイドについても、当時の価値判断基準を反映した勝利条件設定にする必要があります。日本軍の場合は「威信と面子」が勝利得点の主要な判断基準となりますが、アメリカ軍の場合は「人的損害の軽減」を、重要なポイントの1つに位置づけようと考えています。

一般的なシミュレーション・ゲームでは、部隊の降伏という現象は戦闘結果の「除去(Eliminated)」に含まれている場合が多く、プレイヤーが自ら地図上に存在する特定のユニットについて、自軍の手番中に「この部隊は降伏します」と宣言して、戦わずに地図上から取り除くようなゲームは見たことがありません(単に私の不勉強かもしれないので、もしご存知の方がおられましたら、ご教示ください)。しかし、私が作るつもりのゲームでは、連合軍が勝利得点の「損失を回避する」ために、自軍の管理フェイズか何かで「地図上の特定のユニットに関して、自発的に降伏を宣言できる」形にしようかと構想中です。

日本軍の場合は、包囲された要塞や孤立した島など、もはや逃げ道のなくなった守備隊は、連合軍戦闘フェイズに攻撃されて除去されれば勝利得点の対象外となりますが、日本軍戦闘フェイズに自ら攻撃を行って全滅すれば、攻撃実行による勝利得点を獲得できます。部隊の全滅による勝利得点の損失は、原則としてありません(多少の例外は必要になるかもしれません)。アッツ島における山崎保代大佐の最期の突撃や、硫黄島における栗林忠道中将の最期の突撃も、この方法ならば、当時の価値判断基準とほぼ同じ文脈で、自然に再現できる気がします。

アメリカ人デザイナーの作った太平洋戦争の陸戦ゲームを見ると、バンザイアタックというルールがしばしば見られますが、その内容は「攻撃側の損害が増大するリスクと引き換えに攻撃力が2倍になる」あるいは「有利な修正を受けられる」という、純粋に軍事的合理性に基づいてプレイヤーが自由に選択できる「攻撃の1バリエーション」として描かれているようです。しかし、実際に日本軍が絶望的な状況で行った、いわゆる「万歳突撃」は、軍事的合理性の判断ではなく、それとは全く別の次元の、自分および自分の所属部隊の名誉を守るための行動だったのではないかと、私は考えます。

このような価値判断基準とは対照的に、連合軍はシンガポールでもフィリピンのコレヒドール要塞でも、最後の一兵まで戦って全滅するとか、あるいは名誉を守るために軍事的合理性を無視した攻撃を仕掛けるといった行動はとらず、守備隊司令官に降伏を許可して、生き残った兵士を生き延びさせています。これは、連合国、とりわけアメリカ国内において、その作戦で兵士の生命がどれほど失われたかが重要な価値判断基準であったことの反映であったように思われます。

従って、連合軍の勝利得点は、米陸軍と米海軍のニ系統、場合によっては中国国民軍と英連邦軍を含めた四系統で、勝利得点の累計を行い、ゲーム中に被った人的損害(ユニットおよびステップの損失)に応じて、地理的条件に基づいて獲得した勝利得点が差し引かれるというルールにしようかと、考えを巡らせているところです。もちろん、中国国民軍については、日本ともアメリカとも全く異なる価値判断基準に基づくルールが必要になるかと思います。

連合軍プレイヤーは、次のターンにはシンガポールの守備隊が全滅すると確信したなら、自分のプレイヤー・ターンで「シンガポール守備隊を降伏させる」と宣言すれば、勝利得点の損失を回避できます。しかし、守備隊を降伏させずにそのまま残して、次のターンの日本軍戦闘フェイズで攻撃を受けて全滅したなら、一定数の勝利得点を失うことになります。早期に撤退すれば、地理的目標の損失によって敵に勝利得点を与えることになるので、連合軍はギリギリまで粘った後、日本軍にとどめを刺される前に(自発的に)降伏するという展開が、最も理想的となるわけです。

こうした価値判断基準を勝利条件に反映させれば、戦争後半の物量に依存した情け容赦のない攻勢も、無理なく再現できる気がします。要塞化された島の攻略は、最終的には海兵隊の白兵戦でしか成し遂げられないものですが、連合軍は上陸部隊の損害を可能な限り低く抑えるため、「鉄の暴風」のような艦砲射撃とロケット砲による上陸前の火力集中を実行して、要塞への打撃を試みることになります。

ゲームの最終ターンは、原爆投下とソ連参戦という、ゲームの中で変動させられないほど影響力が大きすぎる、二つの出来事が発生する直前の1945年7月とする予定で、原爆を投下するか否かという酷な判断を、プレイヤーに課すことはしません。しかし、上記したような価値判断基準に基づいて勝利得点ルールを作成すれば、その事実をどのように評価するかは別として、現代でも多くのアメリカ人が「原爆投下は(米兵の)人的損害を避けるために実施された合理的な判断だった」と信じている理由も、プレイヤーの心理に浮かび上がってくるのではないかと思います。

このゲームは、娯楽性を優先順位の下位に置くという基本的なコンセプトから考えて、万人に薦められるゲームにはなりそうにもありませんが(笑)、たくさんある太平洋戦争ゲームの中で、1つくらいは、このように視点の偏った(笑)ゲームがあってもいいのではないか、と思います。とりあえず、ロンメルさんの文庫本が仕上がったら(まだまだ苦戦中ですが、今回も良い本に仕上げられそうな手ごたえがあります)、じっくり取り組むつもりです。
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出戻り2008

ゲーム終盤、ゲームに勝つ為に玉砕突撃を迫られる・・・日本軍プレイヤーには(精神的に)きついゲームになりそうですね。通常のゲームと異なり、戦争の負の部分を追体験させられるゲーム。日本人でなくてはデザインできない(同人誌というフィールドならではの)ゲーム、期待致しております。
ロンメル元帥を山崎氏がどのように描き出すのか、非常に興味があり、発売日が待ち遠しいです。『独ソ戦史』の改訂版(詳解版)が西部戦線全史のボリュームで発売されたりすると、大変うれしいのですが・・・。

by 出戻り2008 (2009-08-13 21:53) 

Sgt_Sunders

日本軍の戦争指導に関する資料は比較的多く目にすることができるのですが、連合国の戦争指導(政治体制、世論、軍事機構、経済体制等)について国内では資料、書籍が不足しているように感じています。制作にあたってどのような資料をベースにされようしているのですか。大変興味があります。

チャーチル、トルーマン、マッカーサーの回顧録は有名ですが手軽なものではないし、著者によるバイアスが強いと云われます。

戦争指導体制の理解という観点から纏まったお勧めの物があれば(国内外問わず)何か紹介していただけると、このブログの読者からも思わぬ支援が得られるかもしれません。

どうぞよろしくお願いいたします。

by Sgt_Sunders (2009-08-14 01:56) 

Mas-Yamazaki

出戻り2008さま: コメントありがとうございます。本日の記事でも書きましたが、このゲームはご指摘のとおり、制作意図から必然的に「精神的につらいゲーム」になりますが、ただ「つらい」だけでなく、プレイした後に「つらかったけれど、やってみてよかった」「得るものがあった」と感じていただける内容に仕上げるのが目標です。実際にどこまでできるかわかりませんが、今後も作業は続けるつもりです。

あと、『独ソ戦史』の増補改訂版の話は、前回学研さんの文庫編集部で打ち合わせをした時にも少し出た話題で、もしかしたら実現するかもしれません。『西部戦線全史』を出した後では、文章と戦況図の両方で、さらに充実した東部戦線/独ソ戦の概説書があってもいいかと思いますし、もし学研さんからゴーサインが出たら、ぜひ全力で取り組みたいと思います。
by Mas-Yamazaki (2009-08-17 19:55) 

Mas-Yamazaki

Sgt_Sundersさま: コメントありがとうございます。第二次世界大戦のアジア・太平洋戦域における、連合国の戦争指導について論じた本は、日本語の新刊書ではほとんど見当たらないようですが、古い本はけっこう出ています。学研さんのムック『太平洋戦争』シリーズの記事執筆で使っている文献のうち、このテーマで参考文献に使えそうな日本語の本を書庫でざっと探してみましたが、以下のようなものがありました(すいません、あくまでご参考程度の不完全なリストです)。

《アメリカの戦争指導について》
◆谷茂樹『ローズヴェルト外交序説』文化書房博文社
◆ジェームズ・バーンズ(井上勇・伊藤拓一訳)『ローズベルトと第二次大戦〔上・下〕』時事通信社
◆ロバート・シャーウッド(村上光彦訳)『ルーズヴェルトとホプキンズ〔I・II〕』みすず書房
◆エドワード・ミラー(沢田博訳)『オレンジ計画』新潮社
◆毎日新聞社訳・編『太平洋戦争秘史 米戦時指導者の回想』毎日新聞社

《イギリスおよび連合国全体の戦争指導について》
◆A.J.P.テイラー(都築忠七訳)『イギリス現代史』みすず書房
◆アーサー・ブライアント(新庄宗雅訳)『参謀総長の日記』フジ出版社
◆新見政一『第二次世界大戦戦争指導史』原書房
◆赤木莞爾『第二次世界大戦の政治と戦略』慶應義塾大学出版会
◆芦田均『第二次世界大戦外交史』時事通信社

あと、マッカーサーの回想録ではなく伝記として
◆ウィリアム・マンチェスター(鈴木主税・高山圭訳)『ダグラス・マッカーサー〔上・下〕』河出書房新社
◆マイケル・シャラー(豊島哲)『マッカーサーの時代』
は、マッカーサーと彼を取り巻く当時の状況を知る上で参考になるかと思います。

チャーチルの回想は、入手が容易なのは短縮版ですが、『西部戦線全史』を書く時に毎日新聞社から昭和25年に出た全24巻のものと内容を一部比較したところ、省略した箇所で重要な日付が飛んだり話のつながりが変わったりしているところが見つかったので、今は24巻の方だけ、チャーチルは当時の事実をこう解釈しているという視点で参考にしています。まだ全巻を通しで読破していないのですが、非常に「読み物として出来のいい」本だと思います(チャーチルはこの著作で確かノーベル文学賞を受賞しました)。

偉そうに文献を並べていますが、私もまだまだ理解や認識の浅い、勉強中の身です。もし、読者の方で、何かこれ以外に良い文献をご存知でしたら、教えていただけると幸いです。よろしくお願いいたします。
by Mas-Yamazaki (2009-08-17 20:22) 

ぽんにゃん

>ゲームの最終ターンは、原爆投下とソ連参戦という、ゲームの中で変動させられないほど影響力が大きすぎる、二つの出来事が発生する直前の1945年7月とする予定で、原爆を投下するか否かという酷な判断を、プレイヤーに課すことはしません。

 お考えは理解できました。ただ可能ならば”本土決戦”もバリアントと言う形で結構ですから実現してはいただけないでしょうか?

>多くのアメリカ人が「原爆投下は(米兵の)人的損害を避けるために実施された合理的な判断だった」と信じている理由も、プレイヤーの心理に浮かび上がってくるのではないかと思います。

 おっしゃる目的のためには「米国は本土決戦でどれだけの犠牲を払うことになると考えていたか」を表現したシナリオをプレイするのがいいのではと思うのですが?
by ぽんにゃん (2009-08-20 09:50) 

Sgt_Sunders

山崎様、多数お教えいただきありがとうございました。
御礼申し上げます。
by Sgt_Sunders (2009-08-23 11:53) 

Mas-Yamazaki

ぽんにゃんさま、Sgt_Sundersさま: コメントならびにご提案ありがとうございます。

「本土決戦」については、私がこのゲームで意図してるコンセプト(当時の戦争指導者の価値判断基準をゲーム中の両軍の行動に反映させる)において、例えば沖縄戦などと同列に扱うのは難しい気がします。実際に戦いが起こらなかった島での戦いなら、サイパン島や沖縄などの経過からある程度類推可能ですが、日本の本土決戦については定量化の難しい不確定要素(日本国民の戦意や政界の動き、天皇の処遇など)があまりにも多すぎる(おそらく全体の九割くらいを「推測」で組み立てないといけない)ため、それ単独で正面から挑むくらいでないと、説得力のあるシミュレーションとして仕上げるのは難しい気がします。

「本土決戦を実際にやっていれば、ものすごい人的損害が出たはずだ」とアメリカ側が考えていたのはある程度事実(ただし原爆投下を正当化するために誇張されている部分も否定できないとは思います)だとしても、実際にどれだけの人的損害が出たのかという「数量的シミュレーション」は、私の考えているような帰納的(および類推に基づく)手法ではおそらく、前記した理由により、結果を出せないだろうと思います。

ということで、現時点では本土決戦という「難題」は敢えて除外した形で、ゲームのデザイン構想を進めようと考えています。ご了承いただければ幸いです。
by Mas-Yamazaki (2009-08-26 18:35) 

ひまわり

いつも拝見しています。このまえNHKで放送されていた「アッツ島玉砕」の番組を見ていた時にこのブログのエントリを思い出していました。「勝利」よりも「部下の人命」よりも「自分たちの面子と威信」にこだわる日本軍指導部という視点は本当に興味深いと思います。

戦後の日本社会もこの延長線上に乗っかっているのでしょう。利益のために社員が過労死するまで働かせる経営者も大本営参謀や大西と同じ種類の人間でしょう。

それと玉砕の美化や戦意高揚への利用という流れを見ると単に「戦争指導を失敗した」ことを誤魔化すために「美化」したという側面もあったのでは?

孤立した守備隊が補給も増援もない状況で全滅したというのはストレートに見ると「戦争指導の失敗」に他なりませんがそれだと指導部の責任が問われるので「補給も増援も求めず笑って悠久の大義に殉じた」みたいに「あれは彼らが自ら望んでやったことで軍指導部はそれを認めただけだから責任は無い」という風に話をすりかえているように感じました。つまり「美化」することで自分たちの失敗の責任をウヤムヤにしてしまおうというわけですね。

玉砕や特攻が何であったかという問題にはまだ全ての答えは出されていないと思います。書物とは違う形での「指導者目線の戦史研究」というこの「大東亜戦争」のデザインコンセプトは大変興味深いですし完成を楽しみにしています。
by ひまわり (2010-08-16 20:19) 

Mas-Yamazaki

ひまわりさま: コメントありがとうございます。NHKのアッツ島の番組は、私も妻と観ていました。生き残った元兵士の方が、今でも「生き延びたことで自分は恥を晒している」と言われているのを観るのは、本当につらかったです。

ムックの『太平洋戦争』8巻の記事でも少し書きましたが、生き延びるという行為を恥または罪だと信じさせ、その選択肢を一方的に奪い取った、当時の日本の価値判断基準というのは、その人の内面からいつまでも払拭できないという意味では、直接的な殺害命令を下すことよりも、深刻な後遺症を残している気がします。

玉砕や特攻を当時の戦争指導部が「美化」した理由について、「戦争指導を失敗したことを誤魔化すため」というのは、鋭いご指摘だと思います。また、目的との対比で、人命の損失を評価する基準も、当時はもちろん、今でも日本と欧米のキリスト教国では異なっていると、私も感じることがあります。

構想中の『大東亜戦争(仮)』は、そういった面を含めた当時の戦争指導部の「(好んで正視はしたくないような)内面」を、ゲームの合理的システムに置き換える形で抉り出そうという試みですが、頭の中にある完成品のイメージも、少しずつではありますが具体的な形が見えつつあります。完成がいつになるかは、現時点ではお知らせできませんが、気長にお待ちいただければ幸いです。
by Mas-Yamazaki (2010-08-20 00:09) 

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