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2012年2月29日 [その他(映画紹介)]

今回は久しぶりに、最近観た映画2本について書きます。

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1本目は、エリック・ゲレ監督『放射性廃棄物 〜終わらない悪夢〜』。福島事故から2年前の2009年にフランスで制作された作品で、原発の放射性廃棄物の行方と将来の保管に関する問題を正面から取り扱ったドキュメンタリーです(少し前にNHK-BSで放送されていたらしい)。

多くの日本人が理解している通り、原子力発電所は運転に伴って様々な放射性廃棄物を生み出します。その廃棄物は、数十万年という単位での安定した保管が必要な危険物でもありますが、今までそれがどのように扱われてきたか、事故により放射能汚染が発生した場所でどんなことが起こっているのか、そして将来そのような技術を人類が確立できる可能性はあるのか、といった問題を、フランスの科学調査機関クリラッド(CRIIRAD)の調査結果を交えながら、淡々とした取材で描き出しています。

この映画で非常に重要な役割を果たしているクリラッドとは「放射能に関する調査および情報提供の独立委員会(Commission de Recherche et d’Information Indépendantes sur la Radioactivité)」の略で、1986年4月のチェルノブイリ原発事故の際にフランスの公的機関が放射能汚染の情報を国民に正しく公表しなかったことから設立されたNGO/NPOです。

CRIIRADとは? (クリラッド自身が作成、サイトで公開している日本語の説明・PDF)

クリラッドの科学者は、旧ソ連(現在のロシア)奥地の小さな村にも調査に向かい、1957年に発生した「ウラルの核惨事」の後遺症にも光を当てています。「ウラルの核惨事」とは、ソ連の核兵器製造工場が操業していたウラル山脈のチェリャビンスクで、放射性物質を含む廃液タンクが水素爆発を起こし、大勢のソ連市民を死傷させた大事故ですが、現在もなお全容が解明されておらず、放射能汚染による人的被害についても定まった評価はいまだなされていないようです。

この事故を起こした「マヤーク核施設」は、テチャ川という小さな川の上流にありますが、その川の流域では土壌がセシウム137やストロンチウム90で汚染されており、国の保険機関が水や牛乳、住民の健康などを調査しているものの、その結果は住民には一切知らされていないと映画は述べています。「水素爆発」「セシウム137」「ストロンチウム90」などの固有名詞が何を意味するのか、今では我々日本人も一定の知識を持っていますが、ある村の住民は諦めたように映画の取材チームの質問に答えています。

「私たちはモルモットみたいだ。(調査のために)わざとここで生活させられているんだろう」

放射性廃棄物が生み出されるのは、原子力の平和利用と呼ばれる原子力発電所だけでなく、原子力の軍事利用、すなわち核爆弾の製造過程でも同じです。長崎に投下されたプルトニウム型原爆が製造された米ワシントン州ハンフォードでは、核兵器工場だった頃に生まれた廃棄物が地下に貯蔵されていますが、1980年代にそれらのタンクから廃液が地下に漏れ出していることが確認されました。しかし、もはやタンクの穴を塞ぐ術はなく、クリラッドの調査によれば、地下水や近隣を流れるコロンビア川がストロンチウム90などの放射性物質で汚染されているとのことです。

たった40年ほどで穴が空くようなタンクしか作れなかった1940年代と比較すれば、70年後の人類は放射性廃棄物の密封と安定的保管の技術において、少しは進歩しているはずです。しかし、西暦で元年から2012年の間に、世界でどれほどの歴史的変動が存在したかを考えれば、数千年、数万年、数十万年という単位で放射性廃棄物を完璧に保管する技術を我々が既に持っているかどうか、答えは明白だと思います。

この映画の最後で、フランス原子力・代替エネルギー庁長官のベルナール・ビゴ(Bernard Bigot)氏が登場し、「放射性廃棄物を長期間にわたって完全に封じ込め、貯蔵する技術を私たちは持っています」と断言します。そして「なぜそう確信できるのですか?」と問われると、次のように説明しました。

「放射性廃棄物を処分する時、忘れてはならない重要な言葉があります。それは『信頼』です。政治指導者、科学者、経営者の責任感、物理の法則、そうしたものをあなたが信頼しなければどうしようもありません。より責任を負っている人間、環境や人命に影響を与えうる決断を下す人間、そうした人々を信頼しなければ、何も始まらないのです。未来を描くためには『信頼』が必要です」

上は、映画の字幕を省略せずそのまま書き写したもので、本当に彼がこの通りに言っているのか、私はフランス語がわからないので確認できませんが、もしこれが正しい翻訳だとしたら、フランスでは「既に思考を停止した人」が原子力の安全管理を司る組織のトップに座っていることになります。翻って、日本ではどうでしょうか。


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もう1本は、福島第一原発事故から7年前の2004年に公開された日本映画『東京原発』。 山川元という人が監督の「フィクション」作品ですが、福島の事故を踏まえて観ると、劇中で語られる台詞や指摘があまりにもリアルに感じられます。

筋書きは、役所広司演ずる東京都知事が「東京に原発を誘致する」という政策を発案し、東京都庁幹部との間で激しい議論を繰り広げている間に、別のところである重大な事件が起きる、という一種の社会的サスペンス映画です。あまり予備知識が無い方がよいと思われるので、これから観る人のために、具体的な内容はこれ以上触れずにおきますが、非常に重要な問題提起をいくつも内包した、今だからこそ観ておくべき作品という風に感じました。

アマゾンのレビューを観ると、「ある重大な事件」の話は不要だったのでは、という意見もありますが、私はこれもテーマと密接に関連する主題だと思うので、入れて正解だったと思います。国内に原子力発電所を持つということは、見方を変えれば「(潜在敵国にとっての)運搬手段の要らない『貧者の核爆弾』を抱え込む」ことでもあります。核爆発はしなくても、冷却機能の喪失による水素爆発で放射性物質が広範囲に散布すれば、それだけでも「大量破壊兵器(WMD)が炸裂した」のと同じ効果があります。



元経済産業省の古賀茂明氏は、月曜日(2月27日)夕方の大阪朝日放送『キャスト』という番組の冒頭で、「福井の大飯原発を4月に再稼働することは、政府内では事実上の既定方針であり、それに間に合わせるために『原子力規制庁』の創設を急いでいる。細野豪志原発担当相が規則違反を承知で国会事故調(福島第一原発事故調査委員会、黒川清委員長)に接触したのもその一環だ」と指摘されていました。福島第一原発事故から、もうすぐ一年になりますが、日本政府は、われわれ日本人の思考は、この一年で何か変わったと言えるでしょうか。

昨年(2011年)3月28日の記事
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コメント 4

今年から、復興元年。宇宙世紀0000。

本当に、あれから一年です。

坂の上の雲を、英露グレートゲームの視点から考察したくなり、
大ヒマラヤ探検史、英国紳士の植民地統治などを読み返して思うのは、

日本史の救いようのない癌遺伝子としての『官僚』。

昭和の愚かさを思い、『平らか成らざる』とつれづれに検索すると
詩経解説がありました。平らかならざるを何と謂はん!
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http://www.kokin.rr-livelife.net/classic/classic_oriental/classic_oriental_323.html
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あの高くそびえたる南山は、草木実りて盛んである。
国を興すべき大師の位に尹氏が在る、然るにこの国の治まらざるをどのように思うのか。

天はしきりに天罰を示し、疫病天災を降された。
人々は嘉言を発することなく、怨嗟の声がやむことも無い。

心を平らかにし、その職に足らざるを罷免せよ、
小人に惑いて国を危うくしてはならない。

小事に明らかなるだけの姻戚の者を私して、高位に就かせてはならない。

天は均しからず、人々に困窮大難を降された。
天は恵まず、人々に大罪天罰を降された。
君子がもし至誠要道に至らば、人々の心は安らぎを得るに至るであろう。
君子がもし公平無私に至らば、人々は私情を去って和睦を得るに至るであろう。

然るに今、天に嘉せられず、故に世に禍乱は已まず。
月を経れば大災困難が生じ、人民の心は荒んで安んぜず。
憂いの心で悪酔いするが如く、どこに国を治め安んずる者が在るだろうか。

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>この一年で何か変わったと言えるでしょうか。
我々はこの100年、一体何を学んできたのかと
自問自答するしかできません。

by 今年から、復興元年。宇宙世紀0000。 (2012-03-09 17:42) 

Mas-Yamazaki

今年から、復興元年。宇宙世紀0000。さま: コメントありがとうございます。ご紹介の詩経、リンク先で全文を読みましたが、深い言葉ですね。

現在のこの国が抱える難問の一つに「官僚機構の政治的優位」があると、私も考えていますが、それは個々の公務員が悪い人間だということではなく、官僚機構を統制する「ルール」が、あまりにも不完全なまま放置されていることが問題では、という気がします。現行の法律つまり「ゲームのルール」で許された範囲内で、プレイヤーが行う最も合理的な「最善手」が、社会的に批判や非難を浴びるような問題であるなら、個々のプレイヤーに「そんな行為はやめろ」と言うのではなく、ルール自体を修正ないし改訂する必要があります。

これについては、私ももう少し考えてみたいと思います。
by Mas-Yamazaki (2012-03-10 16:26) 

今年から、復興元年。宇宙世紀0001。

インド高等文官のシステムは、人材・制度の両面で興味が尽きません。
当初は、この人的資源の枯渇が大英帝国の衰亡?につながったのかと
思っておりましたが、それだけではないようでした。
知合いの方のご子息の大学入学にあたって、ノートPCの手配を
頼まれたついでに、役立ちそうなテーマを何か見繕っていた際、
とりあえず、彼にとっての現在に至る経過の説明として、
「複合不況」や「金(ゴールド)が語る20世紀」を引っ張りだしてきていたところ
日露戦争~第二次大戦間の各国の戦費調達・融通の経緯が語られていました。
英国的には、「今度、戦争したら滅びるから!」的な切実さが生々しかったです。
そこら辺と人的資源のお話が絡まって、最近なかなか面白かった次第です。

その矢先、「歴史人」で満州大特集です。なんか眩暈がしましたw
大東亜戦争もifで軍閥要素や満州経営・米国のフィリピン植民地や
他の欧州列強のアジア殖民地経営の比較要素、あと戦費(金・国債)の
調達要素にラビリンス的要素となると、もう別なゲームですね。


by 今年から、復興元年。宇宙世紀0001。 (2012-03-13 12:11) 

Mas-Yamazaki

今年から、復興元年。宇宙世紀0001。さま: コメントありがとうございます。第一次大戦後の日本と英仏両国は、全然違った道を歩んだように見えますが、実は「次の総力戦を心底から恐れていた」という面では共通していたように思います。日本の大陸進出というと、侵略的意味付けの観点で論じるのが(少なくとも20世紀後半の日本では)主流だったかと思いますが、実は「次の総力戦への恐れ」という、心理的な弱さが根底にあったのでは、と考えています。
by Mas-Yamazaki (2012-03-14 20:08) 

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