2016年1月7日 [その他(戦史研究関係)]
2016年がスタートしました。今年もよろしくお願いいたします。年の前半は、既に確定している本三冊の執筆をメインに、『歴史群像』誌の担当記事、そしてイレギュラーの仕事をいくつか進めていく予定です。
昨日発売の『歴史群像』(学研)誌2016年2月号に、私の担当記事「張鼓峰事件」が掲載されています。翌年のノモンハン事件の前哨戦として語られることが多い戦いですが、国境紛争や領土問題の独立したケーススタディとしても興味深い題材です。
翌年のノモンハン事件や、その後の太平洋戦争で露呈する日本軍の問題点、例えば人命軽視と客観的情報の軽視(主観的判断への過度な傾倒)、兵站や火力などの合理的要素の軽視(精神主義の過度な信奉)、大勢の犠牲を出しても指導部は誰も責任をとらない無責任体質等は、全て張鼓峰事件でも表れていました。
国境紛争や領土紛争は、境界線に関する認識の不一致が原因となりますが、張鼓峰事件発生当時の政府や陸軍上層部は、外交による解決という理性的な方針で対処しようとしました。しかし現地部隊の指揮官が「武力行使を禁じる天皇の命令」を無視して独断で戦闘を始めたことで、紛糾は本格的な軍事衝突に発展しました。
名前だけは知っているという人も多いかと思いますが、この機会に張鼓峰事件について、および日本が将来また領土紛争の当事国となった場合の対処法について、考えるきっかけとなれば幸いです。
ちなみに、『歴史群像』誌の次号では、太平洋戦争期のシンガポール攻略戦に関する戦史研究記事一本と、カラーページのシンガポール戦跡探訪記を寄稿する予定です。先日の旅行で撮ってきた写真と共に、シンガボールの戦跡や博物館の現況を紹介します。関心のある方は、ぜひお楽しみに。
昨日発売の『歴史群像』(学研)誌2016年2月号に、私の担当記事「張鼓峰事件」が掲載されています。翌年のノモンハン事件の前哨戦として語られることが多い戦いですが、国境紛争や領土問題の独立したケーススタディとしても興味深い題材です。
翌年のノモンハン事件や、その後の太平洋戦争で露呈する日本軍の問題点、例えば人命軽視と客観的情報の軽視(主観的判断への過度な傾倒)、兵站や火力などの合理的要素の軽視(精神主義の過度な信奉)、大勢の犠牲を出しても指導部は誰も責任をとらない無責任体質等は、全て張鼓峰事件でも表れていました。
国境紛争や領土紛争は、境界線に関する認識の不一致が原因となりますが、張鼓峰事件発生当時の政府や陸軍上層部は、外交による解決という理性的な方針で対処しようとしました。しかし現地部隊の指揮官が「武力行使を禁じる天皇の命令」を無視して独断で戦闘を始めたことで、紛糾は本格的な軍事衝突に発展しました。
名前だけは知っているという人も多いかと思いますが、この機会に張鼓峰事件について、および日本が将来また領土紛争の当事国となった場合の対処法について、考えるきっかけとなれば幸いです。
ちなみに、『歴史群像』誌の次号では、太平洋戦争期のシンガポール攻略戦に関する戦史研究記事一本と、カラーページのシンガポール戦跡探訪記を寄稿する予定です。先日の旅行で撮ってきた写真と共に、シンガボールの戦跡や博物館の現況を紹介します。関心のある方は、ぜひお楽しみに。
2016-01-07 21:46
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