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2018年11月25日 [その他(戦史研究関係)]

先月は結局、忙しくてブログの更新を行えませんでした。ということで、二か月ぶりの更新です。

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まず、11月初めに『歴史群像』誌(学研)の第152号(11月号)が発売されました。今回の私の担当記事は「ウラーソフ将軍とロシア解放軍」で、第二次大戦中にドイツに降伏したあと、ソ連のスターリン体制打倒という大義を胸に抱いて義勇兵となってドイツ側で戦った、100万人を超えるソ連軍将兵たちの葛藤と苦難の物語です。

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記事では、ロシア解放軍創設以前に大量に編成され、西部戦線のノルマンディー上陸作戦の戦場でも戦った「オスト大隊」についても書いています。戦争という嵐の中では、将軍ですら小さい存在でした。

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上の画像は、記事中でも図版として使われていますが、親独義勇兵組織の指導者ウラーソフが署名してソ連兵の頭上に撒かれた宣伝ビラの一つ。


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11月5日から8日までは、内田樹さん並びに氏の門人の皆さんと一緒に韓国へ行ってきました。内田さんは、韓国の教育関係者向けの講演を二回行われ、私は韓国の近現代史関連の博物館などをたくさん見学でき、とても楽しく充実した韓国滞在でした。ソウルの気候は思っていたほど寒くはなく、ちょうど紅葉の季節を迎えていました。気候の乱れのせいか、今年の日本では紅葉がまだらに進み、一本の木でも赤や黄色の葉と緑の葉が混じっていたりしますが、韓国の秋の景色はとても良い感じでした。しかし意外と坂が多くて、一日歩き回ると結構疲れました。

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韓国の近現代史に関する博物館の展示内容は、かつてこの国を併合し支配した国の人間にとっては重いものが多いですが、日帝(大日本帝国)の非人道的行為だけでなく、戦後の軍部独裁政権時代の自国民に対する非人道的行為に関する公的博物館もあり、日本国内の現状との違いを改めて認識させられました。

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ソウルの明洞聖堂(1898年完成)。最近日本でも公開された韓国映画『1987、ある闘いの真実』でも描かれていたように、ここは軍部独裁時代の韓国で、民主化運動の重要な拠点の一つでした。私が訪れたのは朝九時過ぎで、聖堂建物の南側では、朝日を背にした聖母マリア像の前にひざまずいて祈る信徒の人がいました。

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ソウル駅東方の丘の上に建つ、安重根の銅像。隣には彼の記念館が併設されています。1909年10月26日に満洲のハルビンで伊藤博文を暗殺した韓国の民族主義者として知られる人物ですが、安重根は韓国に対する日本政府の理不尽な諸政策は「伊藤個人の悪辣さ」が原因だと理解していた模様。つまり彼は単純な反日活動家ではありませんでした。日中韓の対等な連携を提唱していた記録もあります。

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ソウル市内にある戦争記念館。朝鮮と韓国が経験した戦争を扱う軍事博物館で、朝鮮戦争に関連する地図や文書、装備のほか、平壌占領時に韓国軍部隊が捕獲した金日成の専用車(ソ連製のZIS110リムジン)も展示しています。

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屋外には朝鮮戦争で使用されたものを中心に、戦車や航空機、火砲などが並んでいます。ソ連製のカチューシャ・ロケットもありました。

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中之島の中央公会堂に似た建物は、ソウル駅の旧駅舎。中央公会堂や東京駅を設計した辰野金吾の弟子の塚本靖が設計し、日本統治時代の1922年に建設が始まり、1925年に完成しました。隣接する新駅舎の開業で駅舎としての役目を終え、今は「文化駅ソウル284」という展覧会等を行う施設として公開されています。

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ソウル駅から1キロほど南方にある、かつて「南営洞対共分室」があった建物。映画「1987、ある闘いの真実」で描かれたように、ソウル大学の学生朴鍾哲(パクジョンチョル)君が、ここで警察の拷問を受けて死亡しました。現在は「警察庁人権センター」と「朴鍾哲記念展示室」として警察が反省的に公開しています。建物の1階、4階、5階に関連の展示室があり、5階には1987年1月14日に朴鍾哲君が水攻めで殺害された「事件現場」と、フロア全体を占めるそれ以外の独房が公開されています。

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朴鍾哲君が拷問で殺害された部屋。窓は縦長のスリット状で、脱走や自殺を図れないよう、横幅は人間の頭よりも狭い。ドイツのダッハウ強制収容所等とも近い雰囲気です。4階には、1980年代の民主化運動と朴鍾哲君の事件に関する展示がある「朴鍾哲記念展示室」と、それに隣接する「人権啓発センター」があり、後者ではイギリスのマグナ・カルタ(大憲章)などを引用しながら、政府や警察などの権力の横暴から守られるべきものとしての市民の人権の重要さを説明しています。

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ソウル駅から南西に1キロほどの場所にある孝昌(ヒョチャン)公園には、韓国の民族運動指導者・金九(キム・グ)の墓と、彼の配下で日本に対する武力闘争を行った「義士」の墓が並んでいます。李奉昌(イ・ポンチャン)は、1932年に東京の桜田門付近で昭和天皇の暗殺を試みて失敗し、死刑となった人物。

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孝昌公園にある「義烈祠(ウィヨルサ)」。金九をはじめ、李奉昌(イ・ボンチャン)、尹奉吉(ユン・ボンギル)、白貞基(ペク・ジョンギ)など、韓国独立運動で日本に対する武力闘争を行った「義士」7人の影幀(肖像画が描かれた掛け軸)が安置されている祠堂で、1990年に建立されました。

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孝昌公園の敷地内に建つ、白凡記念館。白凡とは金九の別名で、韓国独立運動の指導者としての功績を称える内容の展示がなされています。第二次大戦中は、中国の重慶で韓国の在外政府(大韓民国臨時政府)を指導し(ただし承認国はなし)、日本の敗戦後は米ソによる南北分断の信託統治に反対する運動を指導しましたが、対米従属的な李承晩と対立し、韓国軍の一将校によって1949年6月26日に暗殺されました。米国政府との関係は微妙で、日本敗戦後は親米派の李承晩との政争に敗れましたが、重慶時代は「韓国光復軍(KLA)」を編成し、米国の特務機関OSSの支援を受けていました。

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ソウル中心部の光化門広場にある、世宗(セジョン)大王の像。十五世紀に李氏朝鮮の第4代国王だった人物で、ハングルの創製を行った国民的英雄として尊敬されています。一万ウォン紙幣にもこの王の肖像画が記されていますが、その一方で仏教徒の弾圧や中国(明)への少女貢進などを政策として行っていました。

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世宗大王像の近くにある大韓民国歴史博物館の展示物。日本統治下で「帝国臣民」とされ、毎朝皇居を遙拝することを強制された朝鮮の人々は、戦時には徴兵や徴用などで日本の行う戦争に加担させられていました。日本と朝鮮(韓国)の立場が逆だったら、と想像すれば、その意味を理解できます。日本が大韓帝国の植民地となり、韓国軍に日本人が徴兵・徴用されていたら。

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金九らの指導した大韓民国臨時政府の、中国での移転を示した地図と、日本降伏後の朝鮮半島で米ソ両国が便宜上の統治境界線として設定した北緯38度線の境界標。もし日本がソ連参戦前に降伏していたら、大韓民国臨時政府が光復軍と共に帰国し、朝鮮半島は分断されずに統一国家となっていた可能性があります。

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ソウルの光化門広場の北にある景福宮。李氏朝鮮時代の十四世紀末に造られた王宮ですが、日本統治時代には、王宮を完全に塞ぐ形で朝鮮総督府の近代的なビルが敷地内に建てられていました。正面の光化門は別の場所へ移設されましたが、敷地内の建物の九割が破壊されました。こうした行為に、統治者としての大日本帝国政府の傲慢な悪意が表れているようです。景福宮は、日本に併合される前の1895年10月8日に起きた「乙未(いつび)事変」、つまり閔妃暗殺事件の舞台でもありました。日本人と朝鮮人の手下を使い、同地の敷地内で朝鮮国王の王妃を殺害した首謀者の三浦梧楼公使(予備役中将)らは、逮捕されて日本で裁判にかけられましたが、全員無罪放免となりました。

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ソウルの景福宮の北側にある青瓦台(チョンワデ)。韓国の大統領官邸で、朴正煕大統領時代の1968年1月21日には北朝鮮の特殊部隊が朴大統領を暗殺するため、この場所から数百メートルの場所まで接近しました。2007年に学研から出たムック本『世界の特殊作戦』で、この事件について記事を書いたことがあります。この朴正煕大統領暗殺未遂の報復として、韓国側も北朝鮮軍の侵入者と同人数の31人から成る金日成暗殺部隊を極秘裏に編成し、仁川の沖にある実尾島(シルミド)で訓練しました。しかし南北融和で暗殺計画が放棄され、政府から闇に葬られようとした暗殺部隊は反乱。これが映画『シルミド』の背景となる実話です。

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北緯38度線付近を訪れるDMZ(非武装地帯)の見学ツアーにも参加しました。1953年の休戦協定締結後に捕虜交換で使われた「自由の橋」や、北朝鮮が韓国侵入用に掘ったトンネルの中、北朝鮮が望める展望台などを見て回りました。次回は板門店のJSA(共同警備区域)にも行きたい。

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北緯38度線の境界近くにある都羅山(ドラサン)駅。分断されている京義鉄道を復旧し、ソウルから平壌まで繋ぐことを想定した韓国最北端の駅で、行き先表示には「平壌」の地名が記されています。北緯38度線という境界は、1945年も1953年も便宜上決まったもので、遅かれ早かれ解消される日が来るだろうと思います。

今月は、長く取り組んできた単行本の原稿と『歴史群像』誌の来年1月発売号の担当記事(イタリア内戦 1943-1945)を既に脱稿し、年内は来年出る新書の執筆に没頭します。テーマや発売日等は、年明けに改めて告知します。


【おまけ】

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韓国で食べた美味しいもの。昼食にキンパ(海苔巻き)とわかめスープを頼んだら、この写真を撮ったあと、スープに小皿とごはん一膳が付いてきました。しかし旅行中は食欲が旺盛になるので、結局完食しました。

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栄養満点の参鶏湯(サンゲタン)。鶏は骨まで全部食べられます。

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ソウルで食した平壌冷麺。韓国の冷麺は、ハサミで切るほど麺が硬い印象ですが、こちらは冷たいおそばのような感じで硬くはなく、ダシの効いたスープと共に、美味しくいただきました。暑い夏よりも寒い冬に、暖房の効いた部屋で食べる料理らしい。

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唐辛子を利かせた肉料理と石焼きビビンバ。滞在中に食べた料理は外れなしで、どれも大満足でした。

 
 

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