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2019年2月17日 [その他(雑感・私生活など)]

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久々の更新です。2019年の1月は、後述するように、昨年から執筆してきた新書の脱稿とミャンマー(旧ビルマ)旅行、雑誌原稿(『歴史群像』誌次号の巻頭記事「朝鮮戦争 前編」)の執筆と沖縄旅行という慌ただしさで、ブログに手をつける余裕がありませんでした。

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まず、1月発売の『歴史群像』(学研)第153号に、私の担当記事「二つのイタリアと第二次大戦」が掲載されています。第二次大戦の歴史で光を当てられることの少ない領域の一つである「枢軸国イタリアの連合国との休戦と、それ以後の南北に分裂したイタリアの戦い」を、政治と軍事の両面から読み解いています。

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軍事や戦史のマニアの間では、兵器の性能が総じて低く、個々の「戦闘」の敢闘精神で日独に劣る第二次大戦期のイタリア軍をバカにして見下す風潮が根強いですが、価値判断の基準を少しずらして国民の戦争全体との向き合い方を俯瞰すると、むしろ日本やドイツよりも「賢い部分」もあったように思います。


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1月10日から15日までは、ミャンマー(旧ビルマ)のヤンゴン(旧ラングーン)と古都バガンを旅行しました。昨年『歴史群像』誌に「ビルマの第二次大戦」という記事を書いたこともあり、ヤンゴンでは「独立の父」アウンサン将軍とビルマ近現代史に関連する場所を見学して、理解を深めました。

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ミャンマー訪問は初めてでしたが、ラオスと同じように人がとても穏やかで、居心地良く過ごせました。買い物をする時、間違えて余分にお札を出しても、超過分を返してくれます。寺院等では入口から裸足が決まりで、歩くと平穏な気持ちになり、仏像の前に座るたびに自然と手を合わせる心境になりました。

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ミャンマー(旧ビルマ)のヤンゴン(旧ラングーン)にある「ボージョー(将軍)・アウンサン博物館」。独立の父と称されるアウンサンが、1945年5月から暗殺される1947年7月まで住んだ邸宅(建物自体は1921年に完成)で、二階建ての館内には彼の生涯とビルマ独立運動指導者としての活動が説明されています。

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こちらは、アウンサンが独立運動の司令部として使用した建物ですが、今はレストランとして営業中。二階の一室はアウンサンの執務室で、当時彼が使用した机やタイプライターなどが展示されています。

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ヤンゴン(旧ラングーン)の中心部にあるシュエダゴン・パゴダ。パゴダとは仏塔を中心とする仏教の参拝施設で、ここは規模が大きく、周囲の緑地も含めれば東京ドームより広いとのこと。中央の一番大きな仏塔は五年に一度の修復が行われていたが、その周囲にもお堂や祠が建ち並び、くつろいで休憩できます。

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お堂や祠には、金箔や宝石をふんだんに使った装飾が施されており、じっくり観察すると時間が経つのが早い。参道では、生年月日から算定する八つの曜日にちなんだ花が売られており、私は月曜日だったのでその花束を買って、月曜の神様のところにお供えしました。水かけ不動のように、仏像に器で水をかけます。

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ミャンマーのヤンゴン(旧ラングーン)中心部に残る英植民地時代の建物。ミャンマー港湾局(1928年)、ヤンゴン地方裁判所(1900年頃)、元最高裁判所(1908年)。縦横に区画整理された街並みで、大通り以外の細い道には露店が建ち並んでいますが、朝夕は道路が激しく渋滞します。

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ミャンマーのバガンにあるニャウンウー空港。外国人旅行者はここで、5日間の入域料として25000チャット(約1800円)を支払います。あとは寺院や仏教遺跡をいくら見学しても無料。私は充分に元が取れました。

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古都バガンでは、到着日と翌日の丸二日、レンタル電動バイク(一日約600円)に乗って、一三世紀前後に作られた仏教の寺院と遺跡を見て回りました。広大な場所に仏教遺跡の尖塔が林立し、空気が乾燥しているので劣化が少ない遺跡内の壁画も興味深く鑑賞しました。ミャンマーにおけるヤンゴンとバガンの関係は、ラオスのビエンチャンとルアンパバーンと似ています。

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ミャンマーのバガンは、エーヤワディー川(イラワジ川)のほとりにあります。川はここで西向きから南向きに流れを変えるので、バガン南部の河岸ではきれいな夕陽と夕焼けを満喫できます。対岸の遠くに見えるのは、ミャンマーとインドの国境付近に連なるアラカン山脈。イラワジ川とアラカン山脈といえば、太平洋戦争末期に行われた、あの作戦を思い出しますが、日本兵もこの美しい景色を見ていたのでしょうか。

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シュエサンドー・パゴダ。十一世紀に建てられた仏塔で、高さは45メートル。

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ダマヤンジー寺院。十二世紀に建てられた寺院で、バガンで特に強い印象を受けた建造物の一つ。ガイドブックの写真ではわかりませんが、他の寺院よりサイズがでかくて、古城のような威容に圧倒されます。シュエサンドー・パゴダの方から細い道を走っていくと突然これが目に入り、宮崎駿のアニメに入り込んだような錯覚を覚えます。

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エーヤワディー川(イラワジ川)に沈む太陽。


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ミャンマーから帰国したあと、1月19日には、大阪の隆祥館書店での相澤冬樹さん(『安倍官邸vs.NHK』著者)のイベントにゲストとして登壇しました。会場は大盛況で、部屋の隅までお客さんで埋まり、財務省の国有地不正払い下げ疑惑やNHKと権力の癒着状況など、幅広い話題で盛り上がりました。


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1月27日から31日までは、四泊五日で沖縄へ行ってきました。今回は本島の那覇周辺と久米島で過ごし、珍しい自然や博物館、戦史・紛争史関係の場所を見て回ったほか、琉球新報本社の勉強会で講師として少しお話しました。また、牧志から安里まで古書店を何軒かはしごして、沖縄戦や戦後の沖縄に関する段ボール一箱分の古書を買い、自宅へ別送しました。

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沖縄の久米島と橋で繋がった奥武島の海岸にある「畳石」。亀の甲羅のような六角格子の石が並んでいるように見えますが、実はこれらは「冷えた溶岩の柱」で、地中深くまで伸びているらしい。水の透明度が高くて、水たまりには小さい魚やカニがいました。

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久米島の北部にある「ミーフガー」という奇岩と、南部にある「鳥の口」という崎。後者の名前の由来は、手前下に写っている「口を開けた鳥」に似た高い岩で、左奥の衛星通信施設(白い球)から遊歩道でテクテクと歩いて登る。久米島ではレンタカーを借りて島内を回りましたが、海水浴のシーズンオフのためか、今回は久米島のどこに行っても貸し切り状態でした。

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久米島のサトウキビ畑の一角にある「痛恨之碑」。久米島では、朝鮮人を含む住民20人が、沖縄戦の実質的な終結後に、米軍ではなく駐留していた日本軍人によってスパイ容疑等で虐殺されました。日本軍人に殺された住民の中には、赤ちゃんもいました。今年刊行予定の単行本でも、この出来事について説明しています。

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久米島の大岳小学校南側の駐車場そばに建つ、沖縄戦で亡くなった島民の慰霊碑と顕彰碑。市民を虐殺した日本軍の通信部隊の指揮官は、米軍と接触した島民をスパイ容疑で虐殺したあと、自分は米軍に投降して戦後も生き延びました。メディアの取材を受けた彼は、自分は間違っていないとして謝罪を拒否し、居直っていました。

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沖縄の屋根の上や門の上にいるシーサー(厄除け、守り神の獅子)たち。通りをぶらぶら歩いていると、街のあちこちにいます。それぞれの性格が顔や姿に表れているようでおもしろい。

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那覇市内では今回は車を借りず、モノレールとバス、タクシー、徒歩で移動しました。モノレール駅のエスカレーターにも、琉球新報と沖縄タイムスの社屋にも、県民投票の広告が。とりあえず全県民が投票できる、当たり前の状況に戻って良かった。

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観光客が絶えない那覇の首里城にある守礼之門から、わずか90メートルほど離れた場所にある、第32軍司令部壕の入口。現在は封鎖されていますが、高台にある首里城の地下に作られた司令部施設の出入り口で、中学生から成る「鉄血勤皇隊」の少年が、砲弾の降る中で、壕の警備や伝令などの軍務に就いていました。

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こちらは、観光客が絶えない首里城そばにある玉陵(琉球王国時代の王墓)から、わずか50メートルほど離れた場所にある、一中健児の塔。鉄血勤皇隊に参加して命を落とした一中(沖縄県立第一中学校)生徒の慰霊碑で、隣接する展示館では、十代の中学生がどれほど過酷な境遇に置かれていたのかを学べます。

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沖縄・那覇の奥武山(おうのやま)公園にある島田叡元沖縄県知事の記念碑。兵庫出身の島田知事は、太平洋戦争での日本の敗北が決定的となっていた1945年1月に「他になり手がない」沖縄県知事として赴任し、戦火の中で(天皇でなく)県民のために最後まで尽力して亡くなった人物で、市民が玉砕や自決することを戒めました。

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大田實海軍中将が「(沖縄)県民に対し後世特別の御高配を」と打電して自決した旧海軍司令部壕を今回初めて訪れましたが、沖縄にある他の戦争関連の施設とは空気が違っていました。売店で戦艦大和グッズをたくさん並べている時点で、方向性が違うとわかる。戦没した海軍軍人の顕彰と慰霊が、施設の第一の意図。

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沖縄・那覇のシーサイドにある「不屈館」。戦後の沖縄で県民のために尽力した政治家・瀬長亀次郎の功績を称える博物館で、彼の足跡を追うことはそのまま戦後の沖縄県民の苦難を知ることにもつながります。同じ日本の一部なのに、なぜ沖縄県民が戦中も戦後も、現在も、過剰な理不尽を背負わされ続けるのか。いろいろなことを考えさせられる場所でした。

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琉球新報本社での勉強会で使用した資料の一部。今の日本のメディア状況の問題点を読み解く視角はいくつか考えられますが、今回は「民主主義国と権威主義国のメディアの違い」という角度から光を当ててみました。右か左か、という時代遅れの分類法では、問題の核心に近づけず、逆に遠ざかるのでは、と思います。


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それから、いま書店で発売中の『週刊金曜日』最新号は、NHKの問題点を批判・検証する特集ですが、私も岩田明子解説委員兼政治部記者に関する記事を寄稿しました。国民から強制徴収する受信料で高い給料を得ながら、特定の権力者にピッタリ寄り添い奉仕する態度は、政権が何党であるかに関係なく、公共放送の役割を逸脱した国民への背任だと思います。

今月は、少し時間に余裕があるので、しばらく停止していた電子書籍の刊行を再開しようかと思っています。『ロシア内戦』『シベリア出兵』『チェコスロヴァキアの第二次大戦』『モンゴルの第二次大戦』『インドの第二次大戦』などが候補です。いずれも『歴史群像』誌に掲載された記事の電子化ですが、関心のある方は、ぜひご期待ください。

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ミャンマーのバガンで道路をのんびり進む牛車。


【おまけ】

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ミャンマーでは、特徴的な油っぽいカレー(ヒン)のほか、麺類をいろいろ食しましたが、細いビーフン(米粉)からうどんような太い麺まで、種類が豊富でした。気温が高くて空気が乾燥しているので、一日あちこち歩き回ったあとのビールが美味い。1枚目はエビのカレーで、大きなエビがどっかり入っていました。

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こちらは、沖縄で食べた美味しいもの。山羊汁、ラフテーの炒飯、久米島のざるもずく(店主が採ってきた太くて長いもずくをごまだれに浸けていただく)、島どうふ。左の豆腐に乗っている小さい魚は、スクガラスというアイゴの稚魚の塩辛で、豆腐と良く合います。山羊汁は前回もいただきましたが、これを食すと沖縄に来たと実感できます。

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日本では沖縄にしかない米国系ファストフードチェーン「A&W」のThe A&Wバーガーとポテト、そしてルートビア。沖縄の人はA&Wを「エンダー」と呼ぶ、と琉球新報の人に教えてもらいました。
 
 

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