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2009年8月17日 [大東亜戦争]

 8月だから、というわけではありませんが、今日もこの話題です(興味のない方、申し訳ありません)。私が制作を企画中のゲーム「大東亜戦争」に関して、ブログの読者の方(シミュレーション・ゲームを趣味とされている方)から、批判的なご意見のメールをいただきました。

 私はこのゲームを出版することで、シミュレーション・ゲームというホビーを愛する仲間に迷惑をかけることはしたくないですし、もしそうなる可能性が高いと判断すれば、企画を撤回して出版計画を破棄することも考えています。

 ただ、私は決して安易な気持ちでこのゲームの制作を考えているわけではありません。下記のご指摘にありますとおり、私がブログで公開しているこのゲームのコンセプトは、非常にデリケートな問題を孕んでおり、安易な考えで制作したり販売したりできるものではないことは、充分に承知しているつもりです。
 理由は後述しますが、仮題の「大東亜戦争」も、安易な気持ちでつけたのではなく、これ以外のタイトルはこのゲームにはふさわしくないと私なりに熟考してつけたものです。

 件のメールを拝見して、いくつか私の意図をご説明した方がいいかと思う部分がありましたので、質問された方の許可を得て、個々のご指摘への私の回答という形で、少し書かせていただこうと思います(回答部分は少し加筆した箇所があります)。これを読まれる全ての方に納得していただけるかどうかはわかりませんが、とりあえず私の考えをより正確に、お伝えしておきたいと思いました。

 非常に長いエントリとなってしまいましたが、二回以上に分けたりしづらい内容ということもあり、今回だけということで、ご容赦いただければ幸いです。

  そもそも、このゲームは、何のためにつくられるのでしょう。  ご自分でお書きになっているように、「娯楽性を優先順位の下位に置く」ということであるなら、商業ゲームではありませんね。

 山崎さんが提示された問題は、本来、歴史研究のかたちで出されるべきもので、遊戯であり娯楽であるという宿命を背負うゲームとしては扱えないものではないでしょうか。

 私は、上に書かれている二つの定義には同意しかねます。

 まず、私が何のためにゲームを作るかという点についてですが、私がシミュレーション・ゲームのデザインを今でも(つまり文筆業者として一定の「発表の場」を与えていただけるようになってからも)続けているのは、文章による記述では表現できない私なりの「歴史認識」を表現する上で、貴重な手段だと思うからです。
 言い換えれば、文章で表現ではない、またはシミュレーション・ゲームという手法の方がより効果的に表現できると思われる「歴史認識」を表現するために、シミュレーション・ゲームのデザインを続けています。

 私は、SPIの“Red Sun Rising”をシックス・アングルズ別冊「戦略級 日露戦争」として翻訳出版した際、ルールの不明点やコンポーネントの改良を検証するため、このゲームを繰り返しテストしました。その中で、日本海軍による旅順港の閉塞作戦や、日本陸軍による旅順要塞への突撃を、ユニットに何度も実行させました。
 どんどん消耗して人が死んでいく、しかし国家のため、勝利のためには、その実行を命令せざるを得ない。大陸に展開する日本陸軍の「後顧の憂い」を取り除くため、一刻も早く旅順を陥落させないといけない。
 楽しいとはあまり思えず、本当につらい気持ちでプレイしました。テストを手伝ってくれてた石田さんからも、後で「あの旅順攻撃の時の山崎さんのため息は、聴いているのがつらかった」と言われました。

 そういう「つらさ」や「戦争の冷酷さ」を、書物とは違う形で、つまり左脳ではなく右脳で、知識ではなく感覚あるいは「(主観に依存した)擬似経験」として、プレイヤーに実感させてくれるのが、シミュレーション・ゲームの特徴であり、固有の存在意義だと私は思います。

 次に、私は「このゲームのデザインに関しては、娯楽性を優先順位の下位に置く」とは書きましたが、それが「商業ゲームではない」とは書いていませんし、「遊戯であり娯楽であるという宿命を背負うゲーム」という定義にも全面的には賛同できません。一般論として言えば、「シミュレーション・ゲーム=娯楽」という価値観は、現在のゲーマーと呼ばれる人々に当然のごとく受け入れられているものであり、それ自体を否定するつもりはありません。

 しかし、シミュレーション・ゲームという「表現手法」が、必ずしも娯楽性を価値判断基準の第一位に置かなくてはならないとは、私は思っていません。そのような固体観念は、シミュレーション・ゲームという表現手法が内包している発展性や可能性を阻害し、今ではプレイする人も少なくなった「斜陽の娯楽」という枠内で終わらせるものではないかと思います。

 確か『シミュレイター』誌だったと思いますが、高梨俊一さんが書かれていたゲーム評論記事の中で、シミュレーション・カナダという会社が出版した「アイ・ウィル・ファイト・ノー・モア・フォーエバー」というゲームについて触れられていました(記事の現物がないので記憶に頼って書いていますが、かなり印象が強かったので、ゲームの名前ははっきりと覚えています)。
 このゲームは、アメリカの「インディアン『討伐』戦争」を正面から描いたゲームで、娯楽性という点では評価のしようもない作品ではあるそうですが(私はゲームの現物は持っていません)、高梨さんは「シミュレーション・ゲームという表現手法に可能性を開くゲーム」という風な、肯定的な評価をされていたと記憶しています(「思想表現の一手段」みたいな言葉を使われていたかと思いますが、少し記憶が曖昧です)。

 価値判断基準の第一位に娯楽性を置かないゲームは、現実問題として、商業出版物としてはほとんど成立しえないものではあります。しかし、「娯楽性を優先順位の下位に置く」と明確にユーザーに告知し、娯楽性以外の「歴史認識の表現」を意図したゲームであることを理解した人だけが購入できる形にすれば、価格設定は高めになるとしても、「娯楽性を追求しないゲームの出版を商業的に成立させる」ことは不可能ではないと私は考えています。

 以上のご説明の上で、改めて私がゲーム「大東亜戦争」を「何のために作るのか」という点についてご説明させていただきますが、ブログやシックス・アングルズ第13号の「第6の視角」で書きました通り、私はこのゲームで「あの戦争において両軍の戦争指導者が抱き、行動の動機としていた価値判断基準の根本的な違い」についての私なりの認識(分析の結果)を表現しようと意図しています。

 もちろん、どういうゲームをデザインし、発行するかは、山崎さんのご自由です。しかし、ここまで記してきたような倫理性の側面を考えていただきたいと思います(当該ブログを、奥様や、ゲームとは関係ないご友人に示して、どんな反応を見せるか、試してみたらいかがでしょうか)。

 学研のいろいろな媒体の編集者さんや、ゲーム以外で共通の趣味を持つ友人は、既にこのブログを見ているはずです(妻も私が自分のブログを持っていて、妻に撮ってきてもらったロンメルのお墓の写真を公開したりしたことは知っているので、自分のPCでもう見ているかもしれません)が、私は自分がブログ記事に書いたことを、人間として恥ずかしい、あるいは倫理観の欠如したものとは思っておりません。
 何度も繰り返して恐縮ですが、私は第二次世界大戦における悲劇的な事象を「娯楽」として表現しようとしているわけではないからです。もし私が「娯楽」としてこのような「テーマの切り取り方」を選んだなら、倫理性の欠如という批判を甘んじて受けなくてはなりませんが、私はこれを「娯楽」にはしないとブログであらかじめ説明しています。

 「特攻や玉砕は悲劇だ」という言葉は数限りなく目にしますが、ではなぜあのような悲劇が起きたのか、という「根源的な原因」を知ろうとする上で、「当時の戦争指導者がそのような行動を兵士に強いた背景」を、シミュレーション・ゲームという手法なら従来の文章表現とは異なる視角から、あるいは文章表現では描けない要素を、表現できるのではないかと、私は考えています。

 山崎さんは、「原爆を投下するか否かという酷な判断を、プレイヤーに課す」ことはしないとお書きになっている一方で、退路を断たれた日本軍ユニットが「自ら攻撃を行って全滅すれば、攻撃実行による勝利得点を獲得できます」とされています。麾下部隊の将兵を、ほぼ100%確実な死に追いやる決定は、「酷な判断」ではないのでしょうか?

 原爆投下の決定をプレイヤーに委ねないことにしたのは、それをゲームに含めば、たとえ「価値判断基準の違いを表現する」という私のデザイン意図を理解してくれている連合軍プレイヤーであっても、恐らくそれを決断できないだろうと考えたからです。
 改めて述べるまでもなく、原爆の投下という行為は、ナチスのホロコーストと同様、広義の戦争指導の中で行われた決定であるのと同時に、人類史上に残る無差別大量殺戮という別次元の惨事として理解されている事象でもあります。

 特攻や玉砕を命じられた兵士たちは、戦争指導部の命令に従わなくてはならない立場にあり、従って命令を受ければ、軍事作戦の延長(統帥の外道とは当時から言われていましたが、敵国の民間人を殺すことを意図した殺戮行為ではありません)として、その「意義」を(無理やりにでも)信じて、それを実行するしかありませんでした。一方、原爆やホロコーストの犠牲者は、ほとんどが民間人であり、戦争指導部の命令系統とは離れた「非軍事的な立場」にいながら、一方的に殺戮された方々です。

 このような視点から、私は戦争遂行過程における特攻や玉砕と、原爆やホロコーストの間に一本の境界線を引いており、なおかつ「最終ターンまでゲームをプレイすれば、米政府が戦争遂行過程で原爆投下の決断を下した動機の一つ」が類推できる形の「価値判断基準」を、連合国の勝利条件という形で、ゲームの中に盛り込むことを考えています。
 「特攻や玉砕の決断はプレイヤーに課して、原爆投下の決断は課さないのはおかしい」というご意見にも一理あるとは思いますが、原爆投下の決断をプレイヤーに課さないのなら、特攻や玉砕の決断をプレイヤーに課すようなゲームをデザイン/出版するのはおかしいというご意見には、私は同意しかねます。

 また、「いわゆる『万歳突撃』は、軍事的合理性の判断ではなく、それとは全く別の次元の、自分および自分の所属部隊の名誉を守るための行動だったのではないかと、私は考えます」と記されていますが、どこに、自分のみならず、部下将兵にも十死零生を強いる「万歳突撃」や「玉砕」を望むものがおりましょう。もちろん、降伏したり、捕虜になったりすれば、自分だけならともかく、故郷の家族親戚がどのような目に遭わされるかわからないという認識、また、それがあり得ると思われるような「空気」が醸成されていたからこそ、大本営は「玉砕」を命じたのだし、現地の指揮官も唯々諾々と従ったのではないでしょうか。

 「特攻や玉砕を命じた大本営の論理」や「現地の指揮官が唯々諾々と従った理由」、あるいは「当時の日本を支配していた空気」については、過去に数多くの書物で語られてきました。しかし、私は本当に「それだけだろうか」と疑問を抱いています。その「疑問」こそが、このゲームのデザインを決心した最大の理由でもあります。

 私は特攻や玉砕を「しょうがなかった」「やむを得なかった」として「空気」のせいにする認識には賛同できません。「どこに、自分のみならず、部下将兵にも十死零生を強いる「万歳突撃」や「玉砕」を望むものがおりましょう」とありますが、海軍反省会のテープには、それを望んでいた人間の存在が示唆されていたのではないかと、私は思います。それを望んだ人間は、そこに肯定的な「意味付け」をしていたはずだと私は思うのですが、それが何かを知るには、当時の日本人の心理を「建前」として支配していた、当時の価値判断基準に目を向ける必要があるのではないかと、私は思います。

 私が今までに読んだ「特攻」についての書物や記事の中で、特に印象に残っているものの一つは、保阪正康氏が『現代』2004年12月号と2005年1月号に寄稿されていた「60年目の特攻隊論」という記事です。
 この記事は、前編の副題に「『英霊論』と『犬死に論』を超えて」とある通り、従来の白黒二元論のような形での「礼賛」や「断罪」としてではなく、当時特攻隊員として出撃した若者の心情を、あらかじめ用意された「美談」や「悲劇」という「物語」の文脈に当てはめるのではなく、当時の価値判断基準の中でありのままに読み取ろうという試みでもあります。
 現代に生きる人間が、特攻隊員の犠牲をどう捉え、そこから何を導き出すかは、今でも重要な意味を持つ問題だと思います。私がこのゲームで提示したいと考えている(今の段階ではそれが成功するかどうかはわかりませんが)のは、そうした問題についての、書物とは異なる「視角」であり、決して彼らの犠牲を「娯楽」や「遊戯」の文脈で楽しめる遊具を作ることではありません。

 ただ、私は現代の人間が現代の倫理観で当時の戦争指導者を裁くことに抵抗を感じています。その上で、当時の戦争指導者を断罪する意図ではなく、「なぜ当時の彼らがそのような決断を下したのか」について、プレイした人間に一つの解釈(「結論」ではもちろんありません)を提示するために、このゲームをデザインしようと考えています。これはもちろん、当時の日本に蔓延していた「空気」の正体を読み解こうという、私なりの試みでもあります。

 「アッツ島における山崎保代大佐の最期の突撃や、硫黄島における栗林忠道中将の最期の突撃も、この方法ならば、当時の価値判断基準とほぼ同じ文脈で、自然に再現できる気がします」と悦に入っておられる(きつい表現で恐縮ですが、そう感じました)ようですが、許されざる人間悲劇を、こうすれば遊戯として自然に再現できるとブログで発信するのは、社会常識に欠ける行為ではないでしょうか。

 先にも述べましたが、このゲームに関しては、私は「許されざる人間悲劇」を「遊戯」として再現しようとしているわけではありません。
 シミュレーション・ゲームには、「遊戯性」や「娯楽性」以上の歴史的価値は存在しないとのご意見をお持ちの方もおられるかと思いますが、しかし私は、特攻や玉砕が発生した原因についての私の認識を、シミュレーション・ゲームという手法で表現することを「遊戯性」や「娯楽性」の文脈では考えていません。「このゲームのデザインに関しては、娯楽性を優先順位の下位に置く」とは、そのような意図を示した文章です。

 この企画が実現したならば、「はい、サイパンで万歳突撃全滅、これで得点10点ね」というような言葉がプレイ中に出てくることになるでしょう。太平洋戦争の経験者、戦死者の遺族に、そんなありさまを見せられるのでしょうか。

 また、プレイヤーのなかには、わざと日本軍を不利な位置におき、つぎつぎと「玉砕」させて得点の獲得をはかるものも出てくるのでしょう。そのとき、山崎さんは、いかにも日本軍らしい動きが自然に再現されたと、ご満足なさるのでしょうか?

 私は先に「このゲームを娯楽性を重視した形ではデザインしない」という方針を申し上げました。成功するかどうかはわかりませんが、プレイテストの段階でそのような「娯楽として楽しめるレベルで特攻や玉砕をプレイヤーが気軽に実行できるゲーム」にしかなっていないと判断すれば、そのようなゲームは未完成あるいは失敗作として、出版するつもりはありません。

 楽しくも面白くもなく、逆にゲーム中「つらい」「重苦しい」決断ばかり強いられる、娯楽性を排したシミュレーション・ゲームというものが、成立し得るか否か、現段階では「し得ると思います」という答えしか私には出せません。しかし私は、中学生の頃、ガラガラの映画館で小林正樹監督「東京裁判」という、娯楽性ゼロの映画を最初から最後まで観ましたが、観なければよかった、別の娯楽映画を観ればよかった、とはまったく思いませんでした。

 ブログのタイトルで、「大東亜戦争」という言葉を、引用符もなく使っておられますが、これはつまり、山崎さんがあの戦争を、アジア解放のための聖戦だと考えている証左だと理解してよろしいのですね……とは、実は思っていませんが、あまりに不用意だと思います。

 山崎さんが無神経に(と、私には思われました)用いた「大東亜戦争」という言葉は、あの戦争を正義の戦争とみなすという態度表明をしていることになります。

 私がカテゴリ分けで「大東亜戦争」と表記しているのは、当然私が構想中のゲームに(仮に)その名称を使うことを意図しているからですが、私は自分が構想しているゲームのコンセプト、つまり「当時の価値判断基準についての歴史認識の表現」という意味において、それが最も適切なタイトルであると考えています。なぜなら、その呼称こそ、当時の日本人全体が共有していた「価値判断基準」を象徴するものだからです。
 もちろん、このような題名を選んだ理由については、後日ブログの記事で説明するつもりでいます(あくまで私の意図を説明するだけなので、それが適当かどうかについて、当然他の方からの異論や抗議は覚悟しないといけないわけですが)。

 「大東亜戦争」「太平洋戦争」「十五年戦争」「アジア太平洋戦争」という呼称の変遷と、それぞれのイデオロギー的立場については、私なりに最低限の理解はしているつもりです(学研の仕事で何度も第二次世界大戦期の日本と連合国の戦いについての原稿を書きましたが、留保なしで「大東亜戦争」という呼称のみを使ったことは一度もなく、たいていは「太平洋戦争/大東亜戦争」と併記する形〔つまり留保つきの形〕をとっています)。

   *   *   *   *   *

 私個人のことはともかく、このゲームに関連した私の発言や行動が、シミュレーション・ゲーム界という社会集団ならびにそれを愛好する人々に対する、社会的な評価や行動につながる可能性があるという点は、非常に重いことだと思いますし、その点について警告するご意見をいただいたことに、深く感謝しています。
 単なる「歴史認識」の範疇に留まらない、さまざまな政治的イデオロギーとの関連性(およびそのような文脈での対立や攻撃を招く危険性)や、戦争で被災された方々ならびに戦没者とそのご遺族に対する配慮などの難しい問題から、否応もなく逃れられない「難しいテーマ」であることを、改めて再認識しました。
 実際にゲームを出版するにしても、一般の人が間違って購入したりせぬよう、小売店の店頭には並べずに「プレオーダーのみの販売」とするなどの方策も一案かと思いますが、内容・出版形態とも、慎重に検討しようと思います。発売する場合には、DVDの「R指定」やゲームソフトにおける暴力・流血の警告文などと同様、表紙裏にはっきりと「娯楽として遊ぶゲームではありません」と明記するということも必要かと思います。

 このゲームについては、まだまだ完成までに多くの「試練」(分析、システム考案、テストといった、物理的な制作上の試行錯誤だけでなく、本当にこのようなゲームを出版すべきかどうか、それによって予想もしない「騒動」が引き起こされて、このホビーを愛する他の方々にご迷惑をおかけするのではないかという自問自答も含めたもの)があるかと思いますし、多くの時間を費やすことになるかと予想しますが、先に述べましたとおり、軽率な考えで制作・出版するつもりはありませんので、その点は繰り返し明言させていただきます。
 今の段階で決めているのは「とりあえずいろいろ勉強しながらゲームを作ってみる」ということだけで、「それを出版・販売する」か否かは、ゲームがある程度出来上がってから考えたいと思います。

   *   *   *   *   *

 今回ご紹介しましたやりとりについて、ぜひブログを読まれた方々のご意見をお聞かせください。

 私は、原稿であれゲームであれ、仕事の内容は戦争をテーマとするものがほとんどですが、自分の書くもの・作るものは、テーマとなっている出来事で犠牲になった方やそのご遺族に見せても、恥ずかしくない形で表現していると思っています。中東戦争などの現代紛争や、沖縄戦の県民あるいは学徒の戦いについての記事も同様です。今作ろうと考えているゲームについても、沖縄やサイパンなど各地の戦場や洋上で亡くなった方のご遺族だけでなく、戦没者の霊前に持っていっても、恥ずべきことはないというところまで、考え抜いた上で出す(出さないという選択肢も保持しますが、もし出すとしたらそこまでする、という意味で)つもりです。

 ただ、このゲームに関しては、私は「デザイナーとして」の姿勢はもちろん、「出版人」としての社会的責任を負わねばならない立場なので、いくら自分が「この挑戦はやる価値がある」と思っても、同じ趣味を持つ大勢の「私とは無関係の方々」が、社会的に大きな迷惑や損害を被るようなリスクがゼロに近くなるように配慮しなくてはならないと考えていますし、私の作った「ゲーム」に接したことで、あの戦争に関わりのあった方の「つらい過去の記憶」という傷口に塩をすり込むようなことがあってはならないと思っています。

 その意味で、実際にゲームのプロトタイプを作ってみて、私の意図したような形には仕上がりそうにないとわかった時には、「構想や制作意図のみ公表するが、商品として出版・販売することは見送る」という選択肢も最後まで視野に入れておく必要があると考えています。
 私は、このような「ゲームシステムに現実の出来事を置き換えて考える思考実験」だけでも、それなりに意義がある試みではないかと思いますし、その意味において、このカテゴリにおけるゲームの制作過程の報告は、今後も少しずつ続けていこうと考えています。
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2009年8月13日 [大東亜戦争]

新しい視点で作る、アジア・太平洋戦域の第二次世界大戦ゲームですが、本気で作る覚悟を決めたので、カテゴリを分けました。作りかけの企画だけが増えていくのは、よろしくない傾向ですが、それぞれ完成したゲームのイメージはかなりクリアに見えているので、時間はかかっても順番に仕上げていきたいと思います。

このゲームの勝利条件ルールに関して、日本側の視点については、第13号の「第6の視角」や本ブログ記事でも少し触れましたが、当然連合軍サイドについても、当時の価値判断基準を反映した勝利条件設定にする必要があります。日本軍の場合は「威信と面子」が勝利得点の主要な判断基準となりますが、アメリカ軍の場合は「人的損害の軽減」を、重要なポイントの1つに位置づけようと考えています。

一般的なシミュレーション・ゲームでは、部隊の降伏という現象は戦闘結果の「除去(Eliminated)」に含まれている場合が多く、プレイヤーが自ら地図上に存在する特定のユニットについて、自軍の手番中に「この部隊は降伏します」と宣言して、戦わずに地図上から取り除くようなゲームは見たことがありません(単に私の不勉強かもしれないので、もしご存知の方がおられましたら、ご教示ください)。しかし、私が作るつもりのゲームでは、連合軍が勝利得点の「損失を回避する」ために、自軍の管理フェイズか何かで「地図上の特定のユニットに関して、自発的に降伏を宣言できる」形にしようかと構想中です。

日本軍の場合は、包囲された要塞や孤立した島など、もはや逃げ道のなくなった守備隊は、連合軍戦闘フェイズに攻撃されて除去されれば勝利得点の対象外となりますが、日本軍戦闘フェイズに自ら攻撃を行って全滅すれば、攻撃実行による勝利得点を獲得できます。部隊の全滅による勝利得点の損失は、原則としてありません(多少の例外は必要になるかもしれません)。アッツ島における山崎保代大佐の最期の突撃や、硫黄島における栗林忠道中将の最期の突撃も、この方法ならば、当時の価値判断基準とほぼ同じ文脈で、自然に再現できる気がします。

アメリカ人デザイナーの作った太平洋戦争の陸戦ゲームを見ると、バンザイアタックというルールがしばしば見られますが、その内容は「攻撃側の損害が増大するリスクと引き換えに攻撃力が2倍になる」あるいは「有利な修正を受けられる」という、純粋に軍事的合理性に基づいてプレイヤーが自由に選択できる「攻撃の1バリエーション」として描かれているようです。しかし、実際に日本軍が絶望的な状況で行った、いわゆる「万歳突撃」は、軍事的合理性の判断ではなく、それとは全く別の次元の、自分および自分の所属部隊の名誉を守るための行動だったのではないかと、私は考えます。

このような価値判断基準とは対照的に、連合軍はシンガポールでもフィリピンのコレヒドール要塞でも、最後の一兵まで戦って全滅するとか、あるいは名誉を守るために軍事的合理性を無視した攻撃を仕掛けるといった行動はとらず、守備隊司令官に降伏を許可して、生き残った兵士を生き延びさせています。これは、連合国、とりわけアメリカ国内において、その作戦で兵士の生命がどれほど失われたかが重要な価値判断基準であったことの反映であったように思われます。

従って、連合軍の勝利得点は、米陸軍と米海軍のニ系統、場合によっては中国国民軍と英連邦軍を含めた四系統で、勝利得点の累計を行い、ゲーム中に被った人的損害(ユニットおよびステップの損失)に応じて、地理的条件に基づいて獲得した勝利得点が差し引かれるというルールにしようかと、考えを巡らせているところです。もちろん、中国国民軍については、日本ともアメリカとも全く異なる価値判断基準に基づくルールが必要になるかと思います。

連合軍プレイヤーは、次のターンにはシンガポールの守備隊が全滅すると確信したなら、自分のプレイヤー・ターンで「シンガポール守備隊を降伏させる」と宣言すれば、勝利得点の損失を回避できます。しかし、守備隊を降伏させずにそのまま残して、次のターンの日本軍戦闘フェイズで攻撃を受けて全滅したなら、一定数の勝利得点を失うことになります。早期に撤退すれば、地理的目標の損失によって敵に勝利得点を与えることになるので、連合軍はギリギリまで粘った後、日本軍にとどめを刺される前に(自発的に)降伏するという展開が、最も理想的となるわけです。

こうした価値判断基準を勝利条件に反映させれば、戦争後半の物量に依存した情け容赦のない攻勢も、無理なく再現できる気がします。要塞化された島の攻略は、最終的には海兵隊の白兵戦でしか成し遂げられないものですが、連合軍は上陸部隊の損害を可能な限り低く抑えるため、「鉄の暴風」のような艦砲射撃とロケット砲による上陸前の火力集中を実行して、要塞への打撃を試みることになります。

ゲームの最終ターンは、原爆投下とソ連参戦という、ゲームの中で変動させられないほど影響力が大きすぎる、二つの出来事が発生する直前の1945年7月とする予定で、原爆を投下するか否かという酷な判断を、プレイヤーに課すことはしません。しかし、上記したような価値判断基準に基づいて勝利得点ルールを作成すれば、その事実をどのように評価するかは別として、現代でも多くのアメリカ人が「原爆投下は(米兵の)人的損害を避けるために実施された合理的な判断だった」と信じている理由も、プレイヤーの心理に浮かび上がってくるのではないかと思います。

このゲームは、娯楽性を優先順位の下位に置くという基本的なコンセプトから考えて、万人に薦められるゲームにはなりそうにもありませんが(笑)、たくさんある太平洋戦争ゲームの中で、1つくらいは、このように視点の偏った(笑)ゲームがあってもいいのではないか、と思います。とりあえず、ロンメルさんの文庫本が仕上がったら(まだまだ苦戦中ですが、今回も良い本に仕上げられそうな手ごたえがあります)、じっくり取り組むつもりです。
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