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2007年1月26日 [戦略級 日露戦争]

「戦略級 日露戦争」のミニゲームがようやく出来上がりました。
1904年8月から05年4月までの全9ターンですが、1時間30分から
2時間ほどで終わります。陸上作戦だけを抜き取ったゲームで、
なりは小さいですが立派な「ミニ作戦級」ゲームになったのでは
ないかと思います。本文記事が完成するまでに、あと少しテスト
とアラ探しをしますが、今までの「レトロスペクティブ」作品と同様、
オリジナル版と併せて楽しんでいただけたらと思います。

あと、来週月曜日に三重県の新居へ引越しをする予定となっており、
その関係で前後数日くらい連絡が途絶える可能性があります。
たぶん大丈夫だと思いますが、あらかじめ状況をお知らせしておき
ますので、よろしくお願いいたします。


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2007年1月13日 [戦略級 日露戦争]

今日、石田さんと「戦略級 日露戦争」リプレイ記事用対戦の再戦を行い
ました。詳細な記録を取りながらのプレイだったため、丸一日を費やすこと
になりましたが、要所要所でなぜか史実とそっくりの事件が発生するなど、
二人とも大満足の白熱したプレイ内容でした。

この対戦の経過は、「戦略級 日露戦争」収録のリプレイ記事をお読み
いただくまでのお楽しみということにさせていただきますが、私が過去に
数限りなくシミュレーション・ゲームをプレイしてきた中で、今回日本軍を
担当して旅順を陥落させた時ほど、心の底からの深い安堵感を覚えたこと
はありませんでした。ぜひ発売を楽しみにしていただければと思います。


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2006年12月31日 [戦略級 日露戦争]

2006年も、今日で終わりです。「戦略級 日露戦争」の発売や、以前に本
ブログで予告したウォーゲームのイベント、そしてシックス・アングルズ製品
のリプレイ記事PDFの無料配布など、年内に実現するつもりでできなかった
ことがいくつか残りましたが、全体としては満足すべき一年だったと思い
ます(プライベートでも結婚という大きな変化がありました)。来年も、全て
の分野でベストを尽くして、皆さんに評価していただける仕事を残していけ
たらと考えています。今後とも、ご愛顧のほど、よろしくお願いいたします。

今年最後の仕事として、「戦略級 日露戦争」のプレオーダー募集を開始
しました。ようやく自分で納得できる形で発売できる目処が立ちました。

http://www.mas-yamazaki.net/sixangles_redsun.html

今まで同様、プレオーダーのメールをいただいてから数日以内に、3ケタの
ご予約番号を入れた返信メールをお送りしますが、2007年1月1日昼から
3日の夜まではメールチェックできなくなりますので、ご了承いただければ
幸いです。リプレイ記事PDFの無料配布は、年明け早々に実現します
(PDFの製作は既に完成しています)。あと、ウォーゲームのイベントですが、
2007年2月にまず大阪で催す方向で計画を進めています(サンセット・ゲー
ムズのホームページを参照してください)。

それでは、皆さんも、よいお年を!


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2006年12月30日 [戦略級 日露戦争]

今から102年前の今日、寒風吹きすさぶ旅順要塞では第1師団の松樹山
攻略戦がまだ続いていたわけですが、今まで観よう観ようと思いつつ、
見る機会のなかった映画「二百三高地」を、昨日ようやく鑑賞しました。

昭和後期を代表する名優が大勢出演したこの作品は、旅順攻略で多大な
人的損害を出した乃木第3軍の単調な突撃戦術を批判的に描いています。
確かに、劇中の乃木自身が認めているように、彼は軍事的才能という面で
は「軍司令官」の器でなかったことはある程度事実でしょうが、しかし弾薬
不足や「海上封鎖に伴う艦艇の損傷」やバルチック艦隊の回航などは、
彼一人の責任ではないはずです。それを考えれば、最近の研究書で述べ
られているように、乃木をことさら無能扱いする従来の史観は、逆に日本軍
が体質的に内包する組織的な問題点から目を逸らす役割を果たしていた
のだろうと改めて思いました。旅順陥落の日付には間に合いませんでした
が、「戦略級 日露戦争」の製作もいよいよ大詰めです。どうぞお楽しみに。


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2006年12月25日 [戦略級 日露戦争]

12月23日の土曜日、予告どおり石田さんと「戦略級 日露戦争」のリプレイ
記事用対戦を行いました。ところが……展開があまりにも極端で、しかも
ゲーム途中で私の指揮する日本軍の破滅的敗北により終了(投了)して
しまったので、やむを得ず来年1月にやり直しの対戦をすることになりまし
た(石田さん、すいません)。


第4ターン(1904年5月)終了時の戦況。遼陽で対峙する日露両軍。


第6ターン(1904年7月)終了時の戦況。日本軍は史実より早く遼陽を攻略。


第7ターン(1904年8月)、ウラジオ艦隊が日本軍の商船活動を妨害。

第6ターンが終了する頃までは、日本軍は調子よく前進できていたのです
が、第3ターンにロシア軍旅順艦隊が日本軍の海上封鎖を突破(優秀な
東郷提督の能力を以てしても海上封鎖中の第1インパルスには6分の1の
確率で出撃失敗→捕捉失敗となる)して日本軍の商船隊ユニット2個を撃
沈した影響が少しずつ出始め、陸上作戦が停滞するようになりました。
そして、ロシア軍ウラジオ艦隊による商船活動への妨害行動で日本軍
兵力の大陸移送がはかどらず、遼陽戦線の膠着を打開するために、大山
元帥直率の支隊を営口西方の錦州に上陸させ、そこから一挙に敵戦線
背後の奉天へと進出させました。


第7ターン、大山支隊が錦州から奉天に進出。朝鮮戦争の仁川上陸ばり
の奇襲反攻。


第8ターン(1904年9月)、日本軍は奉天を攻略。しかし兵力的にはかなり
危ない状態。


同、旅順攻略に動いた奥第2軍。

この奉天包囲戦により、ロシア軍10個師団(全て戦力半減状態)を補給
切れで全滅させ、奉天正面の戦況を一挙に好転させることができたかに
見えました。ところが、第8ターンにまたしてもロシア軍旅順艦隊が封鎖
を突破。大山支隊の補給を司る錦州の商船隊が沈められ、奉天正面で
は日本軍の3個師団と4個旅団が全滅。大本営は、最後の望みを旅順攻
略に賭けましたが、第9ターンに実施された大連攻撃で歩兵1個師団と
後備旅団1個が全滅した上、第2軍の奥司令官が戦死したことで、一縷
の希望も潰えました。やはり日本軍にとっての最重要ユニットは「商船隊」
であり、この地味なユニットこそが日本軍の生命線であることを痛感させ
られた次第です。


第9ターン(1904年10月)、大連攻略で日本第2軍は壊滅的損害を被る。
奥司令官もあえなく戦死。


同、遼陽方面に残った日本軍は、戦力半減状態の2個師団のみ。
大山元帥は荒野をさまよう。

ゲーム展開としてはなかなか盛り上がった面白い対戦でしたが、日本軍
の運用法が根本的に誤っていたことが判明したため、今回のプレイ内容を
リプレイ記事にはしないことに決めました。このゲームにおける日本軍は、
前進途上でのロシア軍との交戦に際して、通常のゲームのように1つずつ
攻撃したのではすぐに攻撃側へのステップロスで部隊をすり減らすことに
なるため、「むやみに攻撃せず、包囲して1ターン待つ」という方法を多用
すべきだということを改めて確信しました。

日本軍の移動の後、次のターンの海上作戦ステージを挟んでロシア軍補
給判定フェイズがあり、そこで補給切れと判定されたユニットは全て1ス
テップを失うので、序盤に地図上にいる1ステップのロシア軍ユニットは、
補給線を断つだけで壊滅させることができます(その逆もまた真)。そして、
このゲームでは平地と道路つながりの隣接ヘクスにしかZOCが及ばない
ため、敵がユニットを連ねた「戦線」を形成せず、前哨部隊のような形で部
隊を前に進めていれば、攻撃という損害を伴う行動をとらなくても、わりと
簡単に包囲殲滅することができるわけです。

ただ、遼陽や奉天など、保持しなくてはならない重要拠点では当然、ロシ
ア軍も戦線を形成してくるので、日本軍はこうした場合にのみ、損害覚悟
の波状攻撃を実施することになります。要するに、このゲームの日本軍は
「いかにして(主要会戦以外の)戦闘を行う回数を減らしながら前進するか」
を最優先に考えなくてはならないわけです。遼陽会戦を開始する段階では、
日本軍の攻撃参加師団は全て完全戦力でなくては以後の北進作戦に支
障が生じるようです。

一方のロシア軍は、日本軍の前進をすぐに食い止められる兵力はなく、
ある程度の兵力が溜まるまでは、包囲されない位置まで後退しつつ、防
衛線構築を試みることになります。ゲーム前半のロシア軍は、ウラジオ艦
隊と旅順艦隊を活発に活動させて日本軍の商船活動を妨害し、陸上では
増援兵力の集中を心掛けて、日本軍の弱点に対する限定的な反撃を行
うことになります。

戦争全体のイニシアチブは、開戦後の数ターンは日本側が握っているた
め、ロシア軍プレイヤーは海軍の活発な活動で日本陸軍に間接的アプ
ローチで打撃(限定補給源である商船隊の除去)を与えた上で(これは
ボディブローのように後から効いてきます)、陸上での作戦を展開して、
イニシアチブを徐々に日本側から奪い取るよう努力しなくてはなりません。
ロシア陸軍の全般的な指揮能力は、日本軍から大きく劣っており、ロシ
ア軍プレイヤーは史実同様、よほどの運に恵まれない限り大規模な反攻
はなかなか行えない(多くのユニットが同時に活性化できる確率が低い)
のですが、防衛線の形成を工夫したり、限定的反撃による戦闘後前進で
拠点を奪回するなど、日本軍に損害を強いるような展開へと持っていくこ
とができれば、自ら大攻勢を行わなくても日本軍を自滅へと追い込むこと
ができます。このあたりの状況は、当時の日露双方の戦略的な国力差を
考えるとなかなかにリアルだと思います。

今回の対戦では改めて、このゲームにおける日露両軍の「とるべき戦略
と作戦」が、史実における日露両軍のそれとかなりの部分で一致している
ことを実感しました。東郷提督は1904年7月11日、大本営に対し「海上封
鎖の艦艇は消耗が激しく、封鎖活動が長期化することは危険である。バ
ルチック艦隊が回航してくる前に、本土の軍港へ帰港して修理する必要
があるから、一刻も早く旅順港を陸から攻略されたい」との電報を送って
いますが、一度このゲームの日本軍をプレイされれば、この東郷提督の
言葉がひしひしと身に染みて理解できるでしょう。日本軍は、遼陽の占領
と並行して、確実な旅順攻略のプランを準備した上で兵力の陸揚げを行
い、充分な兵力を南山方面に送らないと勝利の可能性は遠のきます。

また、今回の対戦では、日本軍商船隊の損害が大きく、船舶不足でウス
リー支作戦(朝鮮北東部ないしロシア領内への上陸)を実施できないと見
切られてしまったため、石田ロシア軍はウラジオストク方面のリネヴィッチ
とその配下部隊を鉄道で奉天正面に回していましたが、次回の再戦では
ウスリー支作戦の可能性と効果についてもプレイを通じてきちんと検証で
きる戦況に持っていければと考えています。とはいえ、旅順攻略という最
優先課題を間違いなく達成するために、効果の定かでないウスリー支作
戦を延期したという理由も、このゲームをプレイすればよくわかります。
史実では、日本軍が戦争末期に朝鮮北東部と樺太に限定的な上陸作戦
を行って「第二戦線」「第三戦線」を築いたのは、単に講和交渉の駆け引き
のためでしたが、標準ルールではその部分が抜けているので、より史実
に近い勝利条件を再現できる日本版選択ルールを考案中です(これらの
選択ルールで使用するオプションユニットとして、オリジナルには含まれて
いなかった第13~16歩兵師団と同後備歩兵旅団、第2後備歩兵師団、
長谷川中将の北朝鮮軍司令部、および以前にお話した秋山やミシチェン
コなど4人の戦術指揮官の各ユニットを新たに追加しています)。

自社製品を発行人が褒めるのは当然なので、読まれる方もその辺りの
「宣伝色」を勘案されているとは思いますが(笑)、プレイを重ねれば重ねる
ほど味が出る、奥の深い正統派のシミュレーションゲームですよ、これは。


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2006年12月22日 [戦略級 日露戦争]

明日の土曜日、石田さんと「戦略級 日露戦争」のリプレイ記事用対戦を
行います。ルールの不明点はほぼ出尽くしたと思いますので、あとは
日露両軍の「面白さ」をチェックして、日本版選択ルールを考案するヒント
を得られればと思っているのですが…。前回の「砂漠のキツネ」の対戦
では名将ロンメルの名誉に傷を付けてしまったので、今回は大山元帥や
東郷提督に恥をかかせないよう、一層奮闘努力したいと思います。


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2006年12月11日 [戦略級 日露戦争]

今日は「戦略級 日露戦争」の商船隊ユニットについての話です。

過去の記事でも触れましたが、このゲームの日本陸軍は商船隊の存在なく
しては何の活動も行うことができません。本土から大陸へと移動するには
商船隊ユニットに運んでもらわないといけませんし、沿岸ヘクスに限定補給
源(商戦隊ユニットの裏面)がなければ、補給を受けられずに全滅します。

ゲーム開始時には、日本軍の商船隊は7個与えられていますが、ゲーム
の途中で初めて東支鉄道を分断したり、ソウル、遼陽、旅順、奉天の各
都市を占領した時に、新たな商船隊を1個、ゲームに登場させることが
できます。この「海外での戦費調達」というルール(18.3項)は、日露戦争
に詳しい方ならご存知のように、高橋是清によるロンドンでの日本公債
売却による戦費調達を表しています。極東からの「日本軍戦勝」の報道
がヨーロッパに伝わるたびに、日本公債への応募が殺到し、当座の戦費
を賄う資金を捻出することができました。こういった戦略レベルの史実が
きちんと再現されているあたりも、私がこのゲームを気に入っている理由
のひとつです。なお、ウラジオストクの陥落はこの戦費調達ルールには
何の影響もありませんが(実際のところ、日本軍がウラジオストクを占領
するというのは独ソ戦でドイツ軍がゴーリキーを占領するくらいに難しいと
思います)、一応日本版改訂ルールではフォローしておくつもりです。

追伸: KY様、ノルウェーとデンマークの資料、確かに拝受いたしました。
  関連の原稿を執筆する際に活用させていただきます。貴重な資料を
  お譲りいただき、ありがとうございました。


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2006年12月5日 [戦略級 日露戦争]

シックス・アングルズ製作では毎回恒例となりましたが、今回の「戦略級
日露戦争」でも、ルールブックの校正ボランティアを募集したいと思います。
作業内容は、PDF形式のルールブックを読み込んで、説明不足や不明確
な箇所、矛盾点などの「あら探し」をしていただくというものです。金銭的な
謝礼等はお渡ししていませんが、ご協力いただける方がおられましたら、
メールにてご一報ください。よろしくお願いいたします。


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2006年12月2日 [戦略級 日露戦争]

先週に引き続き、今日も石田さんと「戦略級 日露戦争」のルール検証の
プレイテストを行いました。二人とも、だいぶ経験を積んだせいかプレイの
進展はかなりスムーズになり、だいたい4ターンで1時間というペースで
プレイできました(活性化の成否で1ターンの時間が変わるので、均等に
1ターン=15分というわけではありません)。ゲーム全体のターン数は、
1904年2月から1905年12月までの23ターンですが、たいていは14ターン
か20ターンの勝敗判定でゲームの決着がつく(講和成立)ので、慣れれ
ば4~5時間でキャンペーンをプレイできる計算になります。


旅順港を海上封鎖中の日本軍第1艦隊(東郷提督)。

今回のプレイでは、日本軍は1904年のうちに乃木将軍の第3軍を、ウラジ
オストクに近いロシア領に上陸させて、同港から伸びるシベリア鉄道を脅
かしつつ、リネヴィッチの第1満洲軍に所属する3個ないし4個東シベリア
狙撃兵師団を遼東半島の主戦場から引き離すという戦略を事前に立てて
いました。ところが、黒木将軍の第1軍が、序盤のターンで繰り返し(計3
ターン)活性化に失敗してしまったせいで、東支鉄道方面への進出が予
定より遅れたため、日本軍は戦略の見直しを迫られることになりました。

本ゲームの日本軍は、第5ターン以降の3ターンごとに、1個の新しい都市
を占領することを課せられており、それが達成できないと即座にゲームが
終了します。史実通りの順番だと、第5ターン=1904年6月末までに仁川、
第8ターン=1904年9月末までに遼陽、第11ターン=1904年12月末まで
に旅順、第14ターン=1905年3月末までに奉天を占領という展開になりま
すが、第8ターン終了時までに遼陽を占領せよとの厳命を受けた黒木は、
遼陽正面のロシア軍部隊に対して(包囲攻撃ではなく)正面攻撃を繰り
返し(1回の戦闘フェイズは3回のサブフェイズで構成されており、活性化
している攻撃側ユニットは敵と隣接し続けている限り、1フェイズに3回の
攻撃を実施できる)、第7ターンの遼陽占領という目標達成と引き換えに、
4個歩兵師団が減少戦力となる大損害を被ってしまいました。


1904年8月、多大な出血により遼陽を占領した日本軍の黒木第1軍。

続く3ターンで旅順または奉天を占領しないといけない日本軍は、旅順港
の攻略を後回しにして奉天方面に主力を送り、第8ターンから第11ターン
にかけて奉天に総攻撃を実施、これを占領することに成功しました。しかし、
この奉天会戦でも日本軍の損害は甚大(確率的には戦力比に関わらず
6分の1でしか出ないはずの「2/2(双方2ステップロス)」という結果が、
今回の対戦では異様に多く出た)で、相次ぐ歩兵部隊の戦力低下を補う
ため、大湊港で待機していた乃木将軍にはウスリー方面への上陸作戦
の中止が伝えられ、第3軍の兵力は鹿児島経由で大連へと送られること
となりました(ただし指揮統率値2の乃木将軍は、鹿児島で下船して待機
を命ぜられる)。


奉天を攻める黒木軍。しかし激戦を続ける各師団の戦力は既にボロボロ。


第10ターン終了時点で本土に残る兵力。これが全て。


1904年12月、奉天入城を果たした黒木第1軍。だが、ロシア軍の兵力は
鉄道で続々と到着し続けており、行く手には暗雲がたち込める。

その後、日本軍は旅順港への総攻撃を開始しましたが、やはり「1/1」や
「2/2」の結果が連発し、第12ターン(1905年1月)だけで1個歩兵師団と
2個後備歩兵旅団が壊滅する惨事となりました(ちなみに攻撃を命じたの
は奥将軍の第2軍)。しかし、ロシア軍の旅順守備隊は、1回防御を行う
ごとに、備蓄している補給ポイント(鉄道線が通じている間は1ターンに
旅順またはウラジオストクのどちらかに1ポイントずつ蓄積できる)を1ずつ
消費する上、備蓄できる上限も12と決まっているため(開始時には6ポイン
トを保持)、1ターンに3回ずつ日本軍が攻撃を繰り返せば、残存ステップ
が日本側に残っている限り、いずれ旅順要塞の補給ポイントが底を尽き、
一挙に防備が瓦解することになります。このあたりの「出血覚悟の波状
攻撃」は、史実の二〇三高地の戦いを彷彿とさせ、なかなかリアル(それ
ゆえに悲壮)です。

第13ターン開始時における旅順要塞の備蓄補給ポイントは3しかなく、
このままでは旅順艦隊が戦わずして失われると危惧したロシア軍は、
遂にマカロフ提督率いる旅順艦隊を出撃させ、旅順港の海上封鎖を続け
る東郷提督の連合艦隊に決戦を挑みました(それまでは決戦を避けて
要塞港に籠もっていた)。その結果、ロシア海軍の旗艦ツェサレヴィチほか
戦艦4隻が大破、対する日本海軍は無傷で、これにより旅順艦隊の運命
は事実上決しました。第13ターン(1905年2月)、大連から上陸した川村
将軍の第5軍(史実の鴨緑江軍)部隊によって、旅順要塞は陥落し、旅順
港に閉じこめられたロシア艦隊は次々と自沈して姿を消しました(旅順攻
略の功労者である奥将軍は、肝心なところで活性化に失敗したため、
輝かしい戦功を川村将軍に横取りされる結果となりました)。


1905年2月、遂に旅順陥落。明け渡された要塞には旭日旗が翻る。

しかし、旅順要塞の陥落は、期せずしてロシア満洲軍将兵の士気を大きく
鼓舞する効果をもたらし、それまでのターンでは半分以下の確率でしか
活性化していなかったロシア軍部隊は、第14ターン(1905年3月)にはほと
んどが活性化に成功し、奉天を守る黒木の第1軍に襲いかかりました。
既に弱体化したまま、大連からの援軍の到着を待っていた黒木軍は、
怒濤のようなロシア軍の猛攻によって壊滅し、黒木将軍は戦死させられ
て、奉天はロシア軍の手に奪い返されてしまいました。


1905年3月、ロシア軍の大反攻で奉天が奪回され、黒木将軍は戦死。

この結果、第14ターン終了時に日本軍が占領している都市数は必要数に
1個足りない3個となり、ゲームはロシア軍の辛勝で終了となりました。
今回もまた、日本軍が敗れる結果となりましたが、どうやっても勝てないと
いう徒労感を感じることはなく、研究を重ねてうまくやれば日本軍が勝つ
ことも充分可能という感触を新たにしました。また、プレイを繰り返すにつれ
て、デザイナーのフランク・デイヴィスが私の考えていた以上に、日露戦争
というテーマを深く理解しているらしいことが見えてきました(デイヴィス様、
すいません)。一見すると「リサーチミスか?」と思われるマップの地形
(奉天=遼陽間の鉄道線の延び方や、安東=遼陽間の道路の引き方
など)も、何度もプレイすると指揮範囲や補給範囲を考慮した上での意図
的な処理であることがわかってきました。

ロシア軍(クロパトキン)は、軍事戦略的には序盤は遅滞戦術をとりつつ
増援兵力の到着を待ち、それらが充分に集まったところで広範囲からの
包囲攻撃を仕掛けるというのが最善ですが、都市を失ってばかりいると
日本軍がどんどん有利になるため、都市を守るか、それとも北へ撤退する
かというジレンマに繰り返し悩まされることになります。本ゲームの補給
ルールは、補給切れ即全滅という非常に厳しいものなので、包囲の危険
が生じれば、ユニットを後ろに退かさざるを得なくなります(戦闘前退却と
いうルールがあるので、指揮系統さえ整っていれば、包囲から逃げられ
る可能性も高い)。

次回は、いよいよ本誌のリプレイ記事用の対戦となります。今度こそ、
北の熊を退治すべく、戦略計画案を練り直したいと思います。


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2006年11月27日 [戦略級 日露戦争]

土曜日の11月25日に、石田さんと「戦略級 日露戦争」のルール検証
プレイを行いました。前半のほぼ半分を2回繰り返してプレイしましたが、
1度目は日本軍が進撃を焦りすぎて逆包囲を食らい、2度目は逆に慎重
になり過ぎて兵力の展開が遅れたことで、2回とも(私の指揮する)日本
軍の劣勢という展開となってしまいました(でもたっぷり楽しめました)。

このゲームの日本軍プレイヤーは、対戦前に序盤の作戦プランをかなり
練りこんでおく必要があります。特に、ゲーム開始時に7個しかない(あと
はソウルや東支鉄道、旅順、遼陽などの重要地点を初めて占領するごと
に1個ずつ増える)商船隊の運行スケジュールを詰めておくことは、実際
の戦争でもそうであったように、この戦争における日本の勝機を大きく左右
します。場当たり的に兵力を送るだけでは、時々刻々と増加するロシア軍
の兵力に圧倒されて、消耗戦の泥沼にはまり込むことになります。ウラジ
オストク方面への上陸の可能性(この方面からのロシア軍兵力引き抜きの
回避)を残しつつ、本土の師団や旅団、砲兵を効率よく大陸に運び、また
戦線の進展に伴う補給拠点の移動にも気を配らなくてはなりません。

今回、ゲームの戦史面の監修役を引き受けてくれた瀬戸さんも指摘して
いましたが、このゲームのデザイン・コンセプトは「史実の日露戦争の経過
をたどること」ではなく「当時の日本軍参謀本部が構想した対露戦争計画
を地図上で検証すること」にあったと思われるので、日本軍プレイヤーは
参謀本部が行ったのと同様の「グランド・ストラテジー」の視点で兵力展開
と作戦遂行を考える必要があります。ルールの量は比較的少ないですが、
プレイヤーが考慮しなくてはならない要素が非常に深く、戦略レベルでの
日露戦争とはこんな戦いだったのか、と体感できることも多いです。

特に、日本軍プレイヤーが痛感させられるのが、ゲーム全体で使用できる
ユニットの数が限られているという現実。日本版のバリアントでは、第13~
第16師団を動員して、ポーツマス会談での取引材料として使うために樺太
に上陸させたりすることもできますが、標準ルールでは歩兵13個師団(第1
~第12と近衛)と13個後備旅団、2個騎兵旅団の他は砲兵だけなので、
これらを大事に使わなくてはなりません。ところが、陸上戦闘の結果は全て
ステップロスで適用されるため、1ステップの損失でユニットを除去するたび
に「断腸の思い」に囚われます。なぜなら、師団ユニットは完全戦力で2ス
テップ、旅団ユニットは1ステップしか持たず、いったん全滅して除去された
日本軍のユニットは、補充ポイントを使用しても復活させることができない
からです。しかも、日本軍が受け取る補充ポイント(減少戦力段階の師団
を完全戦力に戻すために使用できる)数は、ゲーム全体でわずか7ポイント
(3ヶ月ごとに1ポイント!)しかありません。私はプレイ中に何度も、当時の
日本政府はよくもこんな無謀な戦争を始めたものだと感嘆させられました。

フィンランドやトルコでは、今でも日露戦争当時の日本の奮戦を賞賛する
意匠(ビールのラベルなど)がありますが、彼らが(当時の)日本に対して
敬意を払う理由が、このゲームをプレイすれば実感できると思います。


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