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2021年9月1日 [その他(雑感・私生活など)]

7月と8月の主な仕事(ずっと続けている本の執筆等は除く)と出来事の報告です。

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まず、7月6日に「歴史群像」第168号が発売されました。今回の担当原稿は、第三特集の「金門島の戦い 1949」で、第二次大戦後の国共内戦(中国国民党と中国共産党の戦い)末期に台湾海峡の西側にある金門島で繰り広げられた激戦を、主に台湾の資料に依拠して読み解きました。

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金門島は現在も、中国と台湾の緊張で重要な意味を持つ場所です。

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金門島へは2013年に訪れたことがあり、上の写真は現地の博物館と海岸で撮影したものです。

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この記事では、日本の一部で信じられている「金門島の戦いの本当の指揮官は元日本陸軍中将の根本博だった」「根本が台湾を救った」等の「ストーリー」の信憑性についても触れています。「軍事顧問」という限られた役割の中で、まったく何の貢献もしなかったとは思いませんが、「当時の日本軍人を英雄視したい」という願望で、勝手に話を膨らませて戦勝の手柄を奪うのは、実際に戦って共産党軍を撃退した国民党軍の将兵と台湾の人に失礼な態度です。



ネット記事のWezzy連載「詭弁ハンター」は、第8回と第9回が公開されました。


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第8回のテーマは「説明責任放棄の呪文と化した『丁寧に説明する』という詭弁」。「丁寧に説明する」という言葉は、現首相や前首相が何かにつけて口にするため、聞く方も慣れてしまい、これの何が問題かわからなくなっている様子ですが、改めてこの詭弁の問題を論考しました。以下、一部抜粋。

「安倍氏や菅氏が語る『丁寧に説明していく』とは、実際には「お前ら下々の国民に説明することなど何もない』という意味です」「また、民意を無視して政府中枢の一部の人間が密室で物事を決め 、国民は『決まった後で政府の説明を聴くだけ』というのは、民主主義ではなく、独裁国でよく見られる光景です」

【記事】説明責任放棄の呪文と化した『丁寧に説明する』という詭弁

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第9回のテーマは「『始まったからには東京五輪応援を』という、善意につけ込む詭弁術」。東京五輪開幕と同時にあちこちから出始めた「始まったからには東京五輪応援を」という文言が、実は「善意につけ込む詭弁術」であることを論証しています。以下、一部抜粋。

「この詭弁に誘導されそうになったら、いったん立ち止まって、医療関係者の『声』を思い出しましょう。そうすれば、『始まったからには』という言い方が『煙幕』のような詭弁だと気づく」「医療関係者の声に耳を傾け、国民の命と健康を守るために東京五輪の中止を政府に求める。それは、東京五輪が『始まってから』言い続けても全然おかしくはないのです」

【記事】『始まったからには東京五輪応援を』という、善意につけ込む詭弁術



また、7月は「Choose Life Project(CLP)」というネットメディアの番組に、2回出演しました。

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7月22日は、「コロナ禍の五輪開催を考えるVol.5: なぜ私たちは反対の声をあげるのか」という番組で、せやろがいおじさんの進行に沿って様々な立場の人が「東京五輪の開催に反対する理由」を説明する内容でした。

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その中で、私も10分ほど時間をいただいたので、「なぜ東京五輪を今からでも、開幕した後でも中止すべきなのか」「日本政府の東京五輪ゴリ押し開催からどんな問題が読み取れるのか」「なぜ民意無視・人命軽視の開催強行を国民が追認してはいけないのか」などを話しました。
【動画】コロナ禍の五輪開催を考えるVol.5: なぜ私たちは反対の声をあげるのか

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7月27日は、「コロナ禍の五輪開催を考えるVol.6: メディアの役割とは何なのか?」という番組で、小島慶子さんの司会で二人のジャーナリストの方と共に、平時とは違う「非常時」に、メディアがやるべきこと、メディアがやってはいけないこと等について、意見を述べました。

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【動画】コロナ禍の五輪開催を考えるVol.6: メディアの役割とは何なのか?



8月15日、アフガニスタンの首都カブールに、タリバン勢力が事実上無血で入り、2011年から20年続いたアメリカ軍のアフガニスタン戦争は、完全な敗北に終わりました。

今から10年前の2011年、前後編の2回に分けて、開始から10年が経過した米軍のアフガニスタン戦争を総括する記事を「歴史群像」誌に寄稿しました。その2本の記事を1本にまとめた電子版記事『米軍のアフガニスタン戦争』は、アマゾンkindle版で発売中(350円)。さらに10年が経過した今、全体を振り返るのにお薦めです。

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【電子書籍】米軍のアフガニスタン戦争(六角堂出版)




8月24日には、竹田恒泰氏が私に対して起こした裁判の控訴審判決が、東京高裁で言い渡されました。

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一審に続き、こちら側の全面勝訴でした。

ご支援いただいた皆様、ありがとうございました。

下は、東京高裁で言い渡された判決文の一部抜粋です。控訴審の判決文は、原判決(一審判決)の内容に修正を加える箇所が多いですが、画像の抜粋部分は全て、控訴審の判決で東京高裁の裁判官が新たに修正または追加された文章です。

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判決文のPDFは、今回も近日中に支援する会のサイトで公開します。


一審に続いて控訴審判決も、時事通信がいち早く報じて下さいました。

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作家の竹田氏、二審も敗訴 差別指摘は「公正」東京高裁(時事)
「ツイッターで『差別主義者』『いじめの常習者』などと指摘されたのは名誉毀損(きそん)だとして、作家の竹田恒泰氏が紛争史研究家の山崎雅弘氏に550万円の損害賠償と投稿の削除などを求めた訴訟の控訴審判決が24日、東京高裁であり、高橋譲裁判長は「各ツイートは公正な意見論評の表明』とし、竹田氏側の控訴を棄却した」「高橋裁判長は、竹田氏が書籍やツイートで中国や韓国に対し攻撃的、侮蔑的表現を多数使用したと認定。山崎氏の投稿は『(竹田氏の)言動や表現方法から導かれる意見論評として不合理と言えない』と結論付けた」「一審東京地裁も今年2月、山崎氏の投稿を『公正な論評で違法性を欠く』として、請求を棄却していた」


【記事】作家の竹田氏、二審も敗訴 差別指摘は「公正」東京高裁(時事)


東京新聞と神奈川新聞、弁護士ドットコム・ニュースでも、判決を記事にして下さいました。

竹田恒泰氏、名誉毀損訴訟の控訴審でも敗訴 差別指摘投稿は「公正な論評、意見の表明」(東京新聞)
「高橋裁判長は、竹田氏がツイートや著書で中国や韓国に攻撃的、侮辱的な表現を多数使っていたと認定。山崎氏の投稿は『意見・論評として不相当・不合理とまでは言えない』」


【記事】竹田恒泰氏、名誉毀損訴訟の控訴審でも敗訴(東京新聞)

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竹田恒泰さん、二審も敗訴 「差別主義者」ツイートは名誉毀損にあらず「公正な論評」(弁護士ドットコム・ニュース)

明治天皇の玄孫(やしゃご/孫の孫)で作家の竹田恒泰さんが、「差別主義者」などとツイートされたことで名誉を傷つけられたとして、戦史研究家の山崎雅弘さんに損害賠償などをもとめていた裁判で、東京高裁(高橋譲裁判長)は8月24日、竹田さんの請求を棄却した一審判決を支持し、控訴を棄却した。一審の東京地裁と同じく、ツイートを「論評」と認めた控訴審判決を受けて、山崎さんは「私の一連の投稿が、社会から差別をなくすという公益に寄与する公正な論評だと認められました」とコメントした。


【記事】竹田恒泰さん、二審も敗訴 「差別主義者」ツイートは名誉毀損にあらず「公正な論評」

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新型コロナの感染は、いまだ収束の兆しを見せず、私の住む三重県も緊急事態宣言の適用地域となってしまいました。デルタ株の感染力は強く、換気の悪い空間で空気(エアロゾル)による感染も報告されているようです。皆様も、どうか気を緩めず、ご安全にお過ごしください。


【おまけ】

三重県名張市には、青蓮寺湖とひなち湖という二つの人造湖があり、それぞれ大きなダムでせき止められています。

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その一方であるひなちダムを下から見ると、「進撃の巨人」の壁そのもの、という気分に浸れます。てっぺんを見上げていると、調査兵団の面々が、立体機動装置で降りてきそうな雰囲気です。

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2020年12月31日 [その他(雑感・私生活など)]

うかうかしているうちに、2020年も最終日となってしまいました。先月もあれこれ忙しくて、ブログ更新の機会を逸しました。ということで、まず11月の出来事から。

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11月6日、「歴史群像」誌の12月号が発売されました。私の担当記事は「フランス領インドシナの第二次大戦」で、日本軍関係の戦史や昭和史の本にも「仏印」という名称で断片的に登場する、東南アジアのフランス植民地(現在のベトナム・ラオス・カンボジア)の第二次大戦(特に日本軍の軍事行動)との関わりを概説しています。

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1933年に始まった、日本とフランスの南沙諸島(現在、中国と周辺諸国およびアメリカとの間で紛糾の的となっている領域)の領有権争い等にも触れています。

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1941年12月に米英と戦争を始める際、東條首相は「アジア植民地の解放」を大義名分としましたが、1940年6月に本国政府がドイツへ降伏したあと枢軸国寄りの立場をとるフランスの植民地統治はそのまま尊重し、協力関係を築いて仏印の領土を兵站と航空機の基地として利用しました。つまり、ベトナム人等の独立運動を支援せず、逆に弾圧する側に立っていました。

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歴史群像」誌12月号の読者コーナーには、10月号に寄稿した「済州島4・3事件」と「歴史ボードゲームの楽しみ方」の記事への感想が寄せられていました。伝えたいことが読者にちゃんと伝わっている事実を知る時、筆者として大変うれしく思います。


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11月15日には、晶文社から内田樹さん編のアンソロジー本『ポストコロナ期を生きるきみたちへ』が刊行されました。既存の社会システムの枠組みがあちこちで崩れて不安な気持ちになっているかもしれない中高生向けのメッセージ、という企画で、以前から若い世代に伝えたいと思っていたことを書きました。

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本の企画は「中高生向け」ですが、私はほとんど「いまの中学生」を念頭に置いて書きました。私が中学生だった頃、教師の振りかざす「内申書という脅しの武器」に萎縮して、振る舞いが縮こまっていった友人たちを思い出しながら。当時のそんな教育が、いまの日本社会の「あれやこれや」の原因でしょう。

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もちろん、一般の書店に並ぶ本ですから、同年代を含む「大人」の方々にも読んでいただきたいと思いつつ、今後の社会で必要になる「能力」を自分でみがく必要性についても論じました。これが正解だ、というような、マニュアル的な「答え」は何も用意していませんが、ぜひご覧いただければと思います。

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この本に関連して、私と同じく寄稿者の一人である青木真兵さん、奥さんの海青子さんのお宅(奈良県東吉野村にある人文系私設図書館「ルチャ・リブロ」)で11月29日に収録した1時間ほどの鼎談が、以下のサイトで公開されています。

【ポスコロ期】いつも心に反抗を

過去にも何度か、同ネットラジオに出演していますが、今回は『ポスト・コロナ期を生きるきみたちへ』に寄稿した内容を軸に、自由や教育、批判や反抗が必要な理由などについて話しました。

私の担当記事のタイトルにある「図太く、しぶとく」という言葉は、私の心構えであるのと共に、新聞記者や教師を含む友人を励ます時にもよく使っている言葉です。理不尽や不条理と対峙し続けるのは大変ですが、ただ「お互い頑張りましょう」でなく「図太く、しぶとくでいきましょう」と。

「図太く、しぶとく」という言葉は、ちょっとワイルドな感じの表現ですが、この後に「礼儀正しく」を付け加えると、より私の真意が伝わるかと思います。「図太く、しぶとく」と「礼儀正しく」は両立可能で、後者が前者の説得力を増すはず。人は本来、もっと図太く、しぶとく生きていいはずなんです。

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12月に入ると、以前にインタビューを受けたことのある「Wezzy(ウェジー)」というネット媒体で「詭弁ハンター」という連載コラムがスタートしました。

日本の社会を徘徊して、いろいろなものを破壊する「詭弁」という怪物に光を当て、その構造を解剖して読み解き、だまされないような免疫を皆で共有するのが趣旨です。昔は、ジャーナリズムがこうした「人の認識を歪ませる権力者の詭弁」を見抜く役割を果たしていたはずですが、最近はもう期待できないので、市民側が自衛するしかありません。

12月5日に公開した第1回の記事は、「菅首相の国会答弁に隠された『5つの詭弁』を読み解く」というもので、日本学術会議の任命拒否に関連して、菅義偉首相が2020年11月25日の参院予算委員会で述べた、短い答弁に仕込まれた「5重の詭弁」を読み解く内容です。

菅首相の国会答弁に隠された『5つの詭弁』を読み解く

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12月30日に公開した第2回の記事も、「日本学術会議問題を『首相機関説』で読み解く」というテーマで、過去の「天皇機関説」を踏まえた「首相機関説」という観点から、任命拒否を正当化する菅首相の詭弁を読み解きます。

日本学術会議問題を『首相機関説』で読み解く

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12月28日には、22日に東京の隣町珈琲で収録した平川克美さんとの「ラジオデイズ」の対談「政治家とメディアのレゾンデートル」の音源がリリースされました。

特別対談「政治家とメディアのレゾンデートル」

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冒頭で、平川さんとの対談が3回目か4回目と言いましたが、7回目でした(うち1回は想田和弘さんを交えての鼎談)。今の報道メディア、特に政治部の問題点についても、率直に思うところを述べました。

今回を含めた7回の対談音源は、下のページで一覧できます。

ラジオデイズ 山崎雅弘(1〜7)

タイトルを見ると、メディアやジャーナリズムの話題が多いですが、過去の歴史を振り返ると、政治の腐敗と暴走は「報道メディア/ジャーナリズムの弱体化」が原因で起きる場合が多く、メディアの社会的責任は重いです。

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2020年は、公私共にいろいろな出来事があった年で、予定していた外国旅行(6月のイタリア、10月の台湾、11月の韓国)のキャンセルを強いられたのは残念でしたが、過去にデザインした歴史ボードゲームがアメリカと中国のメーカーから出版されたり、さまざまな面での収穫も多い一年でした。

来年も、仕事やそれ以外の活動で、今の自分にできることを考えながら、ベストを尽くす所存です。どうかご支援のほど、よろしくお願いいたします。

それでは、皆様も、よいお年を!

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(2020年12月21日に新幹線の車窓から撮影した富士山。この時は、まだ冠雪がありませんでした。)
 
 
 




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2019年11月29日 [その他(雑感・私生活など)]

まず告知から。朝日新聞出版から新刊『中国共産党と人民解放軍』(朝日新書)が発売されました。

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中国人民解放軍が日本にとって「どの程度」脅威なのかを知るためには、同組織が過去にどんな思考原理でどんな行動をとってきたかという「実績」を踏まえる必要があります。その基本的な情報を読者に提供する1冊です。

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中国共産党と人民解放軍』は、20世紀初頭の中国共産党と工農紅軍(のちの中国人民解放軍)創設から現代までに、中国共産党勢力が行った全ての戦争や紛争を政治と軍事の両面から読み解き、思考形態や行動原理を探ります。香港で起きている最近の出来事を読み解く上でも参考になると思います(特に天安門事件の経緯との対比で)。



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今月初めには「歴史群像」誌12月号(第158号)が発売されました。今回の担当記事は、独ソ戦の知られざる、しかし戦略的には重要な17か月間の戦い「ルジェフ攻防戦」で、計6度にわたった独ソ両軍の死闘を、戦略と作戦の観点から読み解いています。

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開戦時の人口が五万人ほどのルジェフに、なぜ両軍首脳が着目し、激戦地となったのかを、俯瞰的に解説しています。 モスクワ戦はもちろん、スターリングラード戦やクルスク戦とも微妙にリンクする部分のある渋い攻防戦でした。



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今月中旬に発売された「週刊金曜日」11月15日号には、私のロングインタビューが4ページ記事で収録されています。

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歴史戦と思想戦』『沈黙の子どもたち』『1937年の日本人』などで書いた内容の深層や、執筆という仕事で私が特に留意していること、執筆を通じて読者に伝えたいと思うことなどを説明しています。



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月刊誌「サイゾー」のネット媒体「ウェジー」でも、私のインタビュー記事が公開されました。『歴史戦と思想戦』(集英社新書)で指摘した問題点の説明を軸に、日本での歴史修正主義の跋扈とその目的、最近の出来事との思想的な関連性、安倍政権が力を持ち続ける理由等を論じています。

歴史修正主義者が歴史を書き換える「本当の目的」
/山崎雅弘インタビュー



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また、東海大学関連の出版社である東海教育研究所の月刊誌「望星」12月号の映画特集に、私も学生時代に観た映画についての2ページ記事を寄稿しています。同号で他の方々が紹介されている映画タイトルを観ると、観るべき作品を私は皆目観ていないと痛感させられます。来年はもう少し古典映画を観ようと思います。



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さて、今月は4日から7日まで、三泊四日で韓国旅行に行ってきました。昨年に続き、凱風館修学旅行部の皆さんと一緒に、内田樹さんの韓国講演旅行に同行させていただきましたが、とても楽しく、学びと思索の機会が多い充実した旅でした。

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内田樹さんの講演は、ソウルと大田の二箇所で韓国の教師や教育関係者向けに行われましたが、どちらも盛況で、内田さんのサインを求める人が行列を作っていました。そのあと、韓国南部の済州島に行き、島の聖地や歴史関係の博物館を尋ねたり、美味しい郷土料理をたくさんいただきました。

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韓国南部の済州島にある「済州4・3平和記念館」。第二次大戦後の韓国成立過程で段階的に起きた、軍と警察による大規模な住民殺害を説明する施設で、韓国と朝鮮半島の現代史の複雑さを改めて教えられました。

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大国による信託統治や南北分裂を決定づける単独選挙に反対した済州島の市民を、当時の李承晩政権とその後援者であるアメリカ軍政当局は「秩序を乱す不穏分子」と見なし、警察と右翼団体を派遣して弾圧しました。それに対し、1948年4月3日に市民側の武装勢力が警察と右翼を襲撃すると、李承晩政権は軍を投入して武力鎮圧に乗り出し、武装勢力だけでなくそれを匿っていると疑われた大勢の市民を殺害しました。さらに、1950年に朝鮮戦争が勃発すると、李承晩政権に従順でない済州の人々は「アカ(共産主義者)」の疑いをかけられて弾圧や殺害の対象となり、済州島の人口の一割に相当する三万人の市民が殺害されましたが、その三分の一は女性と子ども、老人でした。一部の生存者は、難民として大阪などに逃れました。

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済州島で起きた「四・三事件」と呼ばれる韓国軍の市民殺害行動には、アメリカ軍も深く関与していました。当時の国際社会は東西冷戦の勃興期であり、米軍は共産主義勢力の拡大に神経を尖らせていたからです。展示の説明にあるスコーチド・アース(焦土)戦略とは、ゲリラの拠点になりうる民家などを焼き払う、住民無視の軍事的行動です。

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「済州4・3平和記念館」には、韓国軍が済州の市民に行った拷問を「大日本帝国の遺物」と表現する説明がありますが、これは歴史的事実に基づいています。建国時の韓国の軍と警察で上層部に登用されたのは、大日本帝国に奉仕した旧軍人と警察の幹部でした。日本軍の憲兵や特高警察が使用した、電気や水を使った拷問の手法も、そのまま韓国の軍と警察に継承されました。

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「済州4・3平和記念館」は「済州4・3平和公園」という広大な敷地の一部で、公園内には犠牲者となった市民のお墓と慰霊堂があります。韓国でもこの出来事の位置づけはまだ定まっておらず、犠牲者の調査や確認もいまだ不完全ですが、自国で起きた「負の歴史」を誠実に記録しようとする姿勢に敬意を表します。

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済州島南西部の慕瑟浦にいくつも残る旧日本軍の掩体(飛行機を隠すシェルター)。1930年代に「アルトゥル飛行場」という日本軍の飛行場が作られ、1937年に日中戦争が始まると、ここを出撃した日本海軍機が南京などを爆撃しました。掩体の建設工事には、地元住民が強制徴用されました。大日本帝国時代の負の遺産のひとつ。

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これも済州島南西端の松岳山に残る旧日本軍の陣地洞窟。日本軍は米軍が本土上陸に先立って済州島に侵攻することを想定し、7万人の兵力を駐留させていました。山中にはトンネルがあり、岸壁には体当たり攻撃に使う特攻艇「震洋」を隠す穴がいくつも開けられています。ドラマ「チャングムの誓い」のロケ地でもあります。

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済州島北部の東門橋にある韓国海兵隊の記念碑。四・三事件の後、李承晩政権に貼られた「アカの島」という汚名を払拭するため、済州島の若者の一部は韓国軍の精鋭部隊である海兵隊に志願し、朝鮮戦争で北朝鮮軍・中国軍と激戦を繰り広げて戦功を挙げました。名誉回復のための軍への志願という図式は、第二次大戦時の日系アメリカ人部隊を連想します。

ちなみに、2020年1月発売の「歴史群像」誌の次号の担当記事は「日系アメリカ人の第二次大戦」です。


【おまけ】

今回、韓国で食べた美味しいもの。

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最初に思い出すのは、やはり帰国日の昼食で堪能した済州島のアワビとお刺身。焼きアワビ、アワビ粥に加え、活きたアワビを一人一個、各自で殻から外していただいた。生け簀から出したばかりで、指にへばりつくほど元気なアワビと格闘し、感謝しつつ味わいました。

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帰国前日の夜にいただいた豚の焼肉も絶品でした。済州では、一般的な三枚肉(サムギョプサル)に皮と追加脂肪層を加えた五枚肉(オギョプサル)で、さらに豚肉の味わいが濃厚。味付けは、塩や特産品の小魚塩辛など。締めの冷麺も、麺の食感がよく出汁も旨味が満載でした。

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こちらは、若鶏でなくアヒルを使った参鶏湯。上に乗っているのは冬虫夏草という漢方薬局でよく見るキノコだが、虫から出てくる希少な天然ものでなく、舞茸のように土台で栽培したものを使用。あとは済州の郷土料理である豚モツとホンダワラのスープ、豚ソーセージも大変美味でした。

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済州島の地元ビール二種。火山島なので火山のイラストがトレードマークになっています。ウィートエールは島特産のミカンの香り。
 
 
 
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2019年6月5日 [その他(雑感・私生活など)]

今日は久しぶりの新刊の告知です。5月17日に集英社新書から『歴史戦と思想戦』が発売になりました。

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どんな本なのか? それを説明する同書の「まえがき」の冒頭部分を、以下に転載します。

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 今、もし書店にいらっしゃるなら、店内を見回してみて下さい。
 売り場の一番目立つところに、こんなタイトルの本が並んでいないでしょうか。
「中国・韓国の反日攻勢」「南京虐殺の嘘」「慰安婦問題のデタラメ」「あの戦争は日本の侵略ではなかった」「自虐史観の洗脳からの脱却」……。
 あるいは、もう少しマイルドな「日本人が、自分の国を誇りに思える歴史の書」という体裁で、日本人読者の自尊心や優越感をくすぐるような歴史関連本。
 もう何年も前から、こうしたタイプの本を書店でよく見かけるようになりました。
 過去の歴史について、日本に不都合なことを「なかった」といい、日本は何も悪くないと語る本は、読んでいる間は日本人にとって心地いいものです。けれども、そんな安心感に身を委ねてしまうと、それと引き換えに大事なものを見失ってしまうのではないか。日本は何も悪くないと誰かに言われれば、一人の日本人として肩の荷が下りたような気になるが、本当にその結論でいいのだろうか……。
 また、こうした本がどうも胡散臭いと感じても、具体的にどこがどう間違っているのか、何がどう問題なのかを、自分の言葉でうまく説明できない人も多いのではないでしょうか。

 本書は、そんなモヤモヤした違和感を、「事実」と「論理」の二つの角度から検証し、ひとつずつ解消していく試みです。本書を最後まで読まれれば、今まで心に引っかかっていた疑問や違和感の正体を理解でき、この種の本に巧妙に仕掛けられたさまざまなタイプのトリックを、一瞬で見破れるようになるはずです。
 また、歴史という大きな問題と向き合う姿勢についても、本来あるべき姿を改めて考えるヒントを、読者に提示するよう努めました。
 最近は特に、日本人の歴史との向き合い方が、大きく揺らいでいると思うからです。

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また、ネット書店向けに用意された内容紹介の文を、以下に転載します。

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今、出版界と言論界で一つの「戦い」が繰り広げられています。

南京虐殺や慰安婦問題など、歴史問題に起因する中国や韓国からの批判を「不当な日本攻撃」と解釈し、日本人は積極的にそうした「侵略」に反撃すべきだという歴史問題を戦場とする戦い、すなわち「歴史戦」です。
近年、そうしたスタンスの書籍が次々と刊行され、中にはベストセラーとなる本も出ています。

実は戦中にも、それと酷似するプロパガンダ政策が存在しました。
しかし、政府主導の「思想戦」は、国民の現実認識を歪ませ、日本を破滅的な敗戦へと導く一翼を担いました。
同じ轍を踏まないために、歴史問題にまつわる欺瞞とトリックをどう見抜くか。豊富な具体例を挙げて読み解きます。

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これらの説明で大体おわかりかと思いますが、この本はいわゆる「歴史修正主義」の出版物と正面から対峙し、そこで語られる言葉やロジックを「事実」と「論理」のふたつの角度から解析して、その言説としての信憑性や論理的整合性を検証する試みです。

これに加えて、現代の日本で繰り広げられる「歴史修正主義」の言葉やロジックが、実は先の戦争(日中戦争と太平洋戦争)の時代に日本政府が国の内外で展開したプロパガンダの方法論「思想戦」と瓜二つであることを、当時の資料をふんだんに紹介しながら実証し、彼らがなぜ「歴史修正主義」の思想に惹かれるのかという内面的な問題にも光を当てています。

この本で私が取り上げた主な内容は、ネット書店向けに用意された内容紹介で紹介されています。

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【主な内容】
◆産経新聞が2014年から本格的に開始した「歴史戦」
◆「歴史戦」のひとつ目の主戦場:戦時中の慰安婦問題
◆「歴史戦」ふたつ目の主戦場:日本軍による南京での虐殺
◆なぜ大日本帝国の否定的側面を批判する行為を「自虐」と呼ぶのか
◆第一次世界大戦後の日本軍人が着目した「総力戦」と「思想戦」
◆思想戦の武器は「紙の弾丸、声の弾丸、光の弾丸」
◆「歴史戦」の論客の頭の中では今も生き続ける「コミンテルン」
◆「戦後の日本人はGHQのWGIPに洗脳された」という「ストーリー」
◆児玉誉志夫は「思想戦」の独善的側面に警鐘を鳴らしていた

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そして、本書の章立ては、以下の通りです。

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【目次】
第一章 「歴史戦」とは何か
第二章 「自虐史観」の「自」とは何か
第三章 太平洋戦争期に日本政府が内外で展開した「思想戦」
第四章 「思想戦」から「歴史戦」へとつながる一本の道
第五章 時代遅れの武器で戦う「歴史戦」の戦士たち

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いわゆる「歴史修正主義」を扱った本は、今までにも何冊か刊行されていますが、本書のようなアプローチの本は書店の本棚に見当たりませんでした。そのせいか、発売から4日で二刷、18日で三刷と増刷を重ねており、書店での売り上げランキングでも1位になっているようです。

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この本の執筆に際し、担当編集者と相談したのは「既存の右派・左派という戦いの構図から少し距離をとりましょう」ということでした。自分を右派とも左派とも思わない人にも手に取ってもらえるよう、帯の文も工夫しました。

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先日上京した際には、慰安婦問題を扱った話題の映画「主戦場」のミキ・デザキ監督と、某誌の企画で対談しました。彼がこの映画でとった手法は、私が『歴史戦と思想戦』でとった手法と共通する部分があり、さまざまな話題で充実した対談になったと思います。具体的な記事として掲載され次第、改めて媒体名などを告知します。

父親や友人、会社の先輩や上司が、いつのまにか「いわゆるネトウヨ」化してしまったが、どう対処したものかと困惑されている方は、「本屋でこんなの見つけたよ、よく知らないけど」と、さりげなく『歴史戦と思想戦』をプレゼントされるのも一策かもしれません。

また、新刊企画会議で「売れるから」と提起された「歴史修正本」や「中韓悪口本」の企画を自分の良心に照らして出したくないと思う編集者の方や、書店の店頭に「歴史修正本」や「中韓悪口本」を並べたくないと思う書店員の方も、ぜひ『歴史戦と思想戦』(集英社新書)を上司の説得に活用してください。

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2019年2月17日 [その他(雑感・私生活など)]

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久々の更新です。2019年の1月は、後述するように、昨年から執筆してきた新書の脱稿とミャンマー(旧ビルマ)旅行、雑誌原稿(『歴史群像』誌次号の巻頭記事「朝鮮戦争 前編」)の執筆と沖縄旅行という慌ただしさで、ブログに手をつける余裕がありませんでした。

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まず、1月発売の『歴史群像』(学研)第153号に、私の担当記事「二つのイタリアと第二次大戦」が掲載されています。第二次大戦の歴史で光を当てられることの少ない領域の一つである「枢軸国イタリアの連合国との休戦と、それ以後の南北に分裂したイタリアの戦い」を、政治と軍事の両面から読み解いています。

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軍事や戦史のマニアの間では、兵器の性能が総じて低く、個々の「戦闘」の敢闘精神で日独に劣る第二次大戦期のイタリア軍をバカにして見下す風潮が根強いですが、価値判断の基準を少しずらして国民の戦争全体との向き合い方を俯瞰すると、むしろ日本やドイツよりも「賢い部分」もあったように思います。


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1月10日から15日までは、ミャンマー(旧ビルマ)のヤンゴン(旧ラングーン)と古都バガンを旅行しました。昨年『歴史群像』誌に「ビルマの第二次大戦」という記事を書いたこともあり、ヤンゴンでは「独立の父」アウンサン将軍とビルマ近現代史に関連する場所を見学して、理解を深めました。

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ミャンマー訪問は初めてでしたが、ラオスと同じように人がとても穏やかで、居心地良く過ごせました。買い物をする時、間違えて余分にお札を出しても、超過分を返してくれます。寺院等では入口から裸足が決まりで、歩くと平穏な気持ちになり、仏像の前に座るたびに自然と手を合わせる心境になりました。

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ミャンマー(旧ビルマ)のヤンゴン(旧ラングーン)にある「ボージョー(将軍)・アウンサン博物館」。独立の父と称されるアウンサンが、1945年5月から暗殺される1947年7月まで住んだ邸宅(建物自体は1921年に完成)で、二階建ての館内には彼の生涯とビルマ独立運動指導者としての活動が説明されています。

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こちらは、アウンサンが独立運動の司令部として使用した建物ですが、今はレストランとして営業中。二階の一室はアウンサンの執務室で、当時彼が使用した机やタイプライターなどが展示されています。

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ヤンゴン(旧ラングーン)の中心部にあるシュエダゴン・パゴダ。パゴダとは仏塔を中心とする仏教の参拝施設で、ここは規模が大きく、周囲の緑地も含めれば東京ドームより広いとのこと。中央の一番大きな仏塔は五年に一度の修復が行われていたが、その周囲にもお堂や祠が建ち並び、くつろいで休憩できます。

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お堂や祠には、金箔や宝石をふんだんに使った装飾が施されており、じっくり観察すると時間が経つのが早い。参道では、生年月日から算定する八つの曜日にちなんだ花が売られており、私は月曜日だったのでその花束を買って、月曜の神様のところにお供えしました。水かけ不動のように、仏像に器で水をかけます。

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ミャンマーのヤンゴン(旧ラングーン)中心部に残る英植民地時代の建物。ミャンマー港湾局(1928年)、ヤンゴン地方裁判所(1900年頃)、元最高裁判所(1908年)。縦横に区画整理された街並みで、大通り以外の細い道には露店が建ち並んでいますが、朝夕は道路が激しく渋滞します。

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ミャンマーのバガンにあるニャウンウー空港。外国人旅行者はここで、5日間の入域料として25000チャット(約1800円)を支払います。あとは寺院や仏教遺跡をいくら見学しても無料。私は充分に元が取れました。

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古都バガンでは、到着日と翌日の丸二日、レンタル電動バイク(一日約600円)に乗って、一三世紀前後に作られた仏教の寺院と遺跡を見て回りました。広大な場所に仏教遺跡の尖塔が林立し、空気が乾燥しているので劣化が少ない遺跡内の壁画も興味深く鑑賞しました。ミャンマーにおけるヤンゴンとバガンの関係は、ラオスのビエンチャンとルアンパバーンと似ています。

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ミャンマーのバガンは、エーヤワディー川(イラワジ川)のほとりにあります。川はここで西向きから南向きに流れを変えるので、バガン南部の河岸ではきれいな夕陽と夕焼けを満喫できます。対岸の遠くに見えるのは、ミャンマーとインドの国境付近に連なるアラカン山脈。イラワジ川とアラカン山脈といえば、太平洋戦争末期に行われた、あの作戦を思い出しますが、日本兵もこの美しい景色を見ていたのでしょうか。

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シュエサンドー・パゴダ。十一世紀に建てられた仏塔で、高さは45メートル。

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ダマヤンジー寺院。十二世紀に建てられた寺院で、バガンで特に強い印象を受けた建造物の一つ。ガイドブックの写真ではわかりませんが、他の寺院よりサイズがでかくて、古城のような威容に圧倒されます。シュエサンドー・パゴダの方から細い道を走っていくと突然これが目に入り、宮崎駿のアニメに入り込んだような錯覚を覚えます。

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エーヤワディー川(イラワジ川)に沈む太陽。


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ミャンマーから帰国したあと、1月19日には、大阪の隆祥館書店での相澤冬樹さん(『安倍官邸vs.NHK』著者)のイベントにゲストとして登壇しました。会場は大盛況で、部屋の隅までお客さんで埋まり、財務省の国有地不正払い下げ疑惑やNHKと権力の癒着状況など、幅広い話題で盛り上がりました。


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1月27日から31日までは、四泊五日で沖縄へ行ってきました。今回は本島の那覇周辺と久米島で過ごし、珍しい自然や博物館、戦史・紛争史関係の場所を見て回ったほか、琉球新報本社の勉強会で講師として少しお話しました。また、牧志から安里まで古書店を何軒かはしごして、沖縄戦や戦後の沖縄に関する段ボール一箱分の古書を買い、自宅へ別送しました。

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沖縄の久米島と橋で繋がった奥武島の海岸にある「畳石」。亀の甲羅のような六角格子の石が並んでいるように見えますが、実はこれらは「冷えた溶岩の柱」で、地中深くまで伸びているらしい。水の透明度が高くて、水たまりには小さい魚やカニがいました。

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久米島の北部にある「ミーフガー」という奇岩と、南部にある「鳥の口」という崎。後者の名前の由来は、手前下に写っている「口を開けた鳥」に似た高い岩で、左奥の衛星通信施設(白い球)から遊歩道でテクテクと歩いて登る。久米島ではレンタカーを借りて島内を回りましたが、海水浴のシーズンオフのためか、今回は久米島のどこに行っても貸し切り状態でした。

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久米島のサトウキビ畑の一角にある「痛恨之碑」。久米島では、朝鮮人を含む住民20人が、沖縄戦の実質的な終結後に、米軍ではなく駐留していた日本軍人によってスパイ容疑等で虐殺されました。日本軍人に殺された住民の中には、赤ちゃんもいました。今年刊行予定の単行本でも、この出来事について説明しています。

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久米島の大岳小学校南側の駐車場そばに建つ、沖縄戦で亡くなった島民の慰霊碑と顕彰碑。市民を虐殺した日本軍の通信部隊の指揮官は、米軍と接触した島民をスパイ容疑で虐殺したあと、自分は米軍に投降して戦後も生き延びました。メディアの取材を受けた彼は、自分は間違っていないとして謝罪を拒否し、居直っていました。

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沖縄の屋根の上や門の上にいるシーサー(厄除け、守り神の獅子)たち。通りをぶらぶら歩いていると、街のあちこちにいます。それぞれの性格が顔や姿に表れているようでおもしろい。

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那覇市内では今回は車を借りず、モノレールとバス、タクシー、徒歩で移動しました。モノレール駅のエスカレーターにも、琉球新報と沖縄タイムスの社屋にも、県民投票の広告が。とりあえず全県民が投票できる、当たり前の状況に戻って良かった。

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観光客が絶えない那覇の首里城にある守礼之門から、わずか90メートルほど離れた場所にある、第32軍司令部壕の入口。現在は封鎖されていますが、高台にある首里城の地下に作られた司令部施設の出入り口で、中学生から成る「鉄血勤皇隊」の少年が、砲弾の降る中で、壕の警備や伝令などの軍務に就いていました。

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こちらは、観光客が絶えない首里城そばにある玉陵(琉球王国時代の王墓)から、わずか50メートルほど離れた場所にある、一中健児の塔。鉄血勤皇隊に参加して命を落とした一中(沖縄県立第一中学校)生徒の慰霊碑で、隣接する展示館では、十代の中学生がどれほど過酷な境遇に置かれていたのかを学べます。

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沖縄・那覇の奥武山(おうのやま)公園にある島田叡元沖縄県知事の記念碑。兵庫出身の島田知事は、太平洋戦争での日本の敗北が決定的となっていた1945年1月に「他になり手がない」沖縄県知事として赴任し、戦火の中で(天皇でなく)県民のために最後まで尽力して亡くなった人物で、市民が玉砕や自決することを戒めました。

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大田實海軍中将が「(沖縄)県民に対し後世特別の御高配を」と打電して自決した旧海軍司令部壕を今回初めて訪れましたが、沖縄にある他の戦争関連の施設とは空気が違っていました。売店で戦艦大和グッズをたくさん並べている時点で、方向性が違うとわかる。戦没した海軍軍人の顕彰と慰霊が、施設の第一の意図。

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沖縄・那覇のシーサイドにある「不屈館」。戦後の沖縄で県民のために尽力した政治家・瀬長亀次郎の功績を称える博物館で、彼の足跡を追うことはそのまま戦後の沖縄県民の苦難を知ることにもつながります。同じ日本の一部なのに、なぜ沖縄県民が戦中も戦後も、現在も、過剰な理不尽を背負わされ続けるのか。いろいろなことを考えさせられる場所でした。

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琉球新報本社での勉強会で使用した資料の一部。今の日本のメディア状況の問題点を読み解く視角はいくつか考えられますが、今回は「民主主義国と権威主義国のメディアの違い」という角度から光を当ててみました。右か左か、という時代遅れの分類法では、問題の核心に近づけず、逆に遠ざかるのでは、と思います。


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それから、いま書店で発売中の『週刊金曜日』最新号は、NHKの問題点を批判・検証する特集ですが、私も岩田明子解説委員兼政治部記者に関する記事を寄稿しました。国民から強制徴収する受信料で高い給料を得ながら、特定の権力者にピッタリ寄り添い奉仕する態度は、政権が何党であるかに関係なく、公共放送の役割を逸脱した国民への背任だと思います。

今月は、少し時間に余裕があるので、しばらく停止していた電子書籍の刊行を再開しようかと思っています。『ロシア内戦』『シベリア出兵』『チェコスロヴァキアの第二次大戦』『モンゴルの第二次大戦』『インドの第二次大戦』などが候補です。いずれも『歴史群像』誌に掲載された記事の電子化ですが、関心のある方は、ぜひご期待ください。

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ミャンマーのバガンで道路をのんびり進む牛車。


【おまけ】

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ミャンマーでは、特徴的な油っぽいカレー(ヒン)のほか、麺類をいろいろ食しましたが、細いビーフン(米粉)からうどんような太い麺まで、種類が豊富でした。気温が高くて空気が乾燥しているので、一日あちこち歩き回ったあとのビールが美味い。1枚目はエビのカレーで、大きなエビがどっかり入っていました。

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こちらは、沖縄で食べた美味しいもの。山羊汁、ラフテーの炒飯、久米島のざるもずく(店主が採ってきた太くて長いもずくをごまだれに浸けていただく)、島どうふ。左の豆腐に乗っている小さい魚は、スクガラスというアイゴの稚魚の塩辛で、豆腐と良く合います。山羊汁は前回もいただきましたが、これを食すと沖縄に来たと実感できます。

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日本では沖縄にしかない米国系ファストフードチェーン「A&W」のThe A&Wバーガーとポテト、そしてルートビア。沖縄の人はA&Wを「エンダー」と呼ぶ、と琉球新報の人に教えてもらいました。
 
 

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2018年9月28日 [その他(雑感・私生活など)]

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2018年も、ほぼ4分の3が過ぎ去りましたが、いくつか告知です。

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まず、『歴史群像』(学研)の第151号が9月6日に刊行されました。今号の私の担当記事は「ビルマの第二次大戦」で、太平洋戦争とその前後の時期におけるビルマ(現ミャンマー)の動向を俯瞰的に描き出す内容です。当時の日本軍にとって大きな関心事だった「ビルマ・ルート」の実情や特務機関「南機関」の活動についても解説しています。

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太平洋戦争最中の1943年8月、日本は「大東亜共栄圏」の範疇でビルマの独立を認めましたが、秘密軍事協定により、日本軍は引き続きビルマ領内で自由に駐留し、そこから周辺地域への軍事作戦を行う権利を保持し続けました。当然、ビルマ側では日本に対する失望が広がり、1945年3月の対日反乱へと繋がっていきます。

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現在の日本の一部では、「東南アジアの植民地は日本軍のおかげで独立できた」というような雑な歴史認識が声高に語られていますが、その実情はどのようなものであったかについても、参考にしていただければ幸いです。

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最新号の読者コーナーでは、前号(第150号)の付録ボードゲームに対する反応の数々がたくさん掲載されていました。編集/制作サイドの予想を超える大反響で、企画としては大成功でした。昔ウォーゲームをプレイしていたという人も、やはり読者の中に多かったようです。

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モスクワ攻防戦」も「バルジの戦い」も、戦史の雰囲気を味わいながら手軽にプレイできるボードゲームなので、ぜひ長く楽しんでください。



中旬の9月15日から19日までは、横浜と東京に行っていました。年内脱稿予定の本二冊と雑誌記事の打ち合わせ、諸々の取材と会食に加えて、隣町珈琲で平川克美さんと「ラジオデイズ」の収録も行いました。

特別対談 ジャーナリズムと自立性(ラジオデイズ)

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ラジオデイズ」は、1本515円のネット音源です。平川さんとお話させていただくのは三度目でしたが、今回の対談の中で出た話題は、次のようなものでした。

・沖縄県知事選での公明党の動き方 ・安倍政権が内部から崩壊する可能性 ・トランプとともにレームダック化する可能性のある安倍政権 ・ソ連時代の政策を継承している今一番恐い政治家プーチン ・政治的な正論を言い続けていることのジレンマ ・社会の中での当事者意識が希薄化している日本人 ・今回の自民党総裁選で露呈したこと ・風化していく正論 ・当事者意識が極端に薄れたメディア ・抵抗のないジャーナリズム/ジャーナリズムの起源 ・報道の中立より大切な報道の自立性 ・破壊された見えない資産としての「文化資本」 などなど

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横浜では、16日の午前にYSGAさんの例会場に少し顔出ししたあと、古い友人二人と久しぶりに会い、GMTゲームズのシミュレーション・ゲーム「オランダ'44」(映画『遠すぎた橋』で有名な、1944年9月の「マーケット・ガーデン作戦」がテーマ)を3人でプレイしながら、積もる話に花を咲かせました。

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私はアメリカ軍を担当しましたが、幸運に恵まれ、ソン橋とベスト橋を無傷で確保したほか、ナイメーヘンを早期に完全制圧し、対岸にも橋頭堡を築くことに成功しました(ただしフェーヘルの橋を落とされました)。



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東京最終日の19日は、夕方から新幹線の時間(午後7時30分)まで、友人の記者と会食の約束をしていましたが、移動中の電車の窓から秋葉原の歩道橋に人がたかっているのを見つけ、急遽予定を変更して一緒に「安倍晋三候補の演説会」を見に行きました。

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自民党の総裁選で、現職の安倍氏側があれほどの恫喝と脅迫を行ったにもかかわらず、党員算定票の結果は安倍224票対石破181票という結果となりました。議員の石破票は73票。非議員の党員の45%、全投票者中の254人が、安倍氏の恫喝と脅迫を無視したことになります。歴史が教える通り、恫喝では人を支配できません。むしろ、長期的には自分の足元を揺るがすことになります。

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私も以前「オレに刃向かった奴は絶対許さない」という執念深い人に、運悪く関わってしまったことがあります。派閥のような徒党を組んで、執拗に悪口を流して潰そうとする。しかし実際には、そんな人間の影響力は見かけほど大きくはありません。悪意丸出しの中傷は逆に周囲を呆れさせ、それを流す側が信用をなくします。

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「あの人を敵に回したらこの業界で生きていけない」と周囲が言う相手とも衝突しましたが、全然そんな展開にはなりませんでした。威圧感を醸し出し、周囲にそう信じ込ませるのも一つの才能でしょうが、それを信じてしまう人が思っているほど世界は小さくありません。世界は大きくて広い。萎縮しなければ乗り越えられます。会社や団体などで、理不尽なパワハラに直面している人は、どうか挫けずに、心を強く持ってください。



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年内の残り三か月は、上記の本二冊と『歴史群像』誌次々号の記事執筆(次号の担当記事「ウラーソフとロシア解放軍(仮)」は既に編集部に送信済み)に没頭する予定ですが、取材を兼ねて韓国に行く予定もあり、朝鮮半島の南北首脳会談の行方にも注目しています。

1950年に始まった朝鮮戦争の終戦合意が成立し、地球上に残る、東西冷戦の最後の最前線とも言える38度線に平和が訪れるのか。戦史・紛争史研究家として、興味深く見守りたいと思います。


【おまけ】

東京滞在中に食べた美味しいもの。今回はシーフードを多くいただきました。

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2017年11月4日 [その他(雑感・私生活など)]

今年も残すところあと二か月となりました。前回の更新のあと、告知しようと思って忘れてしまいましたが、10月12日に大阪・谷町六丁目の隆祥館書店で、内田樹さんの新刊『街場の天皇論』の刊行記念トークイベントがあり、私も一緒に登壇させていただきました。

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イベントでは『街場の天皇論』の内容に関連して、昨年テレビで国民に向けて行われた天皇の「おことば」をどう捉えるか、立憲主義と天皇の地位をどう両立させるか、皇太子と雅子さんの今後の境遇は、など、幅広い話題で盛り上がりました。こうした話題で意見を述べる機会はなかなか無いので、とても貴重でありがたい機会でした。


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また、10月22日には衆議院議員総選挙が行われましたが、三年前の2014年に続き、今回も津田大介さんの「ポリタス」に、今回の選挙で何を基準に投票すべきか、という内容の原稿を寄稿しました。

日本社会が「ウソの氾濫」を許すか否かを問う選挙

選挙の結果はご存知の通りですが、今の政治状況を単純な「点」で捉えるのでなく、五年前、三年前、一年前、そして現在という「線」で捉え、今後の社会がどこへ向かうのかを予想する、いわば「歴史感覚」を研ぎ澄ませて、情勢を見渡す必要があるように思います。


出版関係では、『歴史群像』誌(学研)の12月号が発売されました。

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今回の私の担当記事は「オーストラリアの第二次大戦」で、国の成り立ちから第二次大戦までの歩み、ヨーロッパ地中海戦域(ギリシャ、エジプト、シリア等)と太平洋戦域(マラヤ、シンガポール、ニューギニア、本国の防衛等)での各部隊の足跡を俯瞰的に解説しています。


また、『歴史群像』(学研)に寄稿した記事(掲載から一年以上経過)を、電子書籍化して出版する事業を再開しました。これに伴い、価格も元に戻しました(期間限定で、一冊100円で販売していました)。とりあえず第70巻までタイトルが確定済みで、順次刊行します。今回刊行したのは、以下の三冊です。

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第65巻『クリミア併合 2014』

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金色の丸いものは、ロシアがクリミア半島とセヴァストポリの併合を記念して2014年に発行した記念コイン(10ルーブル)です。


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第66巻『シンガポールの第二次大戦』

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日本人の旅行者も多いシンガポールですが、街角のあちこちには、日本軍占領時代の虐殺や非人道的行為について記した記念碑があります。シンガポール旅行の前にぜひご一読を。


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第67巻『ドイツ空軍の第二次大戦』

第一次大戦後の組織の成り立ちから第二次大戦までの歩み、北欧・東欧・西欧・地中海の各戦域での各部隊の足跡を俯瞰的に解説しています。文量が結構多いです(標準の約2.5倍)。



【おまけ】

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大阪でのイベントの翌日、何十年ぶりかで大阪城とその周辺の博物館を見学しました。

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天守閣からの眺め。この写真に写っている、通天閣とPLの塔を見つけられたら、大阪人検定一級認定です。

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大阪第四師団司令部の建物は、改装されて商業施設になりました。行った日はオープンの数日前で、内部は観られず。

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天守閣北東の角にある、石垣のずれ。太平洋戦争期の大阪大空襲の衝撃で生じたものです。

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天守閣の少し北にある石垣。この弾痕も、太平洋戦争期に米軍の機銃掃射を受けて生じたもの。

 
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2016年12月31日 [その他(雑感・私生活など)]

2016年も、いよいよ今日で終わりです。今年は、私にとっては意外と長い一年でした。はじめの頃に起こった出来事が、もう遠い昔のように感じられます。

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今年出た著書。『日本会議』(集英社新書)、『5つの戦争から読み解く日本の近現代史』(ダイヤモンド社)、『[新版]中東戦争全史』『[新版]独ソ戦史』(共に朝日文庫)の4冊です。特に『日本会議』はあちこちで紹介していただき(増刷も重ね)、関連企画として『kotoba』誌に宗教学者の島薗進さんとの対談記事が出たり、『サンデー毎日』に青木理さんとの対談記事が出たり、『SIGHT』誌に渋谷陽一さんとの対談記事が出たりもしました。

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また、内田樹さん編のアンソロジー本『転換期を生きるきみたちへ』(晶文社)にも、原稿を寄稿しました。

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雑誌『歴史群像』への今年の寄稿は「張鼓峰事件」(2月号)、「シンガポールの第二次大戦」(4月号、カラー頁の企画も連動)、「クリミア併合」(6月号)、「混沌と対立のロシア内戦」(8月号)、「チェコスロヴァキアの第二次大戦」(10月号)、「レッドパージ」(12月号)でした。

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今年は仕事が忙しくて、過去の掲載記事を電子書籍として出版する事業はお休みでしたが、来年は再開する予定です。

六角堂出版の電子書籍カタログ


執筆以外の仕事では、神奈川新聞や琉球新報などのインタビューを受けたり、岩上安身さんのIWJ(インデペンデント・ウェブ・ジャーナル)で6時間を超えるネットインタビューに出演したり、神戸で日本会議と安倍政権に関する講演会を行ったりもしました。

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人前でしゃべるのは正直苦手で、なかなか思い通りに話せずに苦戦していますが、社会問題について自由に意見表明できる環境が少しずつ脅かされているように思えるので、来年も幅広く活動するつもりです。


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仕事以外では、5月にスペイン(バルセロナ、マドリード、トレド)とポルトガル(リスボン、シントラ、ロカ岬)へ旅行し、8月には広島(広島、呉、江田島、宮島)と山口(岩国、周防大島)へ、10月にはチェコ(プラハ、リディツェ、ブルノ、チェスキークルムロフ、チェスキーチェシン)とポーランド(チェシン、クラクフ、オシュフィエンツィム=アウシュヴィッツ)、スロヴァキア(ブラチスラヴァ、バンスカービストリツァ)、ハンガリー(ブダペスト、ヴィシェグラード、バラトン湖、セーケシュフェヘルヴァール、ショプロン)、オーストリア(ウィーン)を旅行しました。

スペイン=ポルトガル旅行についての過去記事

広島=山口旅行についての過去記事

中欧五か国旅行についての過去記事

広島=山口と中欧五か国の旅行は、単行本や雑誌記事のための取材も兼ねてレンタカーで各地を周り、見聞を広めることができました。

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来年は、現時点で本三冊の出版が予定されており、『歴史群像』への寄稿も継続します(1月頭に出る号の担当記事は「シベリア出兵」)。取材を兼ねた旅行も活発に行う計画です。著書を買って下さった皆様、ありがとうございました。来年もベストを尽くしますので、ぜひご期待ください。

それでは、皆様もよいお年を。


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2016年11月3日 [その他(雑感・私生活など)]

月が変わってしまいましたが、今日は旅の報告など。10月10日〜19日まで、本の取材も兼ねて、中欧のチェコとポーランド、スロヴァキア、ハンガリー、オーストリアをレンタカーで旅行してきました。

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今回クルマで移動した五か国(ポーランドは南部)は、第一次大戦の勃発時にはすべてオーストリア=ハンガリー領で、ポーランドを除く四国は初めての訪問でしたが、文化的にはゆるやかなグラデーションで違いが連なっている感じでした。

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五か国とも、シェンゲン協定の締結国なので、国境越えは基本的にフリーパスでしたが、高速料金の前払いシステムが国ごとに違っているので、新しい国へ入るたび、ヴィニエットと呼ばれる切符を買います。写真はオーストリアのもので、これを車検シールのように、フロントガラスの内側に貼ります。ポーランドだけは、日本と同様に料金所で支払うシステムでした。

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最初の訪問地プラハ。ここは昼も夜も美しい街でした。

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プラハでは、1942年にナチスの高官ラインハルト・ハイドリヒがチェコ人の戦闘員に暗殺された場所や、その暗殺犯らが最後に立てこもった教会(地下が事件関連の博物館になっている)にも行きました。

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プラハで二泊したあと、いったん空港へ戻ってレンタカーを借り、ドライブ旅行がスタート。最初に訪れたのは、空港から10分ほどの場所にあるリディツェ村の跡地でした。この村は、ハイドリヒ暗殺の報復として完全に破壊され、男性の住民は全員射殺、女性と子供は収容に送られて、その多くは命を落としました。

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チェコ東部、旧モラヴィアの古都ブルノ。

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チェコとポーランドの国境にまたがる街、チェシン。ここは第二次大戦に前後して、たびたび帰属が変わりましたが、今は街の中心を流れる小川と橋が国境になっています。

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ポーランド南部のオシュフェンチム、ドイツ語の地名はアウシュヴィッツ。強制収容所の跡地を見学しました。事前にいろいろと予習をして行きましたが、考えるところの多々あった時間でした。

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ポーランド南部の古都クラクフ。

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スロヴァキア中部のバンスカー・ビストリツァ。ここは第二次大戦末期、枢軸国だったスロヴァキアで反ドイツの反乱が発生した場所です。蜂起を記念する博物館があり、隣接する公園にはソ連軍のT34/85やドイツ軍のIII号突撃砲、IV号などと共に、チェコ製のLT38(ドイツ軍が接収した後は38(t)の名称で使用)軽戦車が展示してありました。LT38は、日本軍の95式軽戦車と似た印象。

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ハンガリーのブダペスト。夜景の美しさではプラハと双璧です。王宮の丘には内容の充実した軍事史博物館もありました。

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ハンガリーの名物料理グヤーシュ。香辛料のパプリカを効かせた、牛肉入りの野菜スープです。

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ハンガリーのバラトン湖と、ハンガリー最古の街とされるセーケシュフェヘルヴァール。ホビージャパンの『ビターエンド』をプレイしていた時には、まさか同地やブダペストを車で走ることになるとは思いもしませんでした。

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スロヴァキアの首都ブラチスラヴァ。

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オーストリアのウィーンには、美術史博物館を見学するため数時間だけ滞在しました。

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ハンガリーのショプロンと、その北にある「汎ヨーロッパ・ピクニック記念公園」。1989年のベルリンの壁崩壊に先立ち、この場所で起きた東独市民のオーストリアへの大量越境が、冷戦崩壊の引き金になりました。

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チェコのチェスキー・クルムロフ。

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帰りは、オランダのアムステルダム経由でしたが、スキポール空港での待ち時間が7時間ほどあり、いったん空港を出てデンハーグへ行き、マウリッツハイス美術館を観たほか、シミュレーション・ゲーム関係の友人であるピーテルヤン・デ・ウィルデ氏とも会いました。

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レンタカーでの総走行距離は、2365kmに達しました。今回は少し古い型のプジョー車でしたが、よく走ってくれました。運転中は写真を撮っていませんが、ハンガリーの田舎道は紅葉がとても綺麗でした。

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さて、これとは別に告知をひとつ。ハビエル・ロメロ氏がデザインした、GMT社のシミュレーション・ゲーム『スペイン内戦(The Spanish Civil War)』の日本語版を、シックス・アングルズ別冊第11号として出すことが正式に決定し、契約書を取り交わしました。今年の残りと来年初頭は、執筆の仕事で忙しいので、発売は2017年の夏以降となりますが、今回もコンポーネントの改良などを行い、ベストの形で発売する所存です。ぜひご期待ください。

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2016年9月12日 [その他(雑感・私生活など)]

2016年のセ・リーグ優勝は、広島東洋カープに決定しました。私は阪神ファンですが、8月17日から19日まで広島(および山口)に旅行して、街中での「カープ愛」に触れたこともあり、先日の巨人との優勝決定戦は「赤組」を応援していました。カープファンの皆様、優勝おめでとうございます。

今日は、その広島旅行時に撮った写真を紹介しながら、行程を振り返ってみます。

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今回の旅行では、新大阪から広島まで新幹線を利用しましたが、行きも帰りも「さくら」に乗りました。普通車でしたが、座席は二席+二席の配列で、三席+二席の東海道新幹線よりも快適でした。

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広島についてレンタカーを借り、最初に向かったのは平和記念資料館でした。半分改装中で展示スペースはやや狭い印象でしたが、外国からの訪問客が予想より多く来ていました。

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そのあと、平和公園を通って「原爆ドーム」へ。人類史上初の核攻撃を受けた都市に残る、核兵器の威力を示す残骸。今の核兵器は、広島に投下されたものよりもさらに強力になっています。

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二日目は、まず呉へ移動し、大和ミュージアムを見学。館内の展示でいきなり吉田満少尉の写真が目に入り、ちょっと戸惑いました。と言うのも、東大在学中に学徒出陣で海軍将校となり、戦艦大和の乗員として沖縄特攻に参加して九死に一生を得たのち、『戦艦大和ノ最期』などの著作を残された吉田満さんの著書『戦中派の死生観』を、行きの新幹線(そして広島滞在中および帰りの新幹線)で読み、当時の海軍軍人に思いを馳せていたところだったからです。

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大和ミュージアムの隣にある、海上自衛隊の呉史料館には、湾岸戦争後に海上自衛隊が行った掃海作業についての詳しい展示があり、興味を惹かれました。

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その反対側の隣にある埠頭からは、艦船めぐりという海上自衛隊の艦船を海から近づいて見せてくれる遊覧観が出ています。海上自衛隊OBらしき人が、個々の艦船について説明してくれます。

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呉でしばらく過ごしたあと、音戸の橋を渡るルートで江田島に渡り、旧海軍兵学校を見学しました。ここは、今も海上自衛隊第一術科学校として使われ、大勢の若い自衛官が訓練と勉学に励んでいます。旧海軍兵学校内にある「教育参考館」という建物は、幹部候補生の教育施設で、勝海舟の頃からの日本海軍に関する貴重な物品や書などが多数展示してある「日本海軍博物館」的な施設(館内撮影厳禁)ですが、特攻で死んだ海軍軍人の名前が何枚もの大きな大理石に刻んであるのを見て、事実の重さを再認識させられました。

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江田島の入り江には、牡蠣の養殖棚がたくさん並んでいました。こんな炎天下で、牡蠣が水の外に吊されていて死なないのかと思いましたが、満潮になると海の中に戻るのでだいじょうぶらしい。江田島湾内には、大きくなった牡蠣をさらに深いところに沈める設備が浮かんでいます。

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三日目は、朝のうちに宮島へ行き、厳島神社を見学しました。過去の台風でも動いたことがないという沖合の鳥居は、遠くから眺めると優雅ですが、ズームで見ると競輪選手の太腿のように踏ん張りの効きそうな足をしています。ちょうど満潮時だったため、赤い建物が空の青や海の青緑に映えて美しい光景を楽しめました。

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宮島で早めの昼食を食べたあと、山口県に入り、岩国の名所・錦帯橋へ。今まであちこちで橋を見てきましたが、これは観に行った甲斐があったと思う眺望でした。アーチ型に盛り上がった橋の上からの眺めもすごくいい感じです。

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岩国からさらに足を伸ばし、周防大島の東端にある陸奥記念館へ。戦艦陸奥は、第一次大戦後に長門型戦艦として就役し、大和が登場するまでは長門と共に日本海軍のシンボル的存在でしたが、太平洋戦争最中の1943年6月8日、原因不明の爆発事故を起こし、記念館から望める柱島沖で沈没しました。艦内には、引き揚げられた船体の一部や、三好艦長をはじめとする乗組員の遺品などが展示されています。

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周防大島からの帰り、山口県の玖珂SAに立ち寄ったら、関西や三重県では見かけないカテゴリーのアイテムを販売していたので、いろいろ衝動買いしてしまいました。その後、夕方の渋滞に巻き込まれて、陸奥記念館から広島駅近くのレンタカー会社まで、ほぼ三時間を要しました。

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広島で食べたものは、どれも満足度が高かいものでしたが、特に宮島の「はやし」でいただいた焼き牡蠣が絶品でした。身が大きくて味や風味も濃厚。同じ店のあなごめしも、身が分厚くて満足できました。大和ミュージアム隣で食べた「海軍士官カレー」も、大きな牛タンが柔らかくて美味でした(見た目より量がある)。

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広島で借りたレンタカーの走行距離は、三日で382キロでした。最終日の周防大島が遠かったですが、三日とも快晴で、だいぶ日に灼けました。


 
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