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2021年2月25日 [その他(戦史研究関係)]

やろうやろうと思いつつ、今年に入って最初のブログ更新は、2月の下旬になってしまいました。すいません。

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まず、今年1月に雑誌「歴史群像」の2021年2月号が発売されました。私の担当記事は、第3特集の「ワルシャワ蜂起 1944」です。

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第二次大戦終盤のワルシャワで発生し、仲間であるはずの連合国陣営の大国の思惑に翻弄された揚げ句、無残に粉砕された、ポーランド人抵抗組織の反ドイツ蜂起の顛末を、政治と軍事の両面から読み解いています。

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1939年にドイツとソ連に分割併合された後のポーランド国内で少しずつ規模を拡大していった反ドイツの抵抗組織と、蜂起に至る内部での議論(および前哨戦としての1943年の「ワルシャワ・ゲットー蜂起」)、ソ連とイギリスの思惑、蜂起開始後における戦闘の経過、ポーランド抵抗組織側が捕獲したドイツ戦車(パンターとヘッツァー)の動き、ドイツ軍が投入した特殊戦車(シュトルムティーガーなど)と特殊兵器(ボルクヴァルトなど)、そして悲劇的な結末と、戦後のポーランドにおける蜂起の位置づけなど、この歴史的出来事を多面的に描き出しました。

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今でこそ、ワルシャワ市内のあちこちに蜂起の戦士を称える記念碑や博物館等があります(写真は2009年12月に現地で撮影)が、蜂起の主体であったポーランド国内軍(AK)は1989年に冷戦が終わるまで、ソ連を親玉とする「東側諸国」の一員だったポーランドでは批判の対象でした。つまり、言論と学問の自由がありませんでした。


次に、2月13日付の毎日新聞朝刊に、電話取材で伝えた「森喜朗事件(女性蔑視などの発言により東京五輪組織委会長を辞任)」に関するコメントが掲載されました。

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森喜朗氏個人の話ではなく、森氏が象徴する「森喜朗(さん)的秩序」の根深さについて、思うところを述べました。この出来事は、現在の日本社会が直面する「閉塞と停滞感」の縮図であり、今まで隠れていた膿に日の光が当たったようなものだと思います。

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ネット版の記事もありました。森喜朗氏の五輪組織委会長辞任は、問題解決の第一段階で、それ自体に意味はありますが、本質的な問題の解決はまだまだ先。森氏一人だけ除去されても「森喜朗(さん)的秩序」が続くなら、また同じことが繰り返され、日本は後進国に衰退していくでしょう。

五輪組織委・森会長辞任 戦史・紛争史研究家 山崎雅弘氏


また、ネット媒体「Wezzy」の連載企画「詭弁ハンター」の第3回が公開されました。

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今回のタイトルは【本当はこわい「控えさせていただく」という詭弁。強者と弱者を固定化するマジック】

一見すると謙虚な印象のある「控えさせていただく」という詭弁には、実は恐ろしい毒が仕込まれています。

本当はこわい「控えさせていただく」という詭弁。強者と弱者を固定化するマジック

Wezzyの連載企画「詭弁ハンター」のテーマは、現在の日本社会、とりわけ政界にはびこる詭弁を一つずつ解析し、構造を読み解き、同種の詭弁にだまされにくくなる「論理の免疫」を読者に提供しようというもの。報道記者の方にも、政治家や官僚の言葉の裏を読む際のヒントにしていただればと思います。



それから、2020年4月30日の投稿で少しお伝えしました、竹田恒泰氏が私を告訴した民事裁判ですが、2月5日に東京地裁で、判決が出ました。

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こちら側の主張が全面的に認められた勝訴でした。

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応援や励まし、ご支援をいただいた皆様、ありがとうございました。

この裁判の判決については、判決文の全文をPDFで公開しています。弁護士などの法律の専門家と、私を含む非専門家では、読み取れる情報も異なると思いますが、多くの方の目に触れる形にするのが公益に資すると判断しました。

【判決文】

また、昨年11月に、今回の裁判で提出した陳述書と被告側準備書面をいくつか公開しています。判決文と合わせてお読みいただくと、竹田恒泰氏が著書やネットでどのような差別的言説を発信し、どのような「論法」でそれを「差別ではない」と言い張ったのかを理解できると思います。

【陳述書】原告の「これは差別ではない」という主張について

こちらも昨年11月に公開した陳述書で、竹田恒泰氏自身が「中止になった富山県朝日町で話す予定だった内容と同じ」と宣言してネットで行った講演について、問題点を検証したものです。一見人畜無害に思える「自国優越思想」が、実は差別思想と表裏一体だと論証しています。

【陳述書】原告が予定していた朝日町の講演内容について


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この裁判の判決が出た後、弁護士の佃克彦さん(日本における名誉毀損裁判の第一人者で、名誉毀損裁判に関する著書も上梓されています)と、私の法廷闘争をさまざまな面で支援して下さった内田樹さんと共に、判決内容についての記者会見を行いました。判決の要旨と記者会見の模様は、時事通信と東京新聞が記事にして下さいました。


差別指摘は「公正な論評」 作家の竹田氏敗訴 東京地裁(時事)

「前沢達朗裁判長は投稿について『公正な論評で違法性を欠く』と述べ、請求を棄却した」「前沢裁判長は、竹田氏が著書で『(中華民族は)民度の低い哀れむべき方々』と記したことや、『韓国は、ゆすりたかりの名人』とツイッターに投稿したことなどに触れ、山崎氏の投稿は人権侵害や差別が広がることを懸念した公益目的があり、『相応の根拠がある』と判断した」「同日、東京都内で会見した山崎氏は『公正な判断。著名人が公然と特定の民族を差別する今の社会は危険だ』と訴えた」


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差別指摘投稿は「公正な論評」 名誉毀損訴訟で竹田恒泰氏敗訴<東京地裁判決>(東京新聞)

「判決は、竹田氏が『笑えるほどたちが悪い韓国の話』と題する著書などを出したり、『韓国はゆすりたかりの名人』『韓国が慰安婦の像を作るなら、日本は嘘をつく老婆の像でも作ったらどうだ』などと投稿したことに触れ、『竹田氏が元従軍慰安婦に攻撃的・侮辱的な発言を繰り返し、在日韓国人・朝鮮人を排除する発言を繰り返していることに照らせば、発言を人権侵害の点で捉える相応の根拠がある』と指摘」「名誉侵害には当たらないと判断した」「判決後、東京都内で記者会見した山崎氏は『公正な判断が出た。社会にはびこる民族差別に反論できるアクションになった。(国や自治体が)普段、差別的な言説を社会に拡散するような人物を招き、中高生に講演を行ったり、自衛隊の幹部候補生の前で話をさせたりすれば、差別的な主張が伝播する可能性ある』と指摘した」


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東京新聞のYouTubeチャンネルでは、佃さん、内田さんと私が行った記者会見のノーカット動画も公開されています。

竹田恒泰氏、ツイッターでの名誉毀損訴訟で敗訴 勝訴した山崎雅弘さんらの会見

原告の竹田恒泰氏は、この判決を不服として控訴した模様ですが、2020年4月30日の投稿でも述べた通り、私はこの件で人間として恥ずべきことは何もしておらず、控訴審で負ける要素も見当たらないと理解していますので、引き続き、毅然とした姿勢で対処していきます。

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【おまけ】

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裁判の判決を聞くために久しぶりに上京した際に、新幹線の車窓から撮った富士山。行き(2月4日:上)も帰り(6日:下)も快晴で、素晴らしい眺めでした。
 
 
 
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2020年12月31日 [その他(雑感・私生活など)]

うかうかしているうちに、2020年も最終日となってしまいました。先月もあれこれ忙しくて、ブログ更新の機会を逸しました。ということで、まず11月の出来事から。

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11月6日、「歴史群像」誌の12月号が発売されました。私の担当記事は「フランス領インドシナの第二次大戦」で、日本軍関係の戦史や昭和史の本にも「仏印」という名称で断片的に登場する、東南アジアのフランス植民地(現在のベトナム・ラオス・カンボジア)の第二次大戦(特に日本軍の軍事行動)との関わりを概説しています。

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1933年に始まった、日本とフランスの南沙諸島(現在、中国と周辺諸国およびアメリカとの間で紛糾の的となっている領域)の領有権争い等にも触れています。

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1941年12月に米英と戦争を始める際、東條首相は「アジア植民地の解放」を大義名分としましたが、1940年6月に本国政府がドイツへ降伏したあと枢軸国寄りの立場をとるフランスの植民地統治はそのまま尊重し、協力関係を築いて仏印の領土を兵站と航空機の基地として利用しました。つまり、ベトナム人等の独立運動を支援せず、逆に弾圧する側に立っていました。

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歴史群像」誌12月号の読者コーナーには、10月号に寄稿した「済州島4・3事件」と「歴史ボードゲームの楽しみ方」の記事への感想が寄せられていました。伝えたいことが読者にちゃんと伝わっている事実を知る時、筆者として大変うれしく思います。


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11月15日には、晶文社から内田樹さん編のアンソロジー本『ポストコロナ期を生きるきみたちへ』が刊行されました。既存の社会システムの枠組みがあちこちで崩れて不安な気持ちになっているかもしれない中高生向けのメッセージ、という企画で、以前から若い世代に伝えたいと思っていたことを書きました。

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本の企画は「中高生向け」ですが、私はほとんど「いまの中学生」を念頭に置いて書きました。私が中学生だった頃、教師の振りかざす「内申書という脅しの武器」に萎縮して、振る舞いが縮こまっていった友人たちを思い出しながら。当時のそんな教育が、いまの日本社会の「あれやこれや」の原因でしょう。

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もちろん、一般の書店に並ぶ本ですから、同年代を含む「大人」の方々にも読んでいただきたいと思いつつ、今後の社会で必要になる「能力」を自分でみがく必要性についても論じました。これが正解だ、というような、マニュアル的な「答え」は何も用意していませんが、ぜひご覧いただければと思います。

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この本に関連して、私と同じく寄稿者の一人である青木真兵さん、奥さんの海青子さんのお宅(奈良県東吉野村にある人文系私設図書館「ルチャ・リブロ」)で11月29日に収録した1時間ほどの鼎談が、以下のサイトで公開されています。

【ポスコロ期】いつも心に反抗を

過去にも何度か、同ネットラジオに出演していますが、今回は『ポスト・コロナ期を生きるきみたちへ』に寄稿した内容を軸に、自由や教育、批判や反抗が必要な理由などについて話しました。

私の担当記事のタイトルにある「図太く、しぶとく」という言葉は、私の心構えであるのと共に、新聞記者や教師を含む友人を励ます時にもよく使っている言葉です。理不尽や不条理と対峙し続けるのは大変ですが、ただ「お互い頑張りましょう」でなく「図太く、しぶとくでいきましょう」と。

「図太く、しぶとく」という言葉は、ちょっとワイルドな感じの表現ですが、この後に「礼儀正しく」を付け加えると、より私の真意が伝わるかと思います。「図太く、しぶとく」と「礼儀正しく」は両立可能で、後者が前者の説得力を増すはず。人は本来、もっと図太く、しぶとく生きていいはずなんです。

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12月に入ると、以前にインタビューを受けたことのある「Wezzy(ウェジー)」というネット媒体で「詭弁ハンター」という連載コラムがスタートしました。

日本の社会を徘徊して、いろいろなものを破壊する「詭弁」という怪物に光を当て、その構造を解剖して読み解き、だまされないような免疫を皆で共有するのが趣旨です。昔は、ジャーナリズムがこうした「人の認識を歪ませる権力者の詭弁」を見抜く役割を果たしていたはずですが、最近はもう期待できないので、市民側が自衛するしかありません。

12月5日に公開した第1回の記事は、「菅首相の国会答弁に隠された『5つの詭弁』を読み解く」というもので、日本学術会議の任命拒否に関連して、菅義偉首相が2020年11月25日の参院予算委員会で述べた、短い答弁に仕込まれた「5重の詭弁」を読み解く内容です。

菅首相の国会答弁に隠された『5つの詭弁』を読み解く

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12月30日に公開した第2回の記事も、「日本学術会議問題を『首相機関説』で読み解く」というテーマで、過去の「天皇機関説」を踏まえた「首相機関説」という観点から、任命拒否を正当化する菅首相の詭弁を読み解きます。

日本学術会議問題を『首相機関説』で読み解く

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12月28日には、22日に東京の隣町珈琲で収録した平川克美さんとの「ラジオデイズ」の対談「政治家とメディアのレゾンデートル」の音源がリリースされました。

特別対談「政治家とメディアのレゾンデートル」

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冒頭で、平川さんとの対談が3回目か4回目と言いましたが、7回目でした(うち1回は想田和弘さんを交えての鼎談)。今の報道メディア、特に政治部の問題点についても、率直に思うところを述べました。

今回を含めた7回の対談音源は、下のページで一覧できます。

ラジオデイズ 山崎雅弘(1〜7)

タイトルを見ると、メディアやジャーナリズムの話題が多いですが、過去の歴史を振り返ると、政治の腐敗と暴走は「報道メディア/ジャーナリズムの弱体化」が原因で起きる場合が多く、メディアの社会的責任は重いです。

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2020年は、公私共にいろいろな出来事があった年で、予定していた外国旅行(6月のイタリア、10月の台湾、11月の韓国)のキャンセルを強いられたのは残念でしたが、過去にデザインした歴史ボードゲームがアメリカと中国のメーカーから出版されたり、さまざまな面での収穫も多い一年でした。

来年も、仕事やそれ以外の活動で、今の自分にできることを考えながら、ベストを尽くす所存です。どうかご支援のほど、よろしくお願いいたします。

それでは、皆様も、よいお年を!

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(2020年12月21日に新幹線の車窓から撮影した富士山。この時は、まだ冠雪がありませんでした。)
 
 
 




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2020年10月31日 [その他(戦史研究関係)]

久しぶりに、アマゾンKindleで電子書籍を3冊刊行しました。このシリーズのほとんどは、雑誌「歴史群像」に寄稿した記事を自分で電子書籍化したもの(一部は加筆修正)です。

1冊目は第73巻『インドと第二次大戦』で、戦前から続くインド国内の独立運動(戦後の独立はこの地道な運動の成果)と、英連邦軍で戦ったインド軍部隊、日本軍に協力した反英インド人義勇兵らの足跡を俯瞰的に振り返る内容です。

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『インドと第二次大戦』(Amazon)


2冊目は、第74巻『ビルマと第二次大戦』で、インドと共にイギリス植民地だったビルマが第二次大戦に巻き込まれた経緯(日本軍が蒋介石への物資輸送ルート遮断)と、日本軍を信用して協力し、のちに裏切られ、最後は反乱を起こしたアウンサンらビルマ独立派の足跡を追います。

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『ビルマと第二次大戦』(Amazon)


3冊目は、第75巻『モンゴルと第二次大戦』で、モンゴル人民共和国(外蒙古)と満洲国西部(興安各省)、中国の内蒙古の三つに分断されたモンゴル人各勢力の足跡を、俯瞰的にたどる一冊です。最近、中国の内蒙古自治区で起きた出来事も、最後に少し追記しました。

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『モンゴルと第二次大戦』(Amazon)


以下、電子書籍の今後の続刊予定です。

第76巻 『ギリシャと第二次大戦
第77巻 『中近東諸国と第二次大戦
第78巻 『オーストラリアと第二次大戦
第79巻 『オランダ・ベルギーと第二次大戦
第80巻 『イタリア内戦 1943-45
第81巻 『中国のドイツ軍事顧問団
第82巻 『アヘン戦争

イタリア内戦 1943-45』は、バドリオと連合国の講和から、ヒトラーのムッソリーニ救出、北部での傀儡政権「イタリア社会共和国」設立と、イタリア北部での終戦までの戦いを、政治と軍事の両面から考察しています。

下は、過去に刊行した電子書籍の専用ページです。2012年の第1巻以来、8年間で75冊を刊行しました(年内に第80巻まで出したい)。

六角堂出版 電子書籍リスト

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「戦史・紛争史研究家」という肩書きは、軍事作戦の分析から、戦争と紛争の構造解析、人種差別と戦う政治闘争まで、幅広い領域をカバーできるので便利です。





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また、10月16日付の神奈川新聞に掲載された、菅内閣による中曽根氏の葬儀への「弔意要請」についての記事で、私のコメントも掲載されました。

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ここで指摘している「心理戦で精神を疲弊させる」「主従構造を構築する」という手法は、強権的で非民主的な権力者がよく使う、世界史の中でしばしば見られる自国民の支配術です。


【おまけ】

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10月20日はスカッとした秋晴れだったので、前から行く機会をうかがっていた伊勢の二見浦へ車で行ってきました。有名な夫婦岩は、今回初めて見ましたが、想像していたよりも大きくて立派な岩でした。大きな方の岩の上には鳥居があり、鳥が居ました。

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夫婦岩の周囲一帯は、二見興玉(おきたま)神社の神域になっていて、久しぶりに神社に参拝し、交通安全のお守りを受けました。

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お昼は、その近所のお店で海鮮丼。出てくるまで時間がかかりましたが、注文を受けてから具材を一つ一つ用意しているのだろう、と思う断面の舌ざわり。

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そのあと、鳥羽まで足を伸ばして焼き貝をいくつかいただき、真珠島のそばにある遊歩道の段に座って、夕方まで海と青空を眺めて過ごしました。

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2020年9月30日 [その他(戦史研究関係)]

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9月6日に「歴史群像」最新号が発売されました。今回の担当記事(その1)は、日本降伏後、朝鮮半島が南北に分断されつつあった時期の済州島で起きた「済州島4・3事件」で、警察と右翼活動家、軍人が住民を「共産党シンパのアカ(バルゲンイ)」と決めつけて大量殺害した悲惨な出来事を、俯瞰的に解説しています。

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大国による信託統治や南北分裂を決定づける単独選挙に反対した済州島の市民を、当時の李承晩政権とその後援者であるアメリカ軍政当局は「秩序を乱す不穏分子」と見なし、警察と右翼団体を派遣して弾圧しました。それに対し、1948年4月3日に市民側の武装勢力が警察と右翼を襲撃すると、李承晩政権は軍を投入して武力鎮圧に乗り出し、武装勢力だけでなくそれを匿っていると疑われた大勢の市民を殺害しました。そして、1950年に朝鮮戦争が勃発すると、李承晩政権に従順でない済州の人々は「アカ」の疑いをかけられて弾圧や殺害の対象となり、済州島の人口の一割に相当する三万人の市民が殺害されましたが、その三分の一は女性と子ども、老人でした。一部の生存者は、難民として大阪などに逃れました。

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記事の最後で触れましたが、共産シンパと言いがかりをつけて3万人もの自国民を殺害した同事件について、韓国大統領は2003年に政府の非を認めて謝罪し、韓国軍と韓国警察も2019年に当時の誤りを組織として認めました。

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こちらは、済州島にある「済州4・3平和記念館」。済州島4・3事件には、アメリカ軍も深く関与していましたが、この博物館ではその辺りの経緯についても説明しています。当時の国際社会は、東西冷戦の勃興期であり、米軍は共産主義勢力の拡大に神経を尖らせていました。スコーチド・アース(焦土)戦略とは、ゲリラの拠点になりうる民家などを焼き払う、住民無視の軍事的行動でした。

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記事本文で触れた、済州島南西部の慕瑟浦にいくつも残る旧日本軍の掩体(飛行機を隠すシェルター)。1930年代に「アルトゥル飛行場」という日本軍の飛行場が島の南西部に作られ、1937年に日中戦争が始まると、ここを出撃した日本海軍機が南京などを爆撃しました。掩体の建設工事には、地元住民が強制徴用されましたが、コンクリートの中に鉄筋が入っているため簡単に壊せず、今も残されています。大日本帝国時代の負の遺産の一つです。

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これも、記事本文で触れた、済州島南西端の松岳山に残る旧日本軍の陣地洞窟。日本軍は米軍が本土上陸に先立って済州島に侵攻することを想定し、7万人の兵力を駐留させていました。山中にはトンネルがあり、岸壁には体当たり攻撃に使う特攻艇「震洋」を隠す穴がいくつも開けられています。「チャングムの誓い」のロケ地でもあるそうです(私は見ていないので、詳しくはわかりませんが)。

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済州島北部の東門橋にある韓国海兵隊の記念碑。済州島4・3事件の後、李承晩政権に貼られた「アカの島」という汚名を払拭するため、済州島の若者の一部は韓国軍の精鋭部隊である海兵隊に志願し、朝鮮戦争で北朝鮮軍・中国軍と激戦を繰り広げて戦功を挙げました。アメリカへの忠誠を示すために米軍に志願した、第二次大戦時の日系アメリカ人部隊(第442連隊)とも似た一面があります。

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また、「歴史群像」最新号には、担当記事(その2)として、前号付録ボードゲームのチュートリアル(手引き)記事を寄稿しています。前半部はカラーの8頁記事で、二人用ゲームを一人でプレイするやり方についても少し触れています。

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対戦相手がいないから、とあきらめる前に、ぜひ一度「ソロプレイ」を試してみて下さい。やってみると簡単で、歴史に関心のある人なら、新たな世界の扉が開かれると思います。
 
 
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太平洋の向こう側では、2008年に「シックス・アングルズ」第11号の付録として個人出版した歴史ボードゲーム(ウォーゲームまたはシミュレーション・ゲーム)「モスクワ攻防戦」の英語版 “Last Stand” が、アメリカのメーカー「マルチ・マン・パブリッシング(MMP)」から最近発売されました。

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年末から来年にかけて、米国であと2つ、中国でも1つ、歴史ボードゲーム発売の企画が進行中です。歴史ボードゲームの愛好家は世界中にいるので、旅先で現地のゲーマーと交流するのも楽しい経験です。
 
 
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それから、noteに新しい記事を投稿しました。

タイトルは『大村知事リコール運動で雑に使われる「天皇陛下」という言葉』。「天皇への侮辱を許すな」という大義名分で行われている、高須克弥氏や河村たかし名古屋市長らの政治運動が、本当に「天皇を敬愛する行動」なのかどうかについての論考です。諸々の根拠も挙げたので、少し長くなりました。

大村知事リコール運動で雑に使われる「天皇陛下」という言葉

記事より一部引用します。

今の時代を生きる日本人なら、『陛下』あるいは『天皇陛下』という言葉を聞いて、まず思い浮かべるのは、今上(現在の天皇)と上皇(先代の天皇)の姿でしょう。そんな人々が、事情をよく知らないまま、河村たかし氏の『陛下への侮辱』という激しい言葉を目にすれば、あたかも大村愛知県知事が今上や上皇に対して、何か侮辱的なことをしたと勘違いして、不快感や怒りの感情を胸に抱くかもしれません。そして、それを勘違いだと気づかないまま、リコール運動に賛同してしまう人も出てくる可能性もあります。


『天皇を侮辱するな』と高飛車に語る人間こそ、実は天皇の意に反していることがあり得ることをこの事件(1935年の「天皇機関説事件」)は教えています。

 
 
【おまけ】

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青山高原の風景。名張から30分ほどの場所にあり、標高7〜800メートルの頂部からは、伊勢湾と津市などの平野部を望めます。

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風が強い日が多いですが、この日は無風だったので、巨大オブジェのような風力発電の羽根車は止まっていました。

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2020年8月31日 [その他(ウォーゲーム関係)]

先月発売された「歴史群像」付録ゲームの「ノルマンディーの戦い」を題材に、全6回で歴史ボードゲーム(いわゆるウォーゲーム/シミュレーション・ゲーム)の解説記事を「ゲットナビウェブ」に寄稿しました。

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第1回は、そもそもなぜ戦史雑誌にボードゲームが付録で付くのか、という話から。単なるオマケというだけでなく、戦史への関心をより深める効果が、歴史ボードゲームのプレイには含まれています。

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また、読者の反応の中に「2人用ゲームが付いているけど、相手がいないのでプレイできない」とあきらめる声がありますが、実は「2人用ゲームを1人でプレイする」のも、歴史ボードゲーム(いわゆるウォーゲーム/シミュレーション・ゲーム)の醍醐味なんです。その理由は、最終回の第6回で説明します。

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歴史系のボドゲってなんか難しそう?
知識ゼロからの「歴史ボードゲーム」入門

【その1】
【その2】
【その3】
【その4】
【その5】
【その6】


それから、いま進行中の「大村愛知県知事のリコール運動」について、私が電話インタビューで述べた内容が、毎日新聞で記事になりました。有料記事ですが、私の発言部分の一部を以下に転載します。

「愛知知事リコールは『愛国』か 民族派からも疑問の声 トリエンナーレ補助金」(毎日新聞統合デジタル取材センター)

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【「もう一つ見逃せない点があります」と山崎さん。今回のリコール運動に35年の「天皇機関説」事件と似た一面がある、という。】
「あの時も、憲法学者・美濃部達吉が唱えた天皇機関説、つまり『天皇は国家の一機関であり、憲法の統制下に置かれる』という学説に対し、右派の思想家や政治家、軍人らが『天皇への侮辱だ』と言いがかりをつけて政治的攻撃を展開し、天皇機関説は潰されました。この事件が契機となって、天皇という絶対的権威を振りかざす恫喝(どうかつ)で言論が萎縮し、結果的に先の戦争を招いた、と言えるんです」
【現在では、実は昭和天皇自身が天皇機関説に賛同し、美濃部弾圧の動きに強い不快感を抱いていた ことが、武官長として天皇に近侍した本庄繁陸軍大将の日記などによって明らかになっている。】
「『天皇を侮辱するな』と高飛車に語る人間こそ、実は天皇の意に反していることがあり得ることをこの事件は教えています」


8月15日の午後8時からは、Chooselife Project というネットメディアの番組「75回目の終戦の日、"わたし"にとっての戦争責任とは何か?」にリモートで出演しました。

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パターン化した、ありきたりな「反戦平和論」とは違う形で、過去の戦争や今の自分が担う「未来への責任」について話そうと思いました。ネットでのリモート会議等は今回が初めての経験だったので、マイクと照明で技術的なトラブルが発生しましたが、他の出演者の方々のお話も大変興味深いもので、考えをさらに深めるヒントをいろいろ頂きました。

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番組の内容は、以下のリンク先で視聴できます。

「75回目の終戦の日、"わたし"にとっての戦争責任とは何か?」


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8月18日には、前から興味があった伊勢市の「尾崎顎堂記念館」へ車で行ってきました。

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尾崎行雄(顎堂)は、憲政の神様とも称される日本政界の偉人で、戦前戦中戦後と一貫して「立憲主義」と個人の自由と権利を尊重する政治を追求してきた人物です。新型コロナの関係か、見学者は私一人で、閉館時間まで館長さんと尾崎談義できました。

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マレー侵攻と真珠湾攻撃で太平洋戦争が始まって4か月後の1942年4月には、大政翼賛会による選挙候補者の推薦が「官選議員の選出に繋がる政府の選挙干渉で立憲主義に反する」との抗議の書状を東條首相に呈しました。尾崎さんはその後「言いがかりの不敬罪」で起訴されましたが、最終的には無罪の判決が下りました。

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1937年の日本人』(朝日新聞出版)で、国家総動員法の審議における尾崎行雄議員の批判的な演説を紹介しましたが、雄弁家のイメージがある尾崎さんも実は「しゃべるのが不得意だった」と知って勇気づけられました。私もしゃべるのは下手な方ですが、技巧よりも「誠意」が大事という教えを忘れずにいたいと思います。
 
 
 
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2020年7月25日 [その他(戦史研究関係)]

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7月6日に「歴史群像」第162号(8月号)が発売されました。発行元は、学研の雑誌部門が分社化された「ワン・パブリッシング」という社名ですが、発行体制は今までと変わりません。今年も、8月号はボードゲームの付録付きです。

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マップはリバーシブルで、表面は2人用の「ノルマンディーの戦い」、裏面は1人用の「米軍空挺部隊の戦い」です。

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2人用「ノルマンディーの戦い」のマップとユニット。1ターン=1日で、6月6日から12日までの一週間のノルマンディー海岸周辺における戦いを再現します。1ユニットは一部を除き1個師団、1ヘクスは実際の5キロメートルに相当します。

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こちらは1人用の「米軍空挺部隊の戦い」のマップとユニット。1日=4ターンの全8ターン(6月6日〜7日)で、プレイヤーは米軍の第82と第101空挺師団とユタ・ビーチから上陸する米第4歩兵師団を指揮して、サント・メール・エグリーズ周辺からユタ・ビーチに至る内陸部の制圧と、周辺のドイツ軍支配領域への進出を目指します。米軍とドイツ軍の兵員は、アントライド(未確認)ユニットとしてゲーム開始時には裏返して配置され、プレイヤーは空挺部隊の指揮官ユニット(計10個)を使って各エリアの戦力を確認し、ドイツ軍兵員ユニットを各個撃破していきます。

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この種のゲームを初めてプレイする人のために、本誌にカラー2ページの「プレイのヒント」という記事もあり。2つのゲームは共に、1944年6月に決行された連合軍のヨーロッパ反攻「ノルマンディー上陸作戦」を題材としており、プレイすることで当時の指揮官が直面した課題や選択肢、個々の移動や戦闘の決断の重みなどを感覚的に理解するヒントになります。本誌には有坂純氏による「ウォーゲームの起源」に関する記事もあります。

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本誌の担当原稿は「アメリカ空挺部隊の奮戦」で、1人用ゲーム「米軍空挺部隊の戦い」に完全対応する内容です。サント・メール・エグリーズ等の戦場で、米第82と第101の二個空挺師団がいかなる問題に直面し、どんな戦い方で周辺地域を制圧して、ユタ・ビーチから上陸した米第4歩兵師団と合流したのかを、米軍公刊戦史などの資料に基づいて詳しく説明します。

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また、「歴史群像」のネットサイトで最新号の「制作こぼれ話」を書きました。付録ゲームに関連して、ノルマンディー戦をテーマとしたウォーゲーム/シミュレーション・ゲームをいくつか紹介しています。

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このネット記事を書くために、久しぶりにSPIの“Atlantic Wall(大西洋の壁)”のマップ5枚を書庫の床に広げてみました(右上が付録ゲーム「ノルマンディーの戦い」のマップ)。買ったのは中二の頃だったと思いますが、今もまだ手許に持っていることに、自分でも驚きます。

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オマハ・ビーチにユニットを並べて、上陸シーンを再現してみましたが、初めてこのゲームをプレイした時のワクワクした感情を思い出しました。

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そしてもう一つ、「歴史群像」の付録ゲームについて「プレイの仕方がわからない」「相手がいないのでプレイできない」という方のために、ルール解説とソロプレイ方法を紹介する全6回のネット記事を、ワン・パブリッシングのサイトで準備中です。ユニットをどう移動させるか、ゾック(ZOC)とは何か、戦闘解決でなぜサイコロを使うのか、兵站の判定は、ゲームの勝敗判定は、といった、基礎の基礎からの丁寧なウォーゲーム入門の記事です。

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発行部数34,600部(印刷証明部数)の全国配本の雑誌に、年に一回とはいえ、厚紙打ち抜きのコマシートと折り込みマップ、別冊ルールブックの付録ゲーム(しかも2人用と1人用の2個)がつくというのは、あの1980年代の「ウォーゲーム・ブーム」の頃にすらなかったのではないかと思います。

ちなみに、次号(9月発売)の「歴史群像」には「ノルマンディーの戦い」と「米軍空挺部隊の戦い」のリプレイ記事が掲載されます。新型コロナの影響で、なかなか対戦相手を見つけられないという方も多いかと思いますが、ネット記事とリプレイ記事では、2人用ゲームを1人でプレイするやり方とその醍醐味についても説明します。ぜひ、この付録ゲームを最大限に楽しんでいただければと思います。
 
 
 
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2020年6月17日 [その他(戦史研究関係)]

久々の更新です。まずは、5月7日に発売された「歴史群像」誌の6月号(第161号)について。今回はカラー頁と本文記事で、第二次大戦期とその前後のフィリピンを俯瞰的に読み解いています。

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カラー2ページの「フィリピンの戦跡を歩く」では、今年の2月に取材を兼ねて訪れた、マニラ市内とレイテ島の第二次大戦に関する遺構や記念碑、歴史的に重要な建物などを、撮ってきた写真と共に紹介しています。

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モノクロの本文記事「フィリピンの第二次大戦」では、第二次大戦中の日本軍とアメリカ軍の戦いに加え、米国式の訓練と装備を受けたフィリピン軍や、戦中の親米および非親米ゲリラ、それに対抗する親日フィリピン人義勇兵などにも光を当てています。

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東南アジアの植民地で唯一、近い将来の独立を約束されていたフィリピンは、なぜ戦場となったのか。日米という大国の狭間で、フィリピンの軍人や市民はどのような「敵」と戦ったのか。日本軍がもたらした国内の分断は、戦後のフィリピンにも大きな影を落としました。

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また、「歴史群像」誌の6月号には、この原稿2本に加えて、さらにもう1本記事を書いています。それは、毎年夏号の恒例となった「付録ボードゲーム」の内容紹介で、今回は2人用が「ノルマンディー上陸作戦」、1人用が関連テーマの「米軍空挺部隊の戦い」です。

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2人用の「ノルマンディー上陸作戦」は、1944年6月6日の「Dデイ」から6月12日までの一週間の戦いを、師団レベルで再現するゲーム。

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1人用の「米軍空挺部隊の戦い」は、Dデイと翌日の米軍空挺二個師団(第82、第101)とユタ・ビーチから上陸する米第4歩兵師団の行動をプレイヤーが指揮するゲームです。

付録ゲームが付く8月号(162号)は、7月6日発売予定です。


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続いて、新聞への寄稿です。6月6日の「神奈川新聞」朝刊に、黒川弘務(元)検事長をめぐる問題に関する論考を寄稿しました。「賭けマージャン」がスキャンダルとして騒がれ、レート云々という脇の話に国民の視線が逸らされましたが、発端である「総理大臣による公益に寄与しない脱法的な閣議決定」の問題は全然解決していません。したがって、報道はさらに追及を続ける必要があると思います。

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ところが、主要メディアの報道を見ると、もうこの件は取り上げる価値が無くなったかのように、さらなる追及を止めてしまいました。記事の冒頭で皮肉を込めて「黒川弘務という元検事長の名をご記憶だろうか」と書きましたが、実際もう忘れてしまった人も多いかもしれません。

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また、安倍政権による黒川弘務氏の定年延長強行が、日本国内で大きな反発と抗議を受けている状況を報じる、仏「リベラシオン」紙の5月17日付の記事に、私のコメントも少し紹介されています。なぜ多くの有名人や表現者が、検察庁法改正法案に対して反対の声を上げたのか、という質問に、いくつか私見を述べました。

Au Japon, l’affaire du procureur Kurokawa soulève un vent de contestation

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6月12日発売の「週刊金曜日」には、先日の首都上空でのブルーインバルス展示飛行についての記事を寄稿しました。

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自衛隊や展示飛行が「好きか嫌いか」レベルの論評ではなく、「主権者/納税者である国民への政府の説明責任の欠落」と「政治宣伝の効果」の観点から論じています。

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【おまけ】

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16年前の2004年に個人出版で出した独ソ戦のシミュレーション・ゲーム「ウォー・フォー・ザ・マザーランド」の中国語版が、中国のメーカーからボックス仕様で出ました。

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各種のグラフィックは、私が制作した原版のデータを向こうに送って、テキストの日本語部分を中国語に差し替えたもので、関連の戦史記事もオリジナル版に忠実な構成でルール冊子に収録されています。

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この5〜6年で、日本製やアメリカ製の戦史を題材としたボードゲームが数多く中国でライセンス生産されていますが、愛好者は日米よりも若い人が多いと感じます。上海や南京を訪れた際、現地のゲーマーと交流したことがありますが、日本のゲーム事情に詳しい人も多くいました。

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サイコロまで袋に入っているのが、今の中国の「力」だと思います。

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独ソ戦の作戦級シミュレーション・ゲーム「モスクワ攻防戦」も、同社からの出版企画が進行中です。
 
 
 
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2020年4月30日 [その他(戦史研究関係)]

新型コロナウイルスの感染拡大で、日本でも生活環境が変わった方が多いかと思います。いろいろと不便なことも多いですが、注意すべき問題を見極めながら、しぶとく生き延びていきましょう。

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さて、まずは告知から。今月、晶文社より『街場の日韓論』という本が刊行されました。内田樹さんを中心に、私を含め11人の筆者が現下の日韓関係や両国間に存在する問題を読み解き、これからの道筋を模索する、という内容です。

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私の担当章は「韓国のことを知らない日本人とその理由」。と言っても難しい話ではなく、私が中学生の頃から実際に経験した「韓国にまつわる話」を繋げて、なぜ知らないのか、一部の日本人はなぜ「知らせない努力」をするのかについて、考えを巡らせています。ある事実を主体的に「知ろうとする努力」の意味と共に、その事実を「知らせない努力」をして「隠す」人間が日本の一部にいるのはなぜか、という話も書きました。韓国人が自国の「不都合な事実」と対峙している事例も紹介。新型コロナ対応にも通じる話かも。

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また、私個人が歩んできた足跡の「一端」も、今回初めて開示しました。他の寄稿者の方々の原稿も、とても興味深いので、幅広い読者の方々にお勧めします。


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次に、先月初めに学研から「歴史群像」誌の4月号が刊行されました。私の担当記事「中南米諸国の第二次大戦」は、第二次大戦に関するほとんどの文献で無視されている(それゆえ参考文献は全部英語)、戦前と戦中における中米と南米の国々の立ち位置や動きを、政治と軍事の両面から解説する内容です。

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南米諸国と良い関係を築いていた戦前のドイツ、真珠湾攻撃直後に対日宣戦布告した中米諸国としなかった南米諸国、戦闘部隊を連合軍に参加させたメキシコとブラジル、最後まで親ドイツ的姿勢だったアルゼンチンなど、幅広い内容をカバーしています。戦後、なぜナチの戦犯が逃亡先にアルゼンチンを選んだのかも、戦前と戦中からの流れを見れば腑に落ちます。



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続いて、ネット記事も紹介。昨年、大阪・谷町六丁目の隆祥館書店で行った『歴史戦と思想戦』(集英社新書)刊行記念の内田樹さんとの対談が記事化されました。前編と後編の二つに分かれています。

「歴史戦」と「思想戦」の驚くべき共通点とは? 山崎雅弘×内田樹対談<前編>(週プレ)

「歴史戦」と「思想戦」の驚くべき共通点とは? 山崎雅弘×内田樹対談<後編>(週プレ)



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また、昨年10月に東京・神楽坂の「神楽坂モノガタリ」で行った『歴史戦と思想戦』に関連する、ジャーナリストの望月衣塑子さんとの対談イベントの内容も、記事化されました。歴史修正の文脈で使われるトリックと、現在の政治問題で使われるトリックの類似性などについて説明しています。

政治家が使う言葉のトリックの見抜き方(集英社新書)

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望月衣塑子さんとの対談より一部抜粋。

「日本人は、政府が何か言った際、善意で好意的に解釈してしまう人が多いように思います。でも、多くの民主主義国でメディアの情報に国民がどう接しているか、あるいはメディアが権力者にどう接しているかというと、『悪意があるかもしれない』と警戒し、決して言うことを鵜呑みにはしないのですね。特にジャーナリズムは、性善説的に権力者の言葉を紹介することは、まずない。『本当は裏があるのではないか』と常に警戒する。そこが今の日本のメディアと違うところです」


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それから、毎日新聞ネット版の4月10日の記事「『国難だから政権批判するな』が生み出す『本当の国難』」に、私の電話インタビューの内容が引用されています。私の発言部分を一部抜粋します。

「『批判するな』という声には2種類あります。一つは権威主義者。『政府のやることなのだから正しいんだ。だからお上の邪魔をするな』という人ですね。もう一つは、政権擁護のため、批判を封じようとする人です。共通するのは、(略)政府に従い、『一丸』となるほうが良い結果を生む、という暗黙の前提です」「この前提は歴史的にも、論理的にも間違っています」「軍事の世界では、戦略を立て、これに当てはまるように戦術を組み立てます。(諸外国では)感染拡大を防ぎ、国民の命と生活を守る、という戦略と、個別政策である戦術がかみ合っている。筋が通っています」「(安倍政権は)支離滅裂です。戦略と戦術がかみ合っていない。端的に言えば、今の政府は先の戦争と同じように、戦略なしに決定を下しているようです」

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さて、ツイッターでフォローされている方は既にご存知かもしれませんが、私は現在、ある裁判で当事者となっています。

その裁判がどのようにして提起されたかについては、以下の「ツイートまとめ」でご確認いただけます。

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竹田恒泰氏の朝日町教育委員会主催の講演を批判したツイートについて


その後、内田樹さんが呼びかけ人となって、私の裁判を支援する「会」を起ち上げ、裁判費用の募金を集めてくださいました。

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山崎雅弘さんの裁判を支援する会〈代表呼びかけ人・内田樹〉

4月30日現在、1200人を上回る賛同者の方々から、1100万円を超える寄付をお寄せいただきました。本当にありがたく、また心強く思っています。

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私はこの件で人間として恥ずべきことは何もしておらず、裁判で負ける要素も見当たらないと理解していますので、毅然とした姿勢で対処していきます。特定の事柄を単に立証するだけでなく、その背景や構造も含む形で「徹底的に立証」する作業を、本を書く時と同じ手法と熱量で進めています。その成果は、代理人弁護士とも相談の上、いずれ何らかの形式で、全て公表いたします。

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《おまけ》

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4月5日に近所を散歩した時、通りすがりに撮った桜の写真(周囲は無人)。

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新型ウイルスのせいで、お花見できなかった方々にもお裾分けです。

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2020年3月3日 [その他(戦史研究関係)]

1月と2月は、諸々の仕事と旅行、その準備などで忙しく、更新するタイミングを逸してしまったので、今年最初のブログ更新です。

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まず、「歴史群像」(学研)2020年2月号が、1月初めに発売されました。今回の担当原稿は「日系アメリカ人の第二次大戦」です。このテーマでは、第100歩兵大隊や第442連隊戦闘団などの日系二世部隊が有名ですが、日系人の強制収容所や日系二世の語学兵の活躍についても解説します。

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こうした米軍部隊の足跡に加え、在米日本人と日系アメリカ人への差別や偏見、強制収容所での生活などの市民の苦難にも光を当てています。真珠湾攻撃の後、アメリカ西海岸では「日系人が水道に毒を入れた」「日系人がロサンゼルスを襲撃した」等のデマが広がり、在米日本人と日系アメリカ人は鉄条網と監視塔に囲まれた強制収容所に入れられていました。アメリカ人だけでなく、現代の日本人も学ぶことの多い事例だと思います。

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また、一年ぶりに個人出版の電子書籍(kindle版)で新刊を二冊出しました。一冊は、『アメリカ vs. イラン』で、アメリカとイランの蜜月関係が始まった第二次大戦から、一触即発の対立関係にある現在までの、80年間の両国関係史を多角的な視点から読み解く内容です。先日起きた、アメリカ軍によるイラン革命防衛隊の精鋭部隊「コッズ部隊」の司令官殺害事件についても、概要を解説しています。

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『アメリカ vs. イラン』(Amazon商品ページ)

もう一冊は、『美術品と第二次大戦』で、第二次大戦中のヨーロッパにおける、ドイツとソ連、アメリカの三国による美術品の争奪戦を描いています。今はウィーンで観られるフェルメールの「絵画芸術」をはじめ、ダ=ヴィンチやラファエロ、カラヴァッジョ、レンブラント、フェルメールなどの傑作の一部は、第二次大戦中ヒトラーとゲーリングの手許にありました。一方、パリのルーブル美術館やソ連のエルミタージュ美術館などは、ドイツ軍が迫ると「モナ・リザ」などの名作を安全な場所へ避難させました。戦争末期にはヒトラーが膨大な美術品を隠したオーストリアの岩塩坑やノイシュヴァンシュタイン城を、米軍とソ連軍が争って捜索しました。

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『美術品と第二次大戦』(Amazon商品ページ)


それから、久しぶりに新聞に論考を寄稿しました。2020年2月1日付の「神奈川新聞」に掲載された「潔白示す義務 政府に」という記事です。

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行政府トップの内閣総理大臣をはじめ、公金を預かる立場の公的役職者は、その使い道について「不正を行っていないこと」を常に公的記録で証明する義務を負っており、その記録に空白や欠落があれば、それが犯罪として立証されなくても、公的役職者の地位を失うというのが基本的なルールです。

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こうしたルールあるいは常識が、いつの間にか忘れ去られ、犯罪捜査における「推定無罪」と混同して、不正を立証する証拠がないなら公的役職者がその地位に留まり続けてもいい、という誤謬(間違った認識)が社会で広く信じられているようです。こうした誤謬に疑いを差し挟まず、追及の手を緩める多くのメディアも、実質的には不正を隠蔽する共犯者となってしまっています。

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さて、次は旅行の話です。2月3日から7日まで、仕事の取材を兼ねてフィリピンを旅行しました。

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今回はルソン島のマニラとレイテ島で、フィリピンの独立運動や第二次大戦中の同国での戦いに関する史跡等を見てまわりました。博物館等の展示内容を見れば、その国の人々が重視している人や出来事がよくわかります。

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マニラの旧市街(イントラムロス)にある、戦争で命を落としたフィリピン人市民の慰霊碑。マッカーサーは日本軍の侵攻時、市民の犠牲を避けるためマニラを「開城都市」にしましたが、1945年のマニラ市街戦では日本軍は市民を巻き込み、大勢の市民を敵視して殺害しました。詳しくは昨年上梓した『沈黙の子どもたち』(晶文社)を参照。

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1926年完成の立法府議会ビルを再建したマニラの国立美術館には、フィリピンの歴史をモチーフにした長い絵巻物が、昔の議場に展示されています。同国を植民地として支配したスペインやアメリカとの戦いに加え、日本軍占領時代が大きな災厄として描かれています。フィリピンは、日本軍侵攻前に、既にアメリカから1946年に独立することを約束されていたからです。

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マニラの国立美術館にある第二次大戦時代をテーマにした展示室には、日本軍人によるフィリピン市民の虐殺や強姦を描いた絵画がいくつも展示されています。1945年のマニラ市街戦で、10万人の市民が死亡し、その過半数が日本軍人による殺害の犠牲者とされています。当たり前ですが、「日本軍への感謝」を描いた絵やモニュメントなどは、全く見当たりませんでした。

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イントラムロスの城壁に今も残る、日本軍が設置した大砲。

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フィリピンで国家的英雄とされているのは、まずスペイン統治時代に独立運動を指導して官憲に逮捕され、35歳で処刑された知識人ホセ・リサール(上)で、他には独立運動に尽力したエミリオ・アギナルド(下)とアンドレス・ボニファシオ、米統治時代末期に独立準備政府の初代大統領となったマニュエル・ケソンなど。

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マニラ市内には人文系書籍が充実した書店があり、フィリピンで刊行された第二次大戦に関する書物を買い漁りました。今年5月に出る「歴史群像」次々号に「フィリピンと第二次大戦」を寄稿する予定で、今回の取材で得た情報を織り込んで執筆します。ちなみに、2月3日は、悲劇的なマニラ市街戦の開始から75周年でした。

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マニラ市内の移動に便利なサイドカー。現地では「トライシクル(三輪車)」と呼ばれていますが、タイのトゥクトゥクと同様、狭い路地や市場の通路なども突っ切って走るので、タクシーよりも早く目的地に着きます。値段も100〜200円ほど。ただし、シートベルトが無いので、足を踏ん張ったりどこかを掴むなどの自衛が必要になります。

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マニラ市を走る電車。中は清潔で、女性専用車両もありました。

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レイテ島へは日帰りで行きましたが、激戦の舞台となった西部のオルモックとリモン峠、マッカーサーが上陸した地点として知られる東部のパロ等を車で巡り、記念碑や戦争で破壊された建物などを見学しました。上の写真は、オルモックにあるフィリピン人ゲリラ(親米)の記念碑。同地には、岐阜県慰霊碑建立奉賛会が建立した戦没者の慰霊碑もあり、手を合わせました。


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2月10日から11日は、講演で高知へ行きました。講演は、200人収容の会場が満杯になり、著書も73冊販売という大盛況でした。感想のアンケートでは「疑問やモヤモヤが解けた、今までとは違う視点が得られた」等の声が多くありました。ご来場下さった皆様、企画と運営をして下さった皆様、ありがとうございました。

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高知では、桂浜の坂本龍馬像や龍馬の記念館、自由民権記念館を見学しました。龍馬記念館には、東吉野のルチャ・リブロの入口に記念碑がある天誅組の吉村虎太郎(土佐出身)に関する書状もありました。龍馬は旧知の吉村らが東吉野で全滅したと知り「自分が戦の指図をしたなら打ち破れたのに」と残念がりました。

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自由民権記念館では、植木枝盛が明治14年に起こした憲法草案を知り、その大胆な内容に感銘を受けました。「政府が国権に違背する時は、日本人民はこれに従わなくてもよい」「政府が国権に背き、人民の自由権利を残害し、建国の旨趣を妨げる時は、日本国民はこれを覆滅して新政府を建設することができる」

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高知大学の小幡尚教授からいただいた、紙資料の保存についてのガイドブック。なぜ紙の資料を後世に残すのか、という意義の説明から始まり、紙資料の保存に適した条件や注意すべき点など、具体的な解説が丁寧になされていて、とても参考になります。湿度は、低すぎても紙に良くない模様。


【おまけ】

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フィリピンで食べた美味しいもの。地元料理のお店を探しても意外と見つからず、サン・ミゲルというフィリピンのビールを飲みながら、アジア料理全般をいろいろ食する結果となりました。2枚目の右側は、日本のしょうゆラーメンに似ていますが、麺はビーフンのような細麺とうどんに似た太麺の両方入っています。

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マニラ湾に沈む美しい夕陽。
 
 
 
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2019年12月31日 [その他(戦史研究関係)]

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今月も、新刊が出ました。単行本『東西冷戦史(一) 二つに分断された世界』(アルタープレス)がそれで、1945年の国連創設と1948年のベルリン封鎖から、20世紀後半の世界を文字通り分断した「東西冷戦」を、政治と軍事の両面から読み解きます。今回の(一)では、朝鮮戦争とインドシナ半島の戦乱に光を当てます。

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この本は、過去に雑誌「歴史群像」に寄稿した原稿の中から、テーマごとに抽出して加筆修正する「戦史・紛争史叢書」というシリーズの第一巻で、共通の執筆意図について書いた「はじめに」の一部を以下に再録します。

 戦争や紛争は常に、新たな形態で発生し、特に軍事面では過去の戦訓が役立たないことも多い。隣国ドイツからの侵入を防ぐ目的で、第一次世界大戦の戦訓に基づいて構築されたフランスの大要塞「マジノ線」が、戦車や航空機の発達で完全な「役立たず」となっていることに気づかれず、二〇年後に勃発した第二次世界大戦ではドイツの電撃的な侵攻をまったく防げなかったのも、そうした教訓の典型的な一例と言える。
 その一方で、戦争や紛争に至る「前段階」の政治的変化や国家間の対立がエスカレートするプロセスに目を向けると、軍事技術の変化とは別の次元で、過去から現在まで共通するパターンも数多く読み取ることができる。
 いったん戦争や紛争が始まってしまえば、主に「軍事」の出番となるが、その発生回避という段階では、さまざまな政治面の相互誤解や感情的な言動の応酬、国家指導部の面子や威信への固執など、昔も今も変わらない人間的要素と「理性の限界」が、その後の展開を大きく左右する。従って、戦争や紛争の勃発を回避するためには、その前段階にこそ目を向け、何が指導者や国民を狂わせるのかを理解しておく必要がある。

私の原稿を読まれた方には説明不要かもしれませんが、私は戦争や紛争についての分析原稿を書く時、その経過だけでなく、発生原因を含む「前史」にも重点を置いています。この本では、日本の敗戦に前後して進められた「国連=国際連合(United Nations、より原語に忠実な訳語は『連合国』)」の創設から、1948年のベルリン封鎖、1950年〜53年の朝鮮戦争、1946年〜54年のインドシナ戦争(フランス植民地からのベトナム独立戦争)、1965年〜75年のベトナム戦争、それに前後して隣国のラオスとカンボジアで発生した紛争について、東西冷戦という国際的な枠組みの形成と米ソ超大国の「代理戦争」という側面、そして個々の地域や民族、国家に起因する固有の事情に光を当てながら、全体像と発生原因、共通点を俯瞰的に読み解いています。

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東西冷戦の終結後に生まれた世代が社会に増えた今、冷戦時代の戦争や紛争も次第に風化しつつあるように見えますが、しかし個々の戦争や紛争に目を向ければ、そこに存在する力学や国民煽動の手法などは、今の世界で今なお生き続けていることがわかります。冷戦時代の「世界の分断」について、改めて「おさらい」できる一冊として、活用していただければ幸いです。


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次に、12月6日発売の集英社の季刊誌「kotoba」2020年冬号に、私のインタビュー記事(6ページ)が掲載されました。

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取材を受けたのは8月で、あいちトリエンナーレの展示中止とその背景にある歴史修正主義の思想、差別や憎悪を煽る言説が社会に及ぼす害毒、デマやフェイクを見破る方法などについて語りました。


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また、12月13日に平川克美さんと隣町珈琲で収録した「ラジオデイズ」の対談音源が、リリースされました。対談のテーマは、現在の日本における時事問題で、日本の若者の話もいろいろしましたが、若者を批判するという文脈では(もちろん)ありません。

山崎雅弘×平川克美「権力に抗えないメディアと不安な若者」


それから、今日の毎日新聞のネット記事に、私のコメントが紹介されています。

この1年を「日本が世界の真ん中で輝いた」と表現する安倍首相の世界観とは

以下は、私のコメントの抜粋です。

「『無意識なのかもしれませんが、図らずも安倍首相の頭の中にある『優先順位』を可視化しました』と、戦史・紛争史研究家の山崎雅弘さんは指摘する」
「『世界の真ん中で日本が輝く』という概念は、米国のトランプ大統領のような『自国中心主義』と同じように捉えられるかもしれませんが、それは違うと思います。首相は今回、米大統領来日、G20、即位礼正殿の儀、ラグビー・ワールドカップに言及していますが、すべて外国からの来客のことばかりで、自国民について全く触れていないのです。自国民の現状に関心がない」
「一過性のイベントの成果ばかりを自慢し、苦しんでいる自国の被災者は眼中にない、と批判されても仕方ない」
「そもそも『世界の真ん中で輝く国』なんて現実の世界には存在しません。情緒的な宣伝用の言葉なのです。現実離れした幻想を国民に抱かせ、政府の失敗や不都合な現実から目をそらす。その姿勢は、太平洋戦争の後半、戦況悪化という事実を覆い隠した戦争指導者たちの言動を連想させます」



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さて、2019年も今日と明日で終わりです。今年は本を4冊上梓し、『歴史戦と思想戦』(集英社新書)は各方面で大きな反響を呼んで、六刷のベストセラーになりました。買って下さった方、ありがとうございました。来年執筆する予定の何冊かの本について、資料収集と内容構成の練り込みをすでに始めています。

また、雑誌記事執筆や講演イベント、メディア取材などの言論活動も、幅広い形で行い、多くの方と新たに知遇を得ることができました。2020年も、さまざまな分野の仕事や活動でベストを尽くす所存です。来年も、よろしくお願いいたします。

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それでは、皆様も良いお年を!


【おまけ】

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2008年にデザインして個人出版した歴史ボードゲーム「モスクワ攻防戦」の英語版「ラスト・スタンド」が、来年初めにアメリカのMMP社から出版予定。テーマは第二次世界大戦のモスクワ攻防戦(雑誌「歴史群像」の付録になったものとは別のフルサイズのゲーム)。

これ以外にも、アメリカのコンパス・ゲームズから新作「フォー・マザーランド!」英語版が、中国のメーカーから「ウォー・フォー・ザ・マザーランド」(シックス・アングルズ第9号版)中国語版が、それぞれ出版される予定です。
 
 
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