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2010年2月19日 [その他(戦史研究関係)]

昨年秋から全力で取り組んできました、学研M文庫『ポーランド1939』ですが、今朝ようやく脱稿しました。

  まえがき 7枚
  第一部 膨張し続けるヒトラーの野望 43枚
  第二部 東西の大国に挟まれたポーランドの「宿命」 88枚
  第三部 「友好」から「敵対」へと転じたドイツ=ポーランド関係 68枚
  第四部 第二次世界大戦への道 151枚
  第五部 蹂躙されたポーランド 130枚
  第六部 独ソ両国によるポーランドの分割併合 100枚

第一部では、再軍備を宣言したヒトラーが、ダンツィヒ問題などに関する最初の条約草案をポーランド側に提示する1938年10月までの、ドイツの領土拡張とそれに対する英仏伊ソ各国の対応を概説し、第二部ではその条約草案がポーランドにとってどのような意味を持つかを理解する上で不可欠な、ポーランドの通史を解説しています。

第三部では、1938年10月の時点では「友好国」だったドイツとポーランドが、双方の利害対立やイギリスの思惑との交錯、ダンツィヒのドイツ人住民の民族意識の高揚などによって、やがて「敵対関係」へと変質する1939年4月までの、各国の外交関係を記述し、第四部では外交舞台へのソ連の登場と、独ソおよび英仏ソ交渉の経過、そして独ソ不可侵条約と英ポ相互援助条約締結を経て、第二次世界大戦が勃発する9月3日までの、ヨーロッパにおける国際外交を詳述しています。

第五部では、ドイツとポーランドの軍備とそれぞれの戦争計画、そして開戦から9月17日までの、ポーランド戦の経過を詳細に記述し、第六部ではソ連がポーランド侵入を開始するまでの経緯と、ソ連のポーランド派遣軍の編制内容、そして9月17日から10月5日までのポーランド戦の詳細な経過と、英仏両国のポーランド戦への軍事的対応、独ソ両国による勢力境界線の再確定、独ソ両国が占領地で早くも開始した知識人などの逮捕拘束、そして10月5日にワルシャワで催されたドイツの戦勝パレードという一連の出来事を記述しました。

本全体では587枚(+あとがき、地図、附録、参考文献など)となりましたが、前回の『ロンメル戦記』は全体で約500枚だったので、今回はそれより少し多目の文量になっています。ちなみに、『歴史群像』さんの原稿は、1回あたり大体45枚前後です。

今回も、自分なりにベストを尽くした結果として、かなり良いものができたのではないかと思っています。発売日が決まり次第、また本ブログでお知らせしますので、興味のある方はぜひご期待ください。


ポーランド側で制作された、ポーランド戦のダイジェスト。5月5日の国会演説でユゼフ・ベック外相が口にした「何よりも大切なもの、それは名誉である」という言葉は、いろんな意味でこの時期のポーランドを象徴していると思います。



それから、シックス・アングルズの割引販売に関しまして、多数のご予約をいただき、ありがとうございます。メールで私の「減益」を気遣って下さる方も何人かおられ、恐縮していますが、私の書庫でいわば「死蔵」されていたゲームたちが、あちこちのゲーマーの手元に出て行って、コマを切って遊んでいただけるようになれば、私にとってはこれ以上の喜びはありませんので、どうか今回の3アイテムについても、本誌を含めて、たっぷり楽しんでいただければ幸いです(絵に描いたような優等生的コメントで恥ずかしいですが、でも本心です)。

3月1日の店頭売り出しに間に合わせる関係上、2月20日に各小売店様からの第一回発注をお受けする予定で、アイテムによってはその時点で(出荷前在庫が)品切れとなる可能性もありますので、ご購入を検討されておられる方には、お早目のご予約をお薦めします。
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