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2006年12月25日 [戦略級 日露戦争]

12月23日の土曜日、予告どおり石田さんと「戦略級 日露戦争」のリプレイ
記事用対戦を行いました。ところが……展開があまりにも極端で、しかも
ゲーム途中で私の指揮する日本軍の破滅的敗北により終了(投了)して
しまったので、やむを得ず来年1月にやり直しの対戦をすることになりまし
た(石田さん、すいません)。


第4ターン(1904年5月)終了時の戦況。遼陽で対峙する日露両軍。


第6ターン(1904年7月)終了時の戦況。日本軍は史実より早く遼陽を攻略。


第7ターン(1904年8月)、ウラジオ艦隊が日本軍の商船活動を妨害。

第6ターンが終了する頃までは、日本軍は調子よく前進できていたのです
が、第3ターンにロシア軍旅順艦隊が日本軍の海上封鎖を突破(優秀な
東郷提督の能力を以てしても海上封鎖中の第1インパルスには6分の1の
確率で出撃失敗→捕捉失敗となる)して日本軍の商船隊ユニット2個を撃
沈した影響が少しずつ出始め、陸上作戦が停滞するようになりました。
そして、ロシア軍ウラジオ艦隊による商船活動への妨害行動で日本軍
兵力の大陸移送がはかどらず、遼陽戦線の膠着を打開するために、大山
元帥直率の支隊を営口西方の錦州に上陸させ、そこから一挙に敵戦線
背後の奉天へと進出させました。


第7ターン、大山支隊が錦州から奉天に進出。朝鮮戦争の仁川上陸ばり
の奇襲反攻。


第8ターン(1904年9月)、日本軍は奉天を攻略。しかし兵力的にはかなり
危ない状態。


同、旅順攻略に動いた奥第2軍。

この奉天包囲戦により、ロシア軍10個師団(全て戦力半減状態)を補給
切れで全滅させ、奉天正面の戦況を一挙に好転させることができたかに
見えました。ところが、第8ターンにまたしてもロシア軍旅順艦隊が封鎖
を突破。大山支隊の補給を司る錦州の商船隊が沈められ、奉天正面で
は日本軍の3個師団と4個旅団が全滅。大本営は、最後の望みを旅順攻
略に賭けましたが、第9ターンに実施された大連攻撃で歩兵1個師団と
後備旅団1個が全滅した上、第2軍の奥司令官が戦死したことで、一縷
の希望も潰えました。やはり日本軍にとっての最重要ユニットは「商船隊」
であり、この地味なユニットこそが日本軍の生命線であることを痛感させ
られた次第です。


第9ターン(1904年10月)、大連攻略で日本第2軍は壊滅的損害を被る。
奥司令官もあえなく戦死。


同、遼陽方面に残った日本軍は、戦力半減状態の2個師団のみ。
大山元帥は荒野をさまよう。

ゲーム展開としてはなかなか盛り上がった面白い対戦でしたが、日本軍
の運用法が根本的に誤っていたことが判明したため、今回のプレイ内容を
リプレイ記事にはしないことに決めました。このゲームにおける日本軍は、
前進途上でのロシア軍との交戦に際して、通常のゲームのように1つずつ
攻撃したのではすぐに攻撃側へのステップロスで部隊をすり減らすことに
なるため、「むやみに攻撃せず、包囲して1ターン待つ」という方法を多用
すべきだということを改めて確信しました。

日本軍の移動の後、次のターンの海上作戦ステージを挟んでロシア軍補
給判定フェイズがあり、そこで補給切れと判定されたユニットは全て1ス
テップを失うので、序盤に地図上にいる1ステップのロシア軍ユニットは、
補給線を断つだけで壊滅させることができます(その逆もまた真)。そして、
このゲームでは平地と道路つながりの隣接ヘクスにしかZOCが及ばない
ため、敵がユニットを連ねた「戦線」を形成せず、前哨部隊のような形で部
隊を前に進めていれば、攻撃という損害を伴う行動をとらなくても、わりと
簡単に包囲殲滅することができるわけです。

ただ、遼陽や奉天など、保持しなくてはならない重要拠点では当然、ロシ
ア軍も戦線を形成してくるので、日本軍はこうした場合にのみ、損害覚悟
の波状攻撃を実施することになります。要するに、このゲームの日本軍は
「いかにして(主要会戦以外の)戦闘を行う回数を減らしながら前進するか」
を最優先に考えなくてはならないわけです。遼陽会戦を開始する段階では、
日本軍の攻撃参加師団は全て完全戦力でなくては以後の北進作戦に支
障が生じるようです。

一方のロシア軍は、日本軍の前進をすぐに食い止められる兵力はなく、
ある程度の兵力が溜まるまでは、包囲されない位置まで後退しつつ、防
衛線構築を試みることになります。ゲーム前半のロシア軍は、ウラジオ艦
隊と旅順艦隊を活発に活動させて日本軍の商船活動を妨害し、陸上では
増援兵力の集中を心掛けて、日本軍の弱点に対する限定的な反撃を行
うことになります。

戦争全体のイニシアチブは、開戦後の数ターンは日本側が握っているた
め、ロシア軍プレイヤーは海軍の活発な活動で日本陸軍に間接的アプ
ローチで打撃(限定補給源である商船隊の除去)を与えた上で(これは
ボディブローのように後から効いてきます)、陸上での作戦を展開して、
イニシアチブを徐々に日本側から奪い取るよう努力しなくてはなりません。
ロシア陸軍の全般的な指揮能力は、日本軍から大きく劣っており、ロシ
ア軍プレイヤーは史実同様、よほどの運に恵まれない限り大規模な反攻
はなかなか行えない(多くのユニットが同時に活性化できる確率が低い)
のですが、防衛線の形成を工夫したり、限定的反撃による戦闘後前進で
拠点を奪回するなど、日本軍に損害を強いるような展開へと持っていくこ
とができれば、自ら大攻勢を行わなくても日本軍を自滅へと追い込むこと
ができます。このあたりの状況は、当時の日露双方の戦略的な国力差を
考えるとなかなかにリアルだと思います。

今回の対戦では改めて、このゲームにおける日露両軍の「とるべき戦略
と作戦」が、史実における日露両軍のそれとかなりの部分で一致している
ことを実感しました。東郷提督は1904年7月11日、大本営に対し「海上封
鎖の艦艇は消耗が激しく、封鎖活動が長期化することは危険である。バ
ルチック艦隊が回航してくる前に、本土の軍港へ帰港して修理する必要
があるから、一刻も早く旅順港を陸から攻略されたい」との電報を送って
いますが、一度このゲームの日本軍をプレイされれば、この東郷提督の
言葉がひしひしと身に染みて理解できるでしょう。日本軍は、遼陽の占領
と並行して、確実な旅順攻略のプランを準備した上で兵力の陸揚げを行
い、充分な兵力を南山方面に送らないと勝利の可能性は遠のきます。

また、今回の対戦では、日本軍商船隊の損害が大きく、船舶不足でウス
リー支作戦(朝鮮北東部ないしロシア領内への上陸)を実施できないと見
切られてしまったため、石田ロシア軍はウラジオストク方面のリネヴィッチ
とその配下部隊を鉄道で奉天正面に回していましたが、次回の再戦では
ウスリー支作戦の可能性と効果についてもプレイを通じてきちんと検証で
きる戦況に持っていければと考えています。とはいえ、旅順攻略という最
優先課題を間違いなく達成するために、効果の定かでないウスリー支作
戦を延期したという理由も、このゲームをプレイすればよくわかります。
史実では、日本軍が戦争末期に朝鮮北東部と樺太に限定的な上陸作戦
を行って「第二戦線」「第三戦線」を築いたのは、単に講和交渉の駆け引き
のためでしたが、標準ルールではその部分が抜けているので、より史実
に近い勝利条件を再現できる日本版選択ルールを考案中です(これらの
選択ルールで使用するオプションユニットとして、オリジナルには含まれて
いなかった第13~16歩兵師団と同後備歩兵旅団、第2後備歩兵師団、
長谷川中将の北朝鮮軍司令部、および以前にお話した秋山やミシチェン
コなど4人の戦術指揮官の各ユニットを新たに追加しています)。

自社製品を発行人が褒めるのは当然なので、読まれる方もその辺りの
「宣伝色」を勘案されているとは思いますが(笑)、プレイを重ねれば重ねる
ほど味が出る、奥の深い正統派のシミュレーションゲームですよ、これは。


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マコト

「戦略級 日露戦争」の発売を楽しみにしています。プレイ報告を見た感じではなかなか雰囲気が出ていそうで期待しています。大連のヘクスがなにげに拡張されているのは渋滞対策でしょうか? あと差し支えなければ海上封鎖ルールについて教えてください。機雷封鎖とか広瀬中佐のルールとかありますか?
by マコト (2006-12-27 12:30) 

Mas-Yamazaki

マコト様: コメントありがとうございます。海上封鎖のルールについてですが、これは「艦隊は毎ターン終了時に自軍支配下の軍港に帰港しなくてはならない」という規定の例外として、敵軍港付近に停留したままターン終了を迎えるという行動を指します。これにより、敵艦隊が軍港から出撃しようとすれば、すぐに対処できることになるわけですが、その反面長期にわたって洋上で停泊し、また敵艦船や沿岸砲台の反撃を受けて艦艇が消滅するというリスクも伴います(10月13日の記事で紹介した「海上封鎖損害表」を参照)。そのため、東郷提督は海上封鎖による消耗に耐えかねて、上の記事にあるような切実な手紙を大本営に送り、旅順港の攻略を陸上作戦の優先目標にして欲しいと要請したわけです。

また、このルールとは別に、海上封鎖している日本軍艦隊が1ターンの間、全く移動しなければ、封鎖している港湾に対する機雷敷設を実行できるというルールもあります。この機雷敷設は、1回につき1ポイントずつ蓄積され、軍港から出撃したり帰港したりするごとに、ランダムに判定された一隻の主力艦(たいてい戦艦)が、敷設された機雷ポイントに等しい砲撃力で砲撃を受けたのと同様にして損害判定を行わなくてはならなくなります。これにより、長期にわたる海上封鎖は、日本側だけでなく、ロシア側にも消耗の可能性をもたらすことになるわけです。

広瀬中佐に関するルールは、残念ながらオリジナル版にも日本版改訂ルールにもありませんが、海上封鎖と機雷敷設のルールは、当時の旅順を取り巻く戦略的情勢を上手く表現しているのではないかと思います。このゲームをプレイすれば、日露戦争における旅順港が、単に重要な作戦目標に留まらず、陸上と海上の作戦や戦略に複雑な形で(直接・間接に)影響を及ぼす、非常に興味深いファクターだったことがよくわかります。
by Mas-Yamazaki (2006-12-30 22:04) 

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