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2009年6月20日 [その他(ウォーゲーム関係)]

今週は、シックス・アングルズの作業はお休みして、学研さんの太平洋戦争ムック第4巻の担当記事3本(「イギリスのインド洋戦略」「オーストラリアの思惑と動向」「その後のオーストラリア」)の執筆に没頭していました。昨日のうちに満足のいく原稿がほぼ書けたので、今日はその推敲と、歴史群像次号「イタリア軍の北アフリカ戦線」(以前に少し触れたコンパス作戦の記事)の校正をした後、少しずつ進めている書庫の整理作業(仕事柄、半端じゃない数の文献や資料を常時管理しないといけないのでけっこう大変です)に着手しようと思っていましたが、注文していた『コマンド』誌と『ウォーゲーム日本史』の最新号が届いたので、今回はその話題で少し書くことにします。

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『コマンド』誌の最新号(第87号)で、一番興味を惹かれたのは、言うまでもなく大木毅氏の「SS中佐パウル・カレル」でした。過去に何度かお会いした際、このテーマについてもいろいろな話はうかがっていましたが、こうして具体的な事実の積み重ねを整然と突きつけられると、やはりショッキングですね。中には、この記事をざっと斜め読みして、単なる「パウル・カレル叩き」のように矮小化して理解してしまう人もおられるかもしれませんが、最初から最後まできちんと読めば、この記事のテーマが特定の一戦史家のみに限定されるものではなく、歴史書や戦史書を読む際の注意点や、読者が無意識のうちに特定の史観や視点、歴史解釈に支配される危険性についての警鐘という意味も含んだ、深い内容であることがわかると思います。

かくいう私も、著書の参考文献リストをご覧になればおわかりの通り、つい最近までは、パウル・カレルの著作を情報源として重用してきました。しかし、大木さんにメールなどで仕事の相談に乗っていただいたり、私の著作や執筆記事の問題点についてお叱りを受けたりする中で、パウル・カレルが実際にどのような人物だったのか、彼がどのような意図で著作を発表していたのかといった話を耳にするうち、自分も戦史研究分野での物書きの端くれとして、そろそろパウル・カレルは卒業すべき頃なのかな、と思い始めていたところでした。

大木さんが記事の中で書かれているように、昔は第二次大戦期のドイツ軍前線部隊の戦いぶりについて詳細に知ることのできる日本語の文献はパウル・カレル以外には見当たらず、また海外の文献も現在のようにネットで古書を安く簡単に買える時代ではなかったので、パウル・カレルの著作は長らく、日本の戦史研究者にとっては「唯一の道しるべ」的な存在でした。また、訳者である松谷健二氏の文才の賜物か、読み物としての完成度もきわめて高かったので、例えば酷寒の中で繰り広げられたヴェリキエ・ルキ包囲戦で、脱出したドイツ兵が味方の戦線にたどりつき、兵舎のストーブで暖められていたコーヒーを口に運んだ後、凍りついた表情を緩めて「ヴェリキエ・ルキから来た」と口にするシーンなど、深く印象に残っている描写はたくさんあり、GDWの「ホワイト・デス」などの東部戦線ゲームをプレイする時には、カレルの著作に描かれた情景が地図上に思い浮かぶことも多々ありました。

けれども、カレルの書いた著作そのものにどっぷり入り込んで読んでいた時期が過ぎ、いろいろな角度からの「別の道しるべ」となるような他の文献にも数多く目を通し、第二次大戦に関する戦史をより広い視野で見るようになると、カレルの書く内容に、ある種の誘導や印象操作のような匂いを感じるようになり始めました。

私が最初に、カレルの本を読んでいて「おや?」と思ったのは、『焦土作戦』の中の、文字通り「焦土作戦」に関する記述(フジ出版版のpp.338-340)でした。そこでは、ドイツ軍が独ソ戦末期に実施した焦土作戦(経済的収奪と破壊)について書いてあるのですが、こんなことは古来戦争ではごく当たり前のことだった、マールバラ公もカルル十二世もナポレオンも米南北戦争の将軍もみんなやっている、「戦争とは残酷なものなのだ!」「戦争をする者は、大地を焼きはらう。フランス人でも、アメリカ人でもイギリス人でも、ロシア人、ドイツ人、ソ連人、日本人、中国人でもだ。」という具合に、ドイツの責任を免罪しようという論調があからさまで、少し違和感を覚えたのです。実際、『ドイツ軍名将列伝』の調査で、ハインリーチが焦土命令を拒絶して軍司令官職を何度も「干されていた」という話を知ってからは、より一層、カレルの執筆態度に対して違和感を抱くようになっていました。カレルがその事実を知らなかったはずはないのですが、彼の著作にはこうした問題は一切触れられていません。

そのほかにも、ロシア人/ソ連人に対する明らかな蔑視は、行間から強烈に浮き上がっているので容易に読み取ることができましたが、私は少し前まで、こうした「偏向」も著者ごとの特性という範疇に収まる程度のもので、相対する立場の著作を何冊か読めばある程度は「毒気」を取り除けるものと理解していました。しかし、今回の大木さんの原稿を拝読して、自分の認識が甘かったことを改めて痛感しました。

旧ソ連における「第二次世界大戦史」が、共産党政権にとって都合のいい解釈に基づく文脈で全てを説明していた(そしてそのような文脈で説明できない事実は「存在しなかった」として無視・黙殺された)ことは周知のとおりですが、我々は今まで、言論の自由が保障されたいわゆる「西側」社会には、そのような歴史解釈にまつわる思考の誘導は存在しない、存在し得ないと、楽観的に考えてきた気がします。しかし、戦後60年以上が経過して、当時活躍した当事者の戦後社会における影響力が薄まるにつれて、隠れていた事実が少しずつ日の当たるところに出てくるようになり、我々が漠然と信じていた「視点」や「解釈」も、改めて根本から見直す必要がある時期に差し掛かっているように思えます。

偶然なのか、そうでないのかは不明ですが、同時に発売された『ウォーゲーム日本史』の最新号にも、こうした文脈に関連する重要な指摘が出ていました。16ページから始まる「ゲームで描かれる戦国時代像は、どこから来たか?」という記事の中で、筆者のGuevaristaという人は、我々が目にする戦国時代のシミュレーション・ゲームの多くは、歴史学の分野では既に疑問視されているような「古い歴史解釈」に基づいていることを指摘した上で、次のような非常に興味深い分析を提示されています。

八〇年代あたりを境に学術上の戦国大名観が大きく変容しつつあるにもかかわらず、デジタル/アナログゲームとも七〇年代以前の歴史観をベースにデザインされることが多いのは、それがゲームのグランドデザインとして好都合であるというほかに、現在のゲーム開発者諸氏が学齢期を過ごした年代の“定説”が、そのまま持ち越されているという一面も、抜きがたくある気がする。


すでに「事実」だと思って思考の根幹に位置していたことが、実はそうでなかったとするなら、そこから先に存在する枝葉の部分も事実を踏まえていないことになり、これを修復するのは、精神的にも負担の大きい面倒な作業ではあります。けれども、政治的・イデオロギー的な必要性から、特定の歴史解釈を主張し続けなくてはならない立場の人は別として、ただ純粋に、歴史的事件について「実際に何が起こったのか、その当事者は本当は何を意図していたのか」を知りたいと思うなら、自分が既に「知っている」と思っている事実に固執せず、もしかしたら違っているかもしれないと、常に「最終的な結論は留保」して、思考の柔軟性を常に保ち続けなくてはならないようです。

これら以外にも、今回の『コマンド』誌と『ウォーゲーム日本史』には、以前にこのブログでも話題が出ました田村さんの「ぶらりゲーマー亞細亞を行く」や、大木さんの「ノー・リトリート!」のゲーム紹介、鈴木銀一郎さんの「群像・戦国大名」など、どちらも読み応えのある記事が多くて、買う価値があったと思いました(「新・戦国大名」のゲームは、パッケージの開け方がわからないので、内容は未見です)。パウル・カレルの記事は、上に述べたような大木さんとの個人的関係を抜きにしても、第二次世界大戦の欧州戦史に興味のある人なら読んで損はない、そして戦史関係の文筆業者ならば「必読」の内容かと思いますので、私からも強くお薦めしておきます。
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AMI

ウォーゲーム日本史のぶりスターパックの開け方については、中黒さんの部ログで紹介されていました(url)。
機会があれば、ゲームの感想も興味があるので願いします。

by AMI (2009-06-21 10:12) 

Mas-Yamazaki

AMIさま: コメントありがとうございます。そういえば、そんな記事がありましたね。さっそく見に行って、パック切開工作の参考にしました。ただ、客の立場から言うと、こういう情報はブログのような離れた媒体ではなく、本体のどこかに入っていた方がいいような気がします。出戻り組はともかく、まったくのご新規さんは、中黒さんのブログを知らないと思いますので。

客の立場から、と言えば、もう一つ、このゲームが何人で遊ぶゲームなのかという情報が、パッケージの外側に入っているといいかな、とも思いました(ルール1ページ目の本文と4コマ漫画には、この情報が出ていますが、パッケージを手に取っただけではわからない)。一般のお客さん相手に売っているボードゲームのほとんどには、プレイヤー人数と「対象年齢: 何歳以上」という2つの情報が、必ずと言っていいほど、パッケージ(外箱)のわかりやすい場所にはっきりと記されています。

ゲームの内容については、私は以前に中黒さんと飲んだ時に「2人でプレイできる戦国大名」というような話を聞いた記憶があった(今から思えば私の勘違いだったのか?)ので、それなら妻とプレイできるかなと思っていたのですが、最低4人となると、残念ながら、すぐには遊べないようです。

ルールを一読した感じでは、「天運」という要素がおもしろいと思いました。威信や凄み、オーラ、といった、指導者に不可欠な「カリスマ性」を表しているのだと思います(話はそれますが、周辺業界への凄みや睨みという観点から、日本郵政の現社長の留任を支持するという意見をとあるブログで読み、そういう観点もあるのかと印象に残りました)が、こういった目に見えないが確かに存在すると感じられる力は、歴史を動かす上でも重要な要素だったのではないかと私も思います。党派や分野を問わず、ひよわな世襲指導者にはなかなか持ち得ない要素ですね。
by Mas-Yamazaki (2009-06-22 14:11) 

紫龍

山崎さんどうもです。興味ある記事を拝見したので、コメントします。

>ただ純粋に、歴史的事件について「実際に何が起こったのか、その当事者は本当は何を意図していたのか」を知りたいと思うなら、自分が既に「知っている」と思っている事実に固執せず、もしかしたら違っているかもしれないと、常に「最終的な結論は留保」して、思考の柔軟性を常に保ち続けなくてはならないようです。

非常に同感です。例えば日本の戦争については「戦記物」が大変たくさん出版されていますが、体験者の書くことが必ずしも真実ではなく、少なくとも全てではないということは意外と見過ごされていると思います。人間の記憶というのは結構「ご都合」のようですから。とりあえず、一つを読んで全てを知った気にならないことが肝要かと。

また今、GMTの「Samurai」というゲームの川中島シナリオをソロプレーしていて私のブログにもアップしているのですが、どうも伝えられる「車懸対鶴翼」という図式に疑問を感じています。そもそも上杉勢が武田の別働隊の攻撃の前に下山してくることを予期していなかったはずの武田本隊が、なぜ鶴翼の陣を布いて上杉勢を迎え撃てたのか不思議です。不期遭遇戦のようなのが本当ではないかと思います。戦場となった八幡原はかなりの広さなので、たまたま武田が陣を布いているところに上杉が来たというのはまずあり得ないと思います。
だいたいが戦国時代の有名な合戦というものは江戸時代の軍記物や講釈がソースになっているようなので、伝えられている戦況が軍事史的に検証に耐えるようなものなのか疑問です。長篠の合戦も鉄砲の威力が誇張されすぎだと言われているようですし。しかしこれは古い時代のことなので、通説を覆すようなものはなかなか出てこないかもしれません。けど、少なくとも第二次世界大戦については、単一ソースではなくいろいろな著作が出てきてほしいですね。

by 紫龍 (2009-06-23 21:31) 

Mas-Yamazaki

紫龍さま: コメントありがとうございます。GMTの「Samurai」とは、なつかしいですね。バーグ氏がこのゲームをデザインされた時、戦闘序列的な情報が必要だというので、いろいろと英訳して送った記憶があります(シックス・アングルズ第5号で、確かこのあたりの話を少し書きました)。ただ、ルールの写しは送ってくれたものの、実際にアメリカで行われているプレイテストの内容をまったく観ていないこともあり、出来上がったゲームを見て「あれれ…(笑)」という点がいくつかありました。

「車懸の陣」は、たしかに講談的な陣形の典型ではありますね。ある種のローテーションを意図した用兵が、後に誇張・脚色されたのかという気もしますが(ただの想像です)、某国のマスゲームではあるまいし、実戦でこれをやって混乱しなかったら奇跡ですね。長篠の馬防柵への騎馬突撃と鉄砲の三段撃ちは、今や貴重な観光資源にまでなっているようなので、事実かどうかという検証も、地元ではあまり歓迎されない可能性があるかと思います。

戦争体験者の貴重な証言も、本人には悪気がなくても事実認識に予断や思い込み、願望が反映している場合が少なくないと思いますし、歴史の実像(結論を留保する以上は「真実」という言葉は用いるべきではないと思いますし、実際私の書く原稿でもまったく使ったことがありません)に少しでも近づくためには、やはりいろいろな角度から光を当てるという不断の努力が必要なのでしょうね。
by Mas-Yamazaki (2009-06-25 00:03) 

Sgt_Sunders

歴史への好奇心が学術的探究にまで高まるのは、並はずれた情熱の持ち主に限られたことで、愛好者の大多数は雑誌、小説、ゲーム、ドラマなどエンタテイメントの範疇で楽しんでいるわけです。

さて研究者の努力と各種メディアの発達で愛好者=消費者に提供される知識量が70年代よりはるかに増大していることは確かですが、先進の学術研究と大多数の消費者の認識に大きな隔たりが生じるのは何時の時代でも不可避なことです。

仮に先端の研究成果をベースにしたゲームが消費者に受け入れられるとしたら、まずエンタテイメント性が必要と思われます。ゲームの発表時点ではそのシミュレーション性が正しいことを消費者は評価しえないわけであり、面白さがなければ「早すぎたゲーム」となってしまうことでしょう。

より広いエンタテイメント産業という世界からみれば、その制作者の認識も消費者の水準に近いことが大多数であろうし、商品化の際にはドラマストーリーの面白さやタレントがメイン商品であり、歴史認識はフレーバーに過ぎないことが主流なのです。(このブログの読者はそういった商品にあまり興味を示さないかもしれませんが)

一方で真実追究の果てに結論を出すとはクリエーター自身が自らの追究に一時的にでも限界線を引くことではないでしょうか。その際、エンタテイメントであるという暗黙の了解によって、小説家やゲームデザイナーは知りえない登場人物たちの思惑、心情を描くことが許されるのです。むしろ知りえない真実を真実らしく描くことによってエンタテイメント性が得られるといっても良いのでしょう。真実らしい結論を描くことが出来れば自信を持って作品を発表できる一方で、もし彼が真摯な追究者であればあるほど、消費者に許容される以前に、自身が自らの妥協を許さねばならないことでしょう。

by Sgt_Sunders (2009-06-25 17:38) 

Mas-Yamazaki

Sgt_Sundersさま: コメントありがとうございます。歴史研究を生業としていると、ついつい「歴史的価値=史実の正確な描写」という価値判断基準が唯一絶対であるかのように思い込んでしまう傾向があると思いますが、ご指摘のとおり、一般の人が歴史(を扱った読書やテレビ番組、映画など)に求めるのは、必ずしも「史実の正確な描写」ではなく、「描かれる人物の魅力」や「ドラマチックなエピソード」であったりします。なので、広義の学術的探求という路線についてきてくれる人以外には、「これが正確な史実だ」式の論調は訴求しない可能性もあると思いますが、しかしシミュレーション・ゲームをプレイする動機として、ある戦いのほんとうの姿を知りたいという、広義の探究心を挙げる人も、現状のシミュレーション・ゲーム界には多いと思いますし、最新の日本史研究を踏まえた、新たな戦国時代のゲームというのは、商品価値があるのではないかという気がします。

また、原稿であれゲームであれ、ひとつの仕事を仕上げる際には、ご指摘のとおり、限界線というか「現在の自分にできる最善を尽くした」「今はこれ以上のことはできない」という意味での「区切り」は不可欠だというのも、ご指摘のとおりだと思います。ただ、私はこれを「妥協」という風には捉えていません。というか、私はもう「妥協」と対比する意味での「完璧主義」という概念を信じてはいないのです。ある瞬間に私が「完璧だ」と思っても、それは単なる主観である上、物事の理解力や認識力も変化するので、10年経ってみれば、当時は「完璧」だと思った仕事が、お恥ずかしいレベルだと気づいて密かに赤面することも多々あります。人間はどこまでいっても、完璧とはほど遠い、不完全な生き物だと思います。

とりあえず、今の自分にできるベストの仕事をすること。今の自分にできないことを無理にすぐやろうとせず、少しずつ「それをするために足りないもの」を補う努力をすること。その2つを常に意識しつつ、今後もいろいろな仕事に取り組んでいきたいと思います。
by Mas-Yamazaki (2009-06-29 22:42) 

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