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2010年3月16日 [その他(戦史研究関係)]

まずは告知です。3月1日より、半額にて販売しておりますシックス・アングルズ第10号 『パウルス第6軍』 ですが、私の手元に残っている出荷前在庫が、あと残り15冊となりました。割引販売をスタートする前の在庫は、140冊でしたので、予約も含めると半月で125冊が売れた計算になります。お買い上げくださった皆様、ありがとうございました。

『歴史群像』誌次号の巻頭記事「バグラチオン作戦」の執筆も無事に完了し、今週は文庫本 『ポーランド電撃戦』 の地図の残りと付録制作に戻りますが、今回はこの文庫本執筆に際して集めた資料の中から、ちょっと珍しいと思われる品を、ご紹介します。

danzigpass01.JPG

一見すると手帳のようなこの品は、第一次世界大戦と第二次世界大戦の戦間期(約20年)に存在した「ダンツィヒ自由都市」発行のパスポートです。ポーランド側の呼称では「グダニスク」と呼ばれるこの都市(およびその一帯)は、歴史的にポーランドとドイツ(チュートン、プロイセン)が交互に統治した経緯があり、第一次世界大戦後にポーランドが独立した際、そこに編入することも検討されました。しかし、住民の99パーセントがドイツ人という実情を鑑みて、ポーランドへの併合は現実的ではないなどの理由から、国際連盟の管理下で、ナポレオン時代に短期間のみ使用された「自由都市」という特殊な地位に置かれることとなり、国際連盟の高等弁務官カール・ブルクハルト(スイス人)が、統治の統轄責任者を務める形となっていました。

我々日本人からすると、当時のダンツィヒ自由都市に居住していたドイツ人の立場は、日本に返還される前の沖縄県民のそれと、近いものがあったようにも見えます(違う点もありますが)。ドイツ帝国時代のダンツィヒに生まれたドイツ人は、ドイツへと旅行するにもパスポートが必要であるなど、政治的・経済的な不満は次第に高まっており、そこに登場したのがヒトラー率いるナチ党だったわけです。

danzigpass02.JPG

パスポートの1ページ目。ダンツィヒ自由都市の紋章が入っています。1937年発行で、有効期限は5年、内容はもちろん全文ドイツ語です。次のページには顔写真も入っていますが、プライバシーに配慮して非公開にします(名前もぼかしています)。

ダンツィヒの処遇をめぐるドイツとポーランドの利害衝突は、1939年9月のポーランド戦争、ひいては第二次世界大戦を引き起こすに至った要因の一つではありますが、しかしこの問題はヒトラーの領土拡張や「生活圏(レーベンスラウム)構想」とは無関係に、第一次世界大戦の戦後処理の過程で生じた紛糾であり、仮にヒトラーがドイツの政権を握っていなかったとしても、遅かれ早かれ表面化した可能性が高いと思われます。今回の文庫本 『ポーランド電撃戦』 では、もちろんヒトラーの周辺諸国への恫喝や領土の割譲など、今までよく知られた問題についても触れていますが、それとは別に、当時のドイツとポーランドの間に存在した、さまざまな政治的・民族的問題についても検証してみました。

第二次世界大戦は、なぜ、どのようにして勃発したのか。非常に大きなテーマであり、小さな文庫本で全てを語り尽くせたなどとは毛頭思ってはいませんが、自分なりに問題点をある程度整理して提示することはできたのではないかと考えていますので、興味のある方はぜひ楽しみにしていてください。

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