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2010年4月8日 [その他(戦史研究関係)]

学研M文庫の新刊 『ポーランド電撃戦』 が届きました。表紙には、今回も大西將美さんの素晴らしいアートをあしらっていただきました。

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以前にどこかで何回か書いたことがあると思いますが、私はシミュレーション・ゲームに出会う前、プラモデルの製作が好きな子供で、特によく作っていたのが、タミヤの1/35スケールの「ミリタリー・ミニチュア(MM)」シリーズでした。多くの模型少年と同じく、私も溶剤と樹脂の香り漂う模型店で、白を背景として精密に描かれた戦車や車輌、兵士などのリアルなイラストを見て、次はどれを作ろうと心躍らせていましたが、あれから30年が過ぎた今、「あのリアルな箱絵」を描かれていた同じ方に、自分の著作の表紙を飾っていただけるというのは、なかなか現実とは思えないような、不思議な感覚です。調べてみたところ、大西さんがタミヤ模型に入社された(後に独立)のは、1966年とのことで、私が生まれる1年前の話でした。

大西さんは、学研のムック本の表紙も多く描かれていて、それらの中でも私が特に好きなのは、以下の6冊です。

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戦車の硬質で乾いた独特の質感や、名将のキャラクターを巧みに表現した肖像などを、落ち着いた色調で丹念に描かれる大西さんの絵は、時に激しい題材を描いている時でも、穏やかな気分で観ることができます。これからも、観る者を静かに魅了する、良い作品をたくさん描いていただければと思います。

今回は、新刊の告知をした後、「ゲーム・グラフィック私塾」の実質第1回を書くつもりでしたが、書いている途中で大西さんの表紙イラストをデジカメで追加撮影したりしているうちに、スペースが埋まってしまいました。ということで、「ゲームグラフィック私塾」は明日以降ということで、今日の残りは昼間に妻と散歩に出た時に撮った、桜の写真をお楽しみください。三重県名張市は、今が満開です。

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まる

ポーランド電撃戦に期待している読者です。1939年のポーランド戦は、包括的に叙述した日本語の文献は他に見当たらず、わたし自身も実はよく知らない戦争なので、どんな戦いであったのか、読むのが今から楽しみです。戦争がはじまるまでの、列強の外交・駆け引きも書かれているとのこと、そちらも興味ぶかいです。

次の歴史群像で、バグラチオン作戦の原稿を書かれたとのお話ですが、パウル・カレルの焦土作戦は、参考にされたのでしょうか? 戦史の世界では有名な本とされている一方、評価が分かれているとの話も耳にします。実際のところどうなんでしょう?
by まる (2010-04-10 11:05) 

Mas-Yamazaki

まるさま: コメントありがとうございます。『ポーランド電撃戦』は、このテーマについての予備知識をお持ちでない方でも、戦争勃発に至るまでの全体像と具体的な作戦経過の両方を理解していただけるような本になったのではないかと思います。あと数日で店頭発売ですので、ぜひご期待ください。

また、お尋ねの『焦土作戦』の件についてですが、今回の記事「バグラチオン作戦」の執筆に際しては、パウル・カレルの著書『焦土作戦』は直接の参考文献にはしませんでした。その理由はいくつかありますが、一番大きな理由は、既に『焦土作戦』を読んでいる読者(『歴史群像』の読者には少なくないと思われます)にも、新鮮な視点と情報を提供して内容に満足していただけるようにするには、『焦土作戦』の記述を取り入れた「焼き直し」のような記事ではなく、まだ日本で紹介されていないような、新鮮味のある情報を(未訳の洋書に基づいて)いろいろと盛り込んだ記事にした方が良いと思われたことでした。

ただし、次号から『歴史群像』誌では、主な掲載記事のそれぞれについて「より深く知るための参考図書」をいくつか紹介するコーナーが新設されることになり、その中では「バグラチオン作戦」に関連する参考図書の一冊として、パウル・カレルの『焦土作戦』を紹介しています。

この辺りの事情説明や、カレルの著作についての現時点での私の認識(学研M文庫の『ロンメル戦記』のあとがきで書いた内容が、一部で予想もしなかった物議を醸しているようです)については、長くなりそうなので、日を改めて記事の方で説明させていただこうと思います。
by Mas-Yamazaki (2010-04-13 00:10) 

ヤマイモ

はじめまして。山崎さんの書籍や雑誌記事は、よく拝読しております。
(不覚にも、御本人のブログがあることに、今まで気づきませんでした。)

「ポーランド電撃戦」、早速購入いたしましたが、軍事に関する部分もさることながら、戦前の外交史、それぞれの国家の構想が複雑に絡みあっていくうちに想定外の展開を招いてしまう流れが実にスリリングで、興味深く読ませていただきました。また、予算面など大きなハンデを負っていたポーランド軍が局地的に善戦している事実も新鮮でした。

『歴史群像』次号の「バグラチオン作戦」も、楽しみにしております。

P.S.
ところで、素朴な疑問なのですが、「ドイツ軍は一四〇万台の自動車を保有していた」(329頁)「一〇〇万台以上をポーランド戦に投入したドイツ軍」(368頁)とありますが、これは多すぎではないでしょうか?クレフェルト「補給戦」では1939年9月のドイツ国内の四輪自動車総数を50万台弱としており、国内の全ての自動車を軍が徴発・投入しても足りないような…。
by ヤマイモ (2010-04-29 00:09) 

Mas-Yamazaki

ヤマイモさま: コメントならびに著作への評価をいただき、ありがとうございます。

ご指摘の、ドイツ軍のトラックの数ですが、140万台(1.4 million)という数字は、Steven Zaloga の 『Poland 1939』 (Ospray)のP.32に拠っています。ただし、今回確認しましたところ、文脈を読み誤っていたようで、自動車に関する説明は「戦前に140万台の自動車を保有していた、ドイツ経済の資産的な優位に対し、ポーランドは3万3000台しか持っていなかった」とあり、これらの数字は「ドイツ軍」「ポーランド軍」ではなく、民間の数字を含めた合計自動車数でした。見苦しい言い訳になってしまいますが、この前後のところでは「ドイツ軍歩兵師団とポーランド軍歩兵師団の、馬と自動車、オートバイの装備数比較」と「独ポ両軍師団における通信部隊の規模の違い」が説明されていたため、自動車についても軍内部の記述と誤読してしまいました。

このような誤りを、見逃したまま本を出版してしまったことに対し、読者の皆様に深くお詫びいたします。また、以前に本ブログで告知したまま、まだ実現していない、私の過去の著作についての「正誤表」も、なるべく早く作成して、ホームページで公開したいと思います。

なお、ドイツ軍の保有自動車数については、クレフェルトの著作との相違などもあり、さらに新たな資料を探して、より正確な数値を調べるつもりです。貴重なご指摘をいただき、ありがとうございました。
by Mas-Yamazaki (2010-04-30 02:40) 

ヤマイモ

民間を含めた台数だったのですね。納得いたしました。
些細な質問に丁寧にお答えいただき、ありがとうございます。
by ヤマイモ (2010-05-01 00:05) 

JIN


 はじめまして。

 先生の軍事関係を通読させていただいている物です。

 ポーランドについては、ワイダ監督の『地下水道』を皮切りに、広瀬佳一先生の諸研究などから興味を持った者です。

 特に戦中期における国家連合構想については非常に興味があり、歴史的な背景から大国志向を持つなど、単なる被害小国とだけでは理解できない国民感情には興味があり、テヘランやヤルタでもポーランド問題こそが最大の争点だったことを知りました。

 もちろん『ポーランド電撃戦』も読みましたが、出来れば山崎先生の観点で「カティン」や「ワルシャワ蜂起」も絡めた戦争中後期のポーランドの動向を描いた作品も読みたいです。
by JIN (2010-06-19 23:38) 

Mas-Yamazaki

JINさま: コメントありがとうございます。ポーランド戦後の、亡命ポーランド軍の流浪や、カティンの森事件、ワルシャワ蜂起などについては、『歴史群像』第99号(2010年2月号)所収の「第二次大戦 ポーランド戦史」にて、概説ですが書かせていただきましたので、よろしければご参照ください。

ご指摘のとおり、テヘラン会談とヤルタ会談で、戦後のポーランド国境をどうするかについて論じられましたが、スターリンはポーランド東部のソ連併合を正当化するために「我々は英外相カーゾンが(第一次大戦の終戦処理時に)決めた線に従っているだけだ」と主張し、米英はこれを覆す論拠を見出すことができずに終わりました。ポーランドの悲哀を痛感するのと共に、スターリンの老獪さが、改めて浮かび上がるエピソードだったと思いました。

ワルシャワ蜂起については、歴史群像の編集部に「単独で記事にしてはいかがでしょう」と提案してありますので、もしかしたらいずれ書かせていただけるかもしれません。ポーランドの第二次大戦史は、思い入れのあるテーマですので、何らかの形でまた書きたいと思っています。
by Mas-Yamazaki (2010-06-23 00:09) 

JIN


 おお! 山崎先生の「ワルシャワ蜂起」! 楽しみです! 見たいです!

 
 ちなみに自分的に戦間期・戦中期のポーランドでまず関心があるのは、「虚構の大国」という点。

 国際連盟の常任理事国問題など、とにかくロシアに代わるドイツへの牽制役を期待されて、フランスなどに持ち上げられている内に、次第に国民全体でマジな気分になって、自分たちだけでなく、御都合主義的に持ち上げてきた連中をもまとめて奈落に引き込む役を負うことになると。

 チェハノフスキの著書によれば、ポーランドが「虚構の大国」の幻想から逃れるためにも、「ワルシャワ蜂起」の悲劇は不可避だったという感じですが、イラク戦争での「新しいヨーロッパ」発言にも見られるように、このパターンは未だに死滅してはいないというか。

 
 あと自分的に引っ掛かるのは「ソ連の裏切り」という見方。

 それこそ蜂起自体が「軍事的にはドイツ」でも「政治的にはソ連」を相手にしていたというのなら、その相手のソ連が自分の血や汗を流さないのは当然至極の話ではないのかと。

 あるいは米英も含めて既成事実を前提に自らの主導権に全てを引き込もうという意図があったのかもですが、「自分の思い通りに動いてくれない」というのは明らかに甘えと泣き言であり、それがかえって犠牲と被害を拡大したような感じもするというかで。
by JIN (2010-06-26 12:04) 

Mas-Yamazaki

JINさま: コメントありがとうございます。「ワルシャワ蜂起」というテーマは、戦後の東西冷戦の入り口という位置づけもできますし、戦前のポーランドという国家の「美点(誇り高さ)」と「弱点(ある種の無謀さ)」を象徴する出来事であったとも言えると思います。

祖国が共産主義勢力の支配化に併呑される恐怖は、かなり大きかっただろうと思いますが、いずれにせよ、あの激動の時代における、あの国の政治の舵取りというのは、地政学的に見て相当に難易度が高かったように見えます。私もまだまだ勉強中の身ですが、今後もより深く理解するために、このテーマに取り組むつもりです。
by Mas-Yamazaki (2010-06-27 00:32) 

JIN


 ありがとうございます。

 あと戦中期のポーランドについて、先生の御感想をいただきたく思っているのが「国家連合問題」。

 これについては広瀬先生の研究で初めて知ったくらいでして、これについて触れた文献がまだまだ無きに等しいというのも不思議というか。

 そして「誇り高き」ポーランドとしてポイントなのが、これを実質的な「ヤゲロー朝」の復活として考えていたらしいというところ。

 だから「ミュンヘンの残滓」であるザオルシュ問題をはじめ、隣接のリトアニアやチェコと「対等」や「バーター」などという考えは薄く、むしろ周辺的な孤立化の要因ともなったというか。
by JIN (2010-07-10 12:56) 

Mas-Yamazaki

JINさま: コメントありがとうございます。ポーランドとチェコスロヴァキア、ユーゴスラヴィアとギリシャの連合構想などは、確かに第二次大戦中に戦場とは別の場所で進められた「戦い」の一種として、なかなか興味深い題材ではありますね。

ポーランドなど中欧の国について歴史を調べていると、国土の範囲についての認識など、日本人にはなかなか理解しがたい問題を意識させられます。それぞれの国の中でも、人によって「本来のわが国」の領域が異なっていて、しかも当然ながら周辺国で微妙に「わが国」の領域が重なっているとなると、そこにはさまざまな思惑や野望が生まれて、大きな歴史のうねりを生み出すきっかけとなることもあります。

『歴史群像』誌やムックの『太平洋戦争シリーズ』では、これまで参戦各国、とりわけ(いわゆる)「中小国」のそれぞれについて、個別の事情を書かせていただく機会がありましたが、大国中心の大戦史という「本流」とは別に、中小国の事情や思惑、そして対立などの「支流」にも目を向けることで、この壮大なテーマを多角的・立体的に描き出せるよう、今後もさらに勉強を重ねていくつもりです。
by Mas-Yamazaki (2010-07-13 20:24) 

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