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2010年9月7日 [ベアズ・クロウ(熊の爪)]

今日は、ひさしぶりにゲームデザインの話題です。現在執筆中のハードカバー本は、以前の記事でお伝えしましたように、1920年代の独ソ軍事協力から書き起こし、作戦の失敗が明白となる1942年初頭までの「バルバロッサ作戦」の推移をメインに描いているのですが、執筆に際しての事実関係の再調査と分析の過程で、現在製作中のゲーム『ベアズ・クロウ』の仕様を、大幅に見直した方がよいという考えに至りました。

当初の企画では、ハーフサイズの「スモレンスク」と「ルーツク=ドゥブノ」、そしてクォーターサイズの「ドヴィンスク」の3ゲームセットという仕様にするつもりでした。そして、「スモレンスク」は7月11日から8月9日までのスモレンスク会戦を扱い、「ルーツク=ドゥブノ」は6月22日の独ソ開戦から7月12日までの「ルーツク=ドゥブノ戦車戦とそれに続くスターリン線の突破」をカバーしたゲームとし、最後の「ドヴィンスク」は上記2ゲームと共通するシステムを使用して、開戦からドヴィンスクの渡河点確保、ソ連軍の反撃の撃退までを扱う、練習用のミニゲームという位置づけで考えていました。

しかし、当時の作戦経過とそれが両軍の指導部に及ぼした影響を改めて調査・分析し直した結果、「スモレンスク」については現在の仕様でほぼ問題ないと思われるものの、残りの2つについては、テーマの修正をすべきだという認識に至りました。具体的に言うと、「ルーツク=ドゥブノ」は国境からスターリン線という当初の構図ではなく、6月26日の「ルーツク=ドゥブノ戦車戦」開始から、スターリン線の攻防を経て、いわゆる「ジトミール回廊」におけるソ連軍の第二次反撃と、それに起因するドイツ軍の方針変更(7月19日の「総統訓令第33号」)までを、ゲームの「テーマ」とするべきかと思いました。

そして、ゲームマップの領域は全体的に東へとずらして、地図の北東端と南東端附近にキエフとウマーニの両都市を含め、ドイツ軍プレイヤーが最終的な戦略目標として「リスクの高いキエフへの直接攻撃」か、または「敵兵力の撃滅を優先する(堅実な)ウマーニ包囲戦」を自分で決断できるようにしようと考えています。6月26日からの「ルーツク=ドゥブノ戦車戦」と、7月10日からの「ジトミール回廊での反撃」により、ドイツ第1装甲集団は南北からの挟撃を受けて二度危機的な状況に陥り、このまま側面の敵兵力を放置してキエフへと楔状に突進したのでは、今度こそ先陣の装甲師団が包囲殲滅されるとの懸念が、ヒトラーと南方軍集団司令官ルントシュテットの共通認識となりました。

その結果、7月19日の「総統訓令第33号」では、キエフ市の早期占領ではなく、第1装甲集団の南に展開する敵兵力の包囲殲滅が先決だとする方針が明確化され、第1装甲集団は南に旋回して、ウマーニで敵の退路を断つという作戦へと移行することになりました。こうした経緯を考慮すれば、以前の記事でご紹介しました『ベアズ・クロウ』の基本コンセプトである「ソ連軍の稚拙ではあるが絶え間ない反撃の繰り返しが、ドイツ軍に少しずつ衝撃を与え、最終的には基本戦略を歪める効果をもたらした」というテーマをより的確に表現するためには、地図の東端をスターリン線ではなくキエフとウマーニにした方が望ましいという風に考えた次第です。この変更に伴って、ゲーム名も「キエフ」へと改名します。

一方、北方軍集団の戦区でも、ほぼ同時期に同様な事情で、ドイツ軍は7月19日の「総統訓令第33号」により、第4装甲集団のレニングラードへの攻勢は、ソ連軍の抵抗の強さに鑑み、後続の歩兵が到着する8月初頭まで延期するとの決定が下されていました。独ソ戦史に詳しい方ならご存知のとおり、第4装甲集団は第41と第56の二個装甲軍団しか持たず、中央軍集団戦区で見られたような「大包囲による敵部隊の殲滅」という作戦はとれない状況にありました。そして、ドヴィンスクで西ドヴィナ川を渡河した後、第4装甲集団は、両装甲軍団を集中して運用すべきか、それとも左右から敵の防御を突き崩すべきかという選択を何度も迫られ、結局後者の方針を採用して、第41装甲軍団は左翼へ、第56装甲軍団には右翼への突進が命じられることとなりました。

しかし、ソ連軍は限られた兵力をこの二本の槍の「矛先」に向けて、石つぶてを投げるようにして叩きつけ、第56装甲軍団はソリツィで包囲殲滅の危機に直面することになります(この辺りの戦いをカバーしているのが、GMT社の『ロード・トゥ・レニングラード』です)。一方、ルガ川の下流に位置するサブスクとポレチェでも、ソ連側は老元帥ヴォロシーロフの陣頭指揮により、第41装甲軍団がルガ川に築いた橋頭堡に対して、自軍の損害度外視で反撃を繰り返し、ヒトラーと北方軍集団司令官レープに大きな衝撃を与えました。そして、この衝撃こそが、先に述べた「総統訓令第33号」による、レニングラードへの進撃停止という「ドイツ軍の方針転換」を引き起こす結果となります。

こうした史実を考えれば、北方軍集団の戦区に関しても、練習用のオマケのミニゲームとしての(つまり作戦上の選択の幅がきわめて少ない)「ドヴィンスク」よりも、ドイツ軍プレイヤーが第4装甲集団の貴重な装甲師団(第1、第6、第8)と自動車化歩兵師団群をどのように運用し、作戦の重点をどこに向けるかを自分で決断できるゲームに仕上げた方が、ユーザーの方にも喜ばれるのではないかという気がしてきました。そこで、ミニゲーム「ドヴィンスク」の企画はいったんキャンセルし、プスコフとオストロフ周辺のスターリン線から、レニングラードおよびヴォルホフまでをマップに収める、ハーフサイズのゲーム「レニングラード」を新たにデザインすることにしました。

moth01.jpg

上は、『マザーランド』のマップ上で見た、『ベアズ・クロウ』3ゲームの地図領域です(この領域をハーフサイズに拡大するので、ヘクスのサイズは全く異なります)。「スモレンスク」(青)は同じですが(以前の記事を参照)、北部は「国境からドヴィンスク」ではなく「オストロフからレニングラード」を収める黄色い領域となります。また、南部でも「国境からスターリン線(ジトミール、ベルディチェフ)」ではなく「ルーツクからキエフ」を収めた形のマップに作り直します(ピンク色の領域)。

moth02.jpg


moth03.jpg

実際のデザイン作業は、早くても11月頃になりますが、テストの報告なども随時ご紹介していきますので、興味のある方はぜひご期待ください。
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コメント 2

作戦級の僕

興味をそそられる修正です。キエフ・ウマーニは類似コンセプトのゲームが他に無いですし、完成を楽しみに待ってます。
by 作戦級の僕 (2010-09-09 18:38) 

Mas-Yamazaki

作戦級の僕さま: コメントありがとうございます。私自身も、早くデザイン作業に着手したくてウズウズしています(笑)。完成品のイメージは、かなり明確に描けていますので、ぜひ楽しみにしていてください。
by Mas-Yamazaki (2010-09-15 23:46) 

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