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2014年6月16日 [その他(戦史研究関係)]

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先月から今月にかけて、執筆の仕事が忙しく、ブログの更新が一か月以上開いてしまいました。昨日の日曜で諸々の作業に一区切りついたので、今日はそれらの内容について少しご紹介します。

まず、潮書房光人社さんより、8月に新しい文庫本『クルスク大戦車戦』が発売されます。

ご存じの方も多いかと思いますが、クルスク会戦に関する研究は21世紀に入って大きく進展しており、東西冷戦時代に流布された「ソ連側のプロパガンダに基づく説明」は、実情から大きくかけ離れた内容であったことが、今では明らかになっています。例えば、クルスク会戦の天王山とも言うべき「プロホロフカの戦い」は、かつては両軍の戦車が数百輌単位で入り乱れて近距離から撃ち合う「大混戦」という形で語られてきましたが、旧ソ連崩壊後に明らかになった史資料などにより、実際にはドイツ軍の一方的な「戦車狩り」とも言うべき待ち伏せの対戦車戦闘で、ドイツ側がこの戦いに投じた戦車の数もさほど多くはなかったことが判明しています。

また、ドイツ第2SS装甲軍団がプロホロフカ周辺で何をしようとしていたのか、ケンプフ軍支隊の第3装甲軍団の進撃はなぜ遅れたのか、第4装甲軍の第48装甲軍団戦区で新型戦車「パンター」が苦戦した理由は何なのか(デッカーとシュトラハヴィッツ両大佐の確執も含む)、ソ連側のヴァツーチンやカツコフ、ロトミストロフは、こうした南部のドイツ軍にどう対応し、前線の狙撃兵師団や対戦車砲連隊はどんな戦術でドイツ軍の戦車に対抗したのか、そして北部戦域で第9軍司令官モーデルは麾下の各軍団長にいかなる命令を与え、初日に各軍団司令部を視察した後にどのような認識を抱いたのか、など、巨大な会戦を構成する細部についても、新しい海外の資料をふんだんに使用して描き出しています。

文庫本『クルスク大戦車戦』は、今まで日本の文献ではあまり紹介されていなかった諸々の「更新された事実関係」を整理した上で、独ソ戦を語る上で欠かすことのできない重要な会戦であるクルスク大戦車戦に、戦術・作戦・戦略・政治・人物・兵器・地図(戦況図25点)などの様々な方向から光を当て、この大会戦の全体像を浮かび上がらせようという試みです。興味のある方は、ぜひ楽しみにしていてください。

次に、7月5日発売予定の学研パブリッシングさんの雑誌『歴史群像』8月号では、私は2本の記事を担当しています。両方とも、1942年8月19日に北部フランスのディエップで実行された連合軍の上陸作戦がテーマで、白黒の本文ページではいつもと同じような仕様で、史実のディエップ上陸作戦がいつ、どのような理由で立案され、上陸作戦にはどの部隊が参加し、戦闘の経過はいかなるものだったのか、この作戦が後の第二次世界大戦の推移(特に2年後のノルマンディー上陸作戦)にどんな影響を及ぼしたのかを、様々な角度から解説しています。

一方、巻頭のカラーパートの4ページでは、今年4月にディエップの各戦跡を取材した際に撮影した写真(計14点)と、現地踏査を踏まえて作成した詳細なカラー戦況図(計5点)を使いながら、現在のディエップとその周辺の様子や各海岸の地形的特徴などを解説しています。ディエップ周辺の地形は、作戦実行当時とさほど変化しておらず、特に同地一帯の特徴的な地形である「断崖」の場所や高さを現地で確認した上で原稿を書いたので、今回の執筆作業では今までとは少し違った感覚で、主題に深く入り込んで書くことができました。

ディエップ上陸作戦の主力を担ったのは、戦闘経験豊富なイギリス軍ではなく、実戦経験が全く無いカナダ軍の第2歩兵師団でした。西部戦線でも東部戦線でも、連合軍が戦争を通じて最も危機的な状況にあった1942年夏に、なぜ練度に疑問の残るカナダ軍主体の作戦が立案されたのか? その辺りの背景についても、記事で詳しく説明しています。

そして、7月17日にベストセラーズさんから発売予定の『別冊 歴史人 第二次世界大戦』では、第二次世界大戦がなぜ起こったか(20年の戦間期に起きた主要な政治的・軍事的・経済的出来事も込み)と、ドイツ軍が戦争序盤になぜ優位に立てたかを、中学生くらいの読者にも伝わるように説明しています。両方合わせて計28ページほどありますが、第二次世界大戦の発生原因をヒトラー個人の「邪悪な野心」で片付けるのではなく、当時の国際関係や軍事技術の発達など、全体像を理解する上で「押さえておくべきポイント」をわかりやすく解説する記事に仕上がっていると思います。

また、六角堂出版の電子書籍でも、久しぶりに新刊を一冊出しました。第41弾『アラビアのロレンス』です。第一次世界大戦期の中近東で、アラブの反乱を支援した英国陸軍将校トーマス・エドワード・ロレンス。彼はどのような任務を帯びてアラビア半島に赴き、何を意図して「アラブの反乱」を導いたのか。そして、彼はアラブ民族に対して、実際にはいかなる感情を抱いていたのだろうか。

本書は、第一次世界大戦という大事件の中で、ロレンスというイギリス軍の将校が果たした軍事的および政治的な役割についての考察を、わかりやすく解説した記事です。現在の中東紛争の起源とも言える、第一次世界大戦後の英仏両国による「中近東処理」の問題点についても、ロレンスとアラブ勢力の活動との関係という方向から、光を当てて解説しています。

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『アラビアのロレンス』

イラク北部における最近のISIS(イラクとシャームのイスラム国)/ISIL(イラクとレバントのイスラム国)の勢力拡大は、イラク内戦の新たな展開であるのと同時に、中近東に引かれた国境線が、画定から100年を経て耐用年数に達し始めた証と見ることも可能かもしれません。ISISとISILは同一の組織で、シャームとレバントは共にシリア周辺一帯を指す古くからの呼称です。第一次大戦後のフランス統治時代のシリアも「レバント国」と呼ばれていました。ISIS/ISILは、スンニ派のイスラム法に則った独立国家の樹立を目指しています。

電子書籍『アラビアのロレンス』でも概説していますが、100年前にはシリアもイラクもパレスチナも全て「オスマン帝国(トルコ)」の一部でした。第一次世界大戦の戦勝国イギリスとフランスが、対トルコ戦に協力したアラブ人勢力を宥めるために領域を区分し、イギリスの影響圏では協力的なアラブ人指導者を王位に就かせたのが、現在の(独立国家としての)イラクやヨルダンの始まりです。元はシリアとイラクの区分は無く、英仏両国の利害調整で分断されました。この一連の流れにおいて、重要な役割を果たしたのが、英国軍人ロレンスでした。




今月の後半は、箱入りゲーム『騎士鉄十字章』の制作作業を本格的に進めます。近々、プレオーダーの募集を開始しますが、台湾の印刷所に見積もりをお願いしたところ、駒シートのコストが以前より少しアップしており、小売価格をどうすべきか思案中です。こちらも、興味のある方はご期待ください。



【おまけ】

昨年秋より、家の中で保護していたカマキリの卵が孵化し、ちびカマキリがたくさん出てきました。

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コメント 2

狸

おっ! 久しぶりの文庫本新刊ですね

楽しみだな~ 
by 狸 (2014-06-19 14:53) 

かに

騎士鉄十字章はオリジナルのWW2ゲームですか?
by かに (2014-06-22 03:40) 

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