2005年12月3日 [その他(テレビ番組紹介)]
普段はあまりテレビを見ない生活をしていますが、今日はたまたま夜に
仕事をしながら、2時間ものの番組を続けて観てしまいました。
1本目は「古代歴史ミステリー ファーストエンペラー始皇帝の真実」。
中国の兵馬俑には前々から興味があり、一度本物を見てみたいと
思っているので、その背景を知りたいと思ってチャンネルを合わせました。
趙高の「復讐動機説」は、某有名アニメにも似たような物語があったと
記憶していますが、しかし「当事者しか知らなかったこと(遺言書の内容
など)を『史記』の著者である司馬遷はどうやって知ったのか」という
疑問にも一理あり、真相を探るのはなかなか難しそうです。
http://www5a.biglobe.ne.jp/~hampton/016.htm
日本の「忠臣蔵」も、史実の政治的背景はけっこう複雑ですし、やはり
歴史における人物評価は難しいと改めて思い知らさせた次第です。
2本目は、チャンネルをそのままにしておいたら勝手に始まっていた
「山田太一ドラマスペシャル・終戦60年特別企画 『終りに見た街~
朝目覚めたら、昭和19年だった!夫婦は?親子は!? 戦争を生き抜く
現代家族の愛と絆…衝撃の結末』」。
主演の中井貴一と奥さん役の木村多江の好演が印象的でした
(名優が目白押しだった唐沢版「白い巨塔」でも、製薬会社のキャリア
ウーマン役を演じた木村多江の演技はひときわ光っていました)が、
結末は確かに「衝撃的」でした。何か、製作サイドに政治的意図でも
あるのかと疑うような、必然性がよくわからない話の持って行き方だった
ように思えます。エンディング直前にいきなり表面化した、大人世代と
若い世代の思考の断絶も、妙に後を引くものでした。
番組の大半を流れていたのは「戦争中は自由がない」「ものがない」
「戦争はいやだ」「だから現代の生活はすばらしい」という、今の日本での
常識的な価値判断基準で、中井や木村は当然のごとく「あの戦争は
まちがいだった」という(正しいはずの)結論から思考を出発させています
が、軍需工場や郵便局で同年代の若者とじかに接していた子供たちは、
国のためにいっしょうけんめい我が身を捧げる「彼らの価値判断基準」を
素直に受け入れてしまっていました。そして、大人は結局、(空襲の開始
で対話の時間がわずかしかなかったとはいえ)彼らを説得するだけの力
を持つ言葉(論理)を用意できませんでした。こうした「価値観の衝突」と
いうか、現代の価値判断基準で過去の出来事を安易に断罪する「常識」
に疑問を投げかけたという点は大いに評価できるところですが、それが
ドラマの主題であったにしてはあまりにも「価値観の衝突」部分の扱い方
が小さすぎるように思えました。当時の価値判断基準を無視して、現代
の価値判断基準だけであの戦争を論じることは、無益であるだけでなく
ある種の「暴力」と言えるほどに当時の人々に対する配慮に欠ける行為
だと私は考えていますが、それと「あのエンディング」を論理的にどう結び
つけるべきなのか、自分の中で答えが出なくてモヤモヤしています。
もし、あの番組をご覧になった方がおられましたら、ぜひご感想をお聞か
せ下さい。
始皇帝に関しては、どちらかというと悪評の方が高いような気がします。ただ、秦の次の漢帝国が歴史的に評価されたぶん、前王朝の秦、ついては始皇帝が悪く評価されている事もあるのでは、と思います。ちょっと違った始皇帝のイメージを伝える書籍がありましたので。http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/4167607018/250-4935282-4276215
ドラマの方は、私も前半だけ見ましたが、途中で止めてしまいました。ドラマの意味とは違うのですが、随所に間延びするシーンが多く、なかなか話が展開しない為、興味はありましたが退屈してしまいました。山崎さんのおっしゃる戦争の意味を伝え問う、と言う意味では作り自体がしっかりしていない、つまり制作者に本当に深い考えがあったのか?そこに疑問を感じてしまいます。当時の日本国民の今で言えば異常な?価値観がクローズアップされるばかりで、戦争を歴史として評価する、と言う部分がなかったようにも見えました(前半だけですが)。
その辺からすると、エンディングのモヤモヤ感も仕方なかったように思います。当時の人が正しいとは思いません、が、現在の我々が正しいという事も言えません。国内ではすでに前世紀の歴史としての客観的な評価がされていない事が、意味不明なドラマになった所以かもしれません。…と、感想になっていなくてすいません。
by 出戻り2 (2005-12-04 13:57)