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古畑任三郎の話 [その他(テレビ番組紹介)]

今年の正月は、ドラマ「古畑任三郎」のシリーズ最終話ということで
放映を楽しみにしていました。けれども、最後のニ話を見終わった
感想は、正直に言って期待外れでした。出演者の演技は、素人の
イチローを含めて文句のつけようがないほど緊迫していたと思います
が、全体の筋立ての作りこみが荒すぎるように思われました。

第一話は観ている途中でドイツから電話がかかってきて、竹馬の
トリックが見破られたあたりまでしか観ていないので論評は控えます
が、残りのニ話は、ほんとうに三谷幸喜が自分で書いたんだろうか、
と思うほど、完成度に疑問が感じられました。私はイチローが嫌いでは
ないので、第二話のテーマに強い興味がありました。しかし、スポーツ
マンだからフェアプレーを愛し、だから犯罪でもフェアプレーで警察と
対決する、という発想は、いかにも安易かつ不自然で、失望しました。

「犯人はフェアプレーを愛するスポーツマン。一方的なワンサイドゲームを
嫌う。だから、接戦になるように、わざと証拠を残してゲームを楽しもう
としたのだ」。三谷は古畑に、番組の中でこう言わせました。しかし、
スポーツが好きな人なら誰でもわかるはずですが、これはスポーツを
「観る者の発想」であって、断じて「スポーツマンの発想」ではありません。
スポーツマンが何より嫌うのは、不正や手抜き、八百長などです。
番組の中でイチローは、わざと手がかりとなるマッチを車に残して
警察との「知的ゲーム」を楽しむ人物として描かれました。でも、野球の
試合で、マリナーズが10対0で勝っている時、彼が「ゲームを面白くする
ために」わざと敵のフライを落としたり、わざと盗塁を失敗したりしたことが
あるでしょうか。もしマリナーズの長谷川が、ワンサイドゲームはつまらない
からといって敵にわざと打ちやすいボールを投げて点を与えていたら、
イチローは恐らく「プロなんだから手を抜くな」と激怒するでしょう。
私が見た限り、番組の中のイチローには、そういったプロのスポーツマン
特有の勝負に対する哲学がまったく感じられませんでした。

第二話の松嶋菜々子が二役を演じる物語では、古畑は双子の妹が演じる
テレビドラマ脚本家とかねてから交友関係にあり、彼女が書く警察ものの
ドラマの台本に専門的見地からアドバイスを与えるという筋立てでした。
そして、双子の姉が妹を殺害し、自分が妹になり代わって「姉が自殺した」
と偽装するというのが、物語の核心でした。しかし、本題の謎解きは別と
して、長い間いっしょに仕事をした大事な友人であり、しかも番組中では
ほのかな恋心すらほのめかされていた、その相手が殺されてまだ1日か
2日ほどしか経っていないにもかかわらず、古畑は嬉々としてジョークを
飛ばしたり、ヘラヘラ笑顔を浮かべて笑ったりしている。状況から考えて、
ありえない行動でしょう。私が「古畑任三郎」をよく観ていたのは、この
ドラマが他の凡百の「サスペンスドラマ」のように、死体も殺人も単なる
謎解きの道具でしかなく、主人公が謎を解いたら万事解決、殺人という
行動が持つ「重み」など紙ペラ1枚ほどにしか感じられないという軽薄さ
があまりなかったからでした。しかし残念ながら、ファイナルのニ話では
三谷幸喜の脚本も「殺人の謎解きを娯楽として楽しむ」レベルに堕して
しまったかと思わざるを得ませんでした。

「古畑任三郎」シリーズの中で、私が名作だと思う一本は、松本幸四郎
が大使を演じた「すべて閣下の仕業」という話でした。ここでは、殺人の
背景として日本と発展途上国との歪んだ関係が巧妙に配置され、一見
すると贅沢を楽しんでいるかに見える「大使夫人」の孤独感や、職場の
上下関係に苦しむ部下たちの悲哀、人間の野心や虚栄心など、単なる
「謎解きゲーム」に終わらないだけの深みを感じさせる作品に仕上がって
いました。この作品のクライマックスで、古畑は殺人を犯した大使にこう
言います。「あなたがこれまでにどれだけ立派なことをなさってきたのか、
私は知りません。あなたが今後、どれほど立派なことをされるのか、
それも興味はありません。しかし、死んでもいい人間なんて、この世には
一人もいないんですよ。」そして、大使が自決する銃声が大使館内に
響いた後、部屋に一人残され、悲痛な表情で目を閉じて額を押さえる
古畑…。再放送で観ても、最初から最後まで見入ってしまう作品です。

この名作と比べると、最後のニ話は「謎解き」の部分でも劣っている部分
があるように思えました。イチローが恐喝者にカプセルを選ばせる時、
彼はどうやって相手に「毒入り」を選ばせることができたのか? 三谷
ファンの石田さんによると、彼はフェアプレーの精神で五分五分の勝負を
挑んだのでは、ということでしたが、私にはありえないように思えます。
なぜなら、もし仮に自分が毒入りカプセルを飲んで死んでしまったなら、
それは彼が慕うお兄さんを最も苦しめる結果となってしまうからです。
犯人が捕まろうが逃亡に成功しようが、イチローの死体が発見されたら
お兄さんは「自分のせいでイチローが死んだ」と打ちひしがれ、死ぬまで
その負い目を背負っていかなくてはならなくなります。また、マスコミや
ファンも「あいつのせいでイチローが死んだ」とお兄さんを責めるので、
お兄さんは遅かれ早かれ自殺という道を選ぶことになるでしょう。実際、
イチローはロッカーで、お兄さんが自殺を考えているのを目撃していました。
兄思いのイチローが、2分の1の確率で兄の人生を破滅させるような
無謀な賭けをするとは私には思えないのです。

また、妹と入れ替わった双子の姉が、番組の打ち合わせなどには全く
出ていなかったのに、番組スタッフの名前と顔を全て知っていて、誰が
誰なのかわかっていたというのも不自然な話です。黄色いレインコートや
記者会見の質問内容以前に、スタッフとの会話を3分ほどしてしまえば
彼女が本物の「妹」でないことはすぐに関係者にばれてしまうはずです。
番組が始まって最初の頃には、「ブルガリ三四郎」という名前に笑って
しまうこともありましたが、設定上の名前で笑わせるというのは芸人の
「顔芸」と同じで、脚本(芸)に対する自信の無さの現れとも解釈できます。

物語の最後に明かされる「犯行偽装のトリック」は、論理的にはなるほど
と納得させるものですが、しかし人間はロボットではありません。私が、
このファイナルのニ話に失望感を感じたのは、「古畑任三郎」シリーズの
締めくくりが、論理だけで物語を構築するような、パソコンの推理ゲーム
に近いレベルで終わってしまったからでした。最終話の最後のシーンで、
犯人と踊っている古畑には、血が通っているようには思えませんでした。
2時間ものを3話書くのにどれだけの時間と労力が必要なのかは私には
わかりませんが、三谷幸喜本人は、はたしてこの「ファイナル」の完成度
に満足しているのでしょうか。


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ウィリー

あけましておめでとうございます。

いきなり本題に入りますが、たぶんイチローの話は
緋色の研究(シャーロック・ホームズシリーズの記念すべき第一話)の、
そして最後の松嶋菜々子のお話は「構想の死角」(刑事コロンボのTV版第一作)のオマージュでしょう。

オマージュだから細かいところでつじつまを合わせても仕方がないんですよ。
まず見た人が「あ、これは○○のオマージュだ」と
わかってもらえなければ意味がないんです。

なぜイチローは相手が毒を引くとわかっていたのか?
「そうだ。片方は毒が入ってないんだよ。それぐらいはじめからわかっていなければならなかったんだ」
犯人が残していた「毒団子が2つ入ったケース」の
片方が、実は無害であった時のシャーロック・ホームズの言葉です。
ここで言う「フェアプレイの精神」というのは
「丁半そろってなければ賭けが成立しない」という意味でのフェアなわけです。
なぜイチローは証拠をわざと残したのか?
はじめから逃げるつもりもないからです。
正解を出しなさい。そうすれば捕まってあげよう。
ここでプレイしているのは「犯人捜しをしている人たち」であり
イチローは、プレイヤーではなくアンパイアなのです。
(緋色の研究の犯人はまさにそのように振る舞う)

どんなオマージュだって、元がわからなければ
オマージュとして成立しません。
それだけのことです。
by ウィリー (2006-01-06 21:32) 

石田

長年見てきた僕の楽しみ方は 古畑の最初の見所は犯人の真剣な行動、次に辻褄の合わないこと徹底的に推理し調べ上げるたまに見ている僕ですらうっとおしい思えるまでの行動、最後は堀を完全に埋めて降伏させる この3つが常にしっかりしていたのですが今回はどれかがたりなかったのでしょうね 次回作に期待と言いたいですがこれでファイナルはぼくも非常に残念です

すべては閣下の仕業です、山崎さんのお気に入りなら、僕は明石家さんまさんが演じた今泉君に殺人罪をなすりつけてしかもその弁護を引き受ける小清水弁護士の話がお気に入りです最後が痛快でたまりません。

余談ですがさんまさん初顔あわせで遅刻して田村さん機嫌をそこねたのか相手の役柄がきにいらなかったのか当然撮影はしましたが雑談は一切なかったそうで最後も挨拶してもぷぃっとされたそうですよ、テレビでさんまさんが言ってたの覚えてます。
by 石田 (2006-01-07 00:36) 

Mas-Yamazaki

ウィリーさん、ご教示ありがとうございます。私は、推理小説などほとんど読まないので(ドイルのホームズ物で読んだのは「バスカヴィル家の犬」だけ)、そういう背景があったとは知りませんでした。

ですが、残念ながら、ウィリーさんのご説明を拝読しても、私が感じた疑問や失望感には、いささかの変化もないのですよ。むしろ、その説明が正しいとするなら、三谷という人に対する私の評価が、さらに二段ほど下がってしまうことになります。

まず、出典を明記せずに過去の名作の筋立てを拝借して推理ドラマの脚本とするのは、名作へのオマージュとかいう以前に、単なる「盗作」です。仮に100歩譲って、それが「オマージュ」という名目で許されるとしても、私が考える「オマージュ」の条件は、第一に「オリジナル版の存在を明示すること」(タイトルロールかエンドロールに入れる、事前の記者発表で説明する、など)、第二に「少なくともオリジナル版に匹敵する完成度を備えていること」なので、いずれにせよ私の評価は低いままとなります。「オマージュ」と称して名作の真似をしておいて、その完成度がオリジナル版よりも低いというのは、オリジナル版とその作者に対して失礼きわまりない行為です。最近は、オマージュやリスペクトと言えば過去の名作を勝手にいじることも許される風潮が一部であるようですが、私はクリエイターの一人としてそういった軽薄な風潮には大いに疑問を感じますし、オリジナル版に敬意を払っているのならなおのこと、その取り扱いには細心の注意を払うべき(名作の評価に泥を塗らないように)だと考えています。

※ちなみに、シックス・アングルズで過去の名作を復刻再版している事業も、ある種の「オマージュ」や「リスペクト」の部類に入ると思いますが、私はオリジナル版の著作者の名前を表紙やルール本文、本誌記事で明示していますし、不明点の補足やプレイに支障が生じる(論理的に齟齬をきたす)部分の修正以外でオリジナル版のルールを「改竄」したことは一度もありません。個人的な視点によるルール修正案は、オリジナル版ルールと完全に切り離して、ユーザーが納得した上で使用・不使用を選択できるようにしてあります。

三谷幸喜はプロの脚本家ですから、内容の不備を指摘されて「いや、あれは○○へのオマージュでして…」などと、素人の同人誌作家のような言い訳はしないでしょうが、番組に対する視聴者の期待やフジテレビ側の番組に対する扱いの大きさを考えれば、三谷幸喜はごく少数の推理小説マニアだけでなく、不特定多数の(ドイルの小説を読んだこともない)視聴者を主な対象とした脚本を書くべきだったはずです。それがプロの仕事です。オマージュなどという個人的な趣味的行為は、ギャラをもらわない媒体(たとえばネットのHPやブログなど)でやるべきことで、それを作品の瑕疵の言い訳として使うようでは(というか、実際には三谷幸喜はそんな言い訳をしていないわけですが)、やはりプロとは言えないでしょう。「オマージュだから細かいところでつじつまを合わせても仕方がない」というのは、私はちょっと違うのでは、と思いますよ。

あと、毒入りカプセルの件では、私はイチローの前後の台詞や行動との整合性から考えて、無謀な五分五分の賭けを単純にしたとは思えないので(ビデオに録画していないのでうろ覚えですが「やるなら完全犯罪だ」という台詞があったはず)、彼が単純に犯人にカプセルを選ばせたという展開はありえないと思いますし、彼が自分を「プレイヤー」ではなく「アンパイア」と規定していたというウィリーさんの解釈にも疑問を感じます。そもそも、殺人というのは社会の「ルール」に違反する行為なので、それをやる人間が「フェアなアンパイア」だという理屈は成立しないでしょう。

番組の中でのイチローの発言や行動は、毒入りカプセルの場面とマッチを車に残す場面を除き、すべて「恐喝されて苦しんでいる兄を救う」という方向で一貫しており、過去のエピソードに登場した何人かの犯人のように、自分の知的能力を誇示したり、警察とのゲームを楽しむために犯罪を犯した、という(不純な?)動機は全く無かったはずなのです。だとすれば、あの毒入りカプセルの場面で、兄の人生(自分の、ではなく)を破滅させるようなリスクを、何の備えもなしに犯したという説明は、彼の他の全ての発言や行動とはまったく整合しないのでは? 「正解を出しなさい。そうすれば捕まってあげよう」という解釈には、彼の行動を引き起こした最大の動機であったはずの「(救うべき大事な)兄の存在」が抜け落ちているような気がします。イチローの動機は、最初は「兄を恐喝者から救う」ことだったはずなのに、途中から「(警察との)ゲームに勝つこと」にすりかわってしまっている。そこが、私には納得できないというか、スッキリしない部分なのです。

まあ、たかがドラマの筋立てで熱く語ってもしょうがないわけですが(笑)。ちなみに、第二話の視聴率は27.0%、第三話は32.8%(瞬間最高)だったそうです。一般的に、テレビ番組は視聴率の数字が高ければ単純に「名作」「よくできた作品」と見なされますが、私のように「番組に敬意を表して最後まで観たが、筋立てには失望した」という人間の存在を考慮できるような複雑な仕組みにはなっていないようですね。でもイチローの演技力は素晴らしかったので、最後まで観たことが時間の浪費だったとは全く思っていませんが。野球の試合で言えば、ピッチャーが大量点を取られた試合で、イチローの猛打と好走塁で大量点を取り返してゲームには勝ったという感じでしょうか。

明石屋さんまの話は、未見なので、仕事が一段落したらDVDを借りて観てから感想を述べますね >石田さん
by Mas-Yamazaki (2006-01-07 11:59) 

Mas-Yamazaki

ちなみに、親友の瀬戸利春氏にこの件で意見を求めたところ「任三郎のスペシャル三本とNHKの新撰組外伝、それに映画の製作仕上げと、年末の三谷は多忙をきわめていたはず。一人で全部するのは無理。たぶん弟子の誰かに脚本を書かせて、フジテレビ側の了解を得た上で、名前だけ貸したんだろう」という身も蓋もない答えが…。
by Mas-Yamazaki (2006-01-07 12:12) 

kenta-ok

http://blog.so-net.ne.jp/kenta-ok/2006-01-19 長谷川のファンですが、長谷川のエピソードはホントでしょうか?それは、すごいプロ意識だと思います。
by kenta-ok (2006-01-21 01:33) 

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