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2011年7月22日 [その他(ウォーゲーム関係)]

今週は、KKベストセラーズさんの『歴史人』次号用の地図制作と、学研さんの『歴史群像』次号用の原稿「アフガニスタン紛争 2001〜(前編)」の執筆を並行して進めています。この2つの仕事が完了するまでは、ゲームのプレイもお預け状態ですが、前者の地図についてのある「アイデア」を担当編集者さんに提案した時、「それはゲーム的な視点ですね」と感想を述べられ、面白いということで採用していただきました。

この「アイデア」については、前回も書きました通り、雑誌の発売日までのお楽しみということにしますが、歴史シミュレーション・ゲームをプレイする人なら「ごく普通のこと」と思っている概念や手法、物事の見方が、実は一般の人から見て「新鮮」であるということも、もしかしたらあるかもしれません。

ということで、最近ツイッターの方で、自分がなぜ歴史シミュレーション・ゲームをずっと趣味として愛好しているのか、その理由について改めて考え、その結論をいくつか書いてみました。下は、その一連の発言を採録したもの(カッコ内の数字は発言の順番)ですが、一部は知人のゲーマーからのコメントへの返答になっています。

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7月17日(1) mas__yamazaki 山崎 雅弘    私が歴史シミュレーションゲームを愛好する主な理由。1)プレイや分析により、題材となっているテーマについて新たな視点や認識を得られる。2)相互に全力で目標を目指すことによる友人とのコミュニケーション(プレイ中の会話も含む)。3)複雑な概念や複数の要素が影響を与え合う状況を(つづく)

7月17日(2) mas__yamazaki 山崎 雅弘    (つづき)シンプルな部品の組み合わせによる動作確認モデルのような手法(ブラックボックスでないゲームシステム)に落とし込む、制作スタッフの知的工夫(非常に手の込んだ「たとえ話」)を知る喜び。ゲームに勝つか負けるかという要素は、私の場合、少なくともトップ3には入っていない。

一般的には、新しいゲームを買うと、ゲームシステムをまず覚えて、その上で「どうやってそのゲームで対戦相手に勝つか」という研究をされる方が多数派だろうと思います。ゲーム雑誌に掲載される記事の大半が、そうした方向性であることは、それが読者のニーズとして一番高いことを証明していると言えます。

ただ、それはそれで良いのですが、歴史シミュレーション・ゲームというホビーには「それ以外の楽しみ方」も確かにある、ということを、このホビーを愛好する一人として、探求し続けたいとも考えてきました。雑誌『シックス・アングルズ』に連載している「第6の視角」も、そんな探求の試みの一つです。

途中で多少のブランクを挟みつつ、もう30年もこのホビーと付き合っている私でも、まだまだ「底」が見えたという気になれず、新たな斜面を降りた先でなお、暗い深淵の奥底を覗き込んでいるような気分になることも多々あります。今は、私個人がまだよくわかっていない、カードドリブンというシステムの持つ「現実の一側面を表現する手法として可能性」について、自分なりに深く分析したいという欲求が、心の中で湧いているところです。

7月17日(3) mas__yamazaki 山崎 雅弘    歴史シミュレーションゲームの魅力は、複雑な多面体であり、全てを理解できている人はまずいないのではないか、と思う(私自身を含めて)。それなりに名の知れた業界人であっても、それぞれ重複しない形で、全体のおそらく6〜7割程度しか理解できていないような気がする(もちろん私見です)。

7月17日(4) mas__yamazaki 山崎 雅弘    ある趣味を構成する全ての要素を理解できないことは、別に恥ずかしいことではない。しかし自分がある趣味の全ての要素を知っていると早合点して、知らない領域が最初から存在しないかのように断定して何かを語る行為は、見ていて恥ずかしいし、周囲にいる人にとって迷惑である場合もあるように思える。

過去にこのブログでも触れたことがありますが(しかし敢えてリンクは張りません)、歴史シミュレーション・ゲームの楽しみ方について、自分の愛好するのと異なるスタイルを「間違っている」と断定してしまうのは、周囲との摩擦を生じるだけでなく、目の前にあるゲームの持つ「価値」の一部を捨ててしまうことも意味し、非常にもったいないことである気がします。

7月17日(5) mas__yamazaki 山崎 雅弘    今までとは違う「切り口」を、その趣味を始めたばかりの人から示唆されて「そういう見方があるのか」と発見するのも魅力だと思います。最初から自分の知っている範囲で全部という「壁」を作ってしまうと、新たな発見もないし、むしろ発見そのものを否定する思考になってしまう。@takeo5150

7月17日(6) mas__yamazaki 山崎 雅弘    この趣味における「主流派」的集団は、時代と共に変化してきたと思いますが、とりあえず誰もが「自分が知っている、理解しているのは全体の6〜7割程度」と意識していれば、残りの3〜4割を尊重する気になれ、少数派がストレスや負い目を感じるような空気は減らせるかな、と。@takeo5150

これらを書いた後、自分がゲームをプレイ中に「勝利を目指す」ことの意味について、あれこれと考えを巡らせ、自分の経験を踏まえた「とりあえずの答え」を導き出してみました。

7月18日(7) mas__yamazaki 山崎 雅弘    「相互に全力で目標を目指すことによる友人とのコミュニケーション」と「勝敗にこだわる(勝つことを目的とする)」の違いが何か、私なりに考えてみた。プレイ中の相手の判断ミスやケアレスミスのうち、自分が相手がとるであろう行動として想定していた範囲ならば、やり直しを認めること。知らんけど。

7月18日(8) mas__yamazaki 山崎 雅弘    石田さんとプレイする時、相手移動フェイズの終わり頃になると「こいつら、このままだと補給切れになるよ」とか「こいつ、包囲できるけど」など、お互いに相手の判断ミスやケアレスミスを補正することが結構ある。こういう遊び方を好まない人もいると思うが、我々の場合、この方式が一番楽しめる。

一つ補足しておきますと、例えばユニットが移動を終了する地域とか、戦線全体での兵力配分、攻勢重点の方向、特定の場所を攻撃するか否か、といった「指揮官の決断」については、(当然のことながら)一切口出しせず、相手の裁量を黙って見守ります。コメントで確認するのは、あくまで「相手がうっかり(本題と違うところで)見落としているかもしれないこと」だけです。

ところで、この書き込みとほぼ同じ時期、歴史シミュレーション・ゲームのポータルサイト「A Home Of Game Apes」の主宰さんが、次のような書き込みをされていたので、自分の「実感」とも共通すると感じ、リツイートさせていただきました。

7月17日 gameape   mas__yamazakiがリツイート    ウォーゲームの供給や価格が安定したり、プレイヤーが増えたり、関連メディアの種類が増えたりすることでプレイイングの充実に直接繋がるとは限らない、というのが1980年代前半に何となく得た僕の実感(つづく)

私にとっての「プレイイングの充実」とは、対戦相手と満足できるプレイが出来た時である場合もあれば、ルールを読んで「これは面白い発想だ」と感心した時である場合もあるし、システム研究のために一人で地図上の駒を動かしているうちに、題材となっている戦いについての「新しい視点」ないしそのヒントを見つけた時である場合もあります。

そして、今回の記事冒頭で述べたように、私がこのホビーを嗜む中で自然と身につけた「感覚」が、ゲームとは直接関係の無い仕事において、意外な形で役に立ち、それが多くの読者に喜ばれる(かどうかは雑誌の発売日にならないとわかりませんが)のであれば、私が進むべき方向性というのは「そういう(自分のゲーム経験をある意味で社会に役立てられる)機会をより増やす」ことであるように思います。

しかし、こうした経験は、非常に個人的な範囲で起こる出来事であり、このホビーを愛好する人の数が今の2倍や3倍に増えたからといって、機会が大きく向上するものではありません。このホビーの内側では、現在の愛好者の数が「望ましいレベル」よりも減っているとの前提(その根拠は判然としません)に立ち、「プレイヤー数の減少」という問題が、あたかもこのホビーの将来を左右する重大事であるかのように語る意見をたまに見かけますが、私はこうした見方には懐疑的です。

そもそも、日本の人口がほとんど変わっていない中で、新たな魅力あるホビーが最新のテクノロジーを伴って日々出現しているわけですから、従来のホビーを愛好する人の数が減るのは、ごく自然な成り行きです。ただし、歴史シミュレーション・ゲームを愛好する人の現在の数が、本来あるべき「望ましいレベル」より少ないかと言えば、私はそのようには思っていません。

むしろ逆に、私がこの30年間歴史シミュレーション・ゲームを趣味としてきた中で、出版・流通しているゲームの数と種類、アクティブなプレイヤーの数と種類、そして同好の士が中身の濃い情報交換を行える場の数と種類という面で、今がいちばんバランスが取れている「望ましい環境」であるような気すらしています。以前の記事でも書きましたが、私はいわゆる「ブーム」の時代がこのホビーにとっての理想的環境だったとは全く思っておらず、あの時期にはあの時期で、いろいろな問題(商業主義による粗製濫造など)を抱えていたがゆえに、ホビーとしての「冬の時代」を一時的に迎えることになったと考えています。

ご存知の方も多いかと思いますが、少し前に提示されたビジネスモデルの一つとして「ロングテール」という概念があります。これは、大まかに言えば、いわゆる「ブーム」あるいは「発売直後の売れ時期」が終わった後でも、少数ながら熱心な購買者がネット等を通じて長くそのカテゴリーの商品を買い支えるのであれば、ビジネスとしては充分成立する、というもので、私は歴史シミュレーション・ゲームも、このスタイルに合致しているホビーの一つであるように理解しています(ただし、シックス・アングルズ製品の在庫状況については、今は個人事業の限界という物理的理由から、この「ロングテール」の効果を最大限に活かせる形にはできていないのですが)。

歴史シミュレーション・ゲームというホビーに、この「ロングテール」の概念を適用するために、何が必要かと言えば、このホビーをもともと楽しんでいた人が、さらに深く濃く魅力を味わえるような、魅力の探求であるような気がします。メーカー側の商業的な視点からの工夫で、愛好者の人数を増やすことも大切だと思いますが、その増加が一過性のものに終わるかどうかは、ひとえにそのホビーそのものが「深い魅力」を備えているか否かで左右されるように思えます。

人間がやがて死を迎えるのと同様、個々のホビーもまた永遠ではあり得ず、衰退そのものは自然の成り行きとして受け入れるべきだと私は思います。ただし、これは俗に言う「滅びの美学」というような、衰退そのものに美を見いだす発想ではなく、限られた「生の時間」をより充実したものにする努力を惜しまない、という、ポジティブな文脈において、そのように考えます。

人間もこのホビーも、やがて終わりを迎えるのであれば、精一杯「深く濃く」その魅力を味わっていきたい。その道のりには「正解」も「終わり」もありませんが、その「正解も終わりもない」というところが、ゲームの題材である「歴史」の研究と同様、最大の魅力であると、私は強く感じています。
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出戻り2008

四半世紀前に対人プレイをしていた時は、「こいつら、このままだと補給切れになるよ」とか「こいつ、包囲できるけど」などは“指揮官のミス”と言う事で有り難く頂戴して、ルールの見落としや解釈を間違っていて損をしていると思われる場合に指摘し合っていました。

若者の趣味としては当時の状況の方が良かったかな、とも思いますが(発売されたばかりの日本語版ゲームを買ってきて、ルールを読むのももどかしく、仲間とわいわい騒ぎながらすぐにプレイして楽しむ、というのが当時私の主な楽しみ方だった様な気がします)、
中高年の趣味としては、ゲームの背景に在る戦史などに関する情報(関係する書籍名も)を簡単にネットで得る事ができ、近くの書店に無い本もネットで購入する事ができる(当時はハヤカワ文庫の戦史シリーズ?が主な情報源だったと思います)現在の状況の方が遥かに恵まれていると思います。英文ルールを訳さなくてはならないという欠点も、それぞれのルールの意味を噛み締める事ができるという利点として捕らえる事もできると考え、これからもこの趣味を楽しんでいこうと考えています。

南北戦争を題材にしたゲームをプレイした関係で“南北戦争”という本を読んだのですが、適切な“状況図”が不足していている事で読み進む事が容易で在りませんでした(戦闘だけでは無く、南北戦争の背景も詳細に書かれている良書なのですが)。宿命のバルバロッサのように、全体図、戦域図、戦場図を統一されたスタイルで適時に挿入する事ができるのは、大きな武器になっていたのだなぁと感じました。海外の良書に図版を付加した翻訳書等も手がけて頂けると在りがたいと思います。
歴史陣の地図、楽しみにしています。
by 出戻り2008 (2011-07-22 21:24) 

takoba39714

「ポジティブな文脈」の件、伺えてよかったです。
例の飲み会談話の#7あたりで、「山崎さんは衰退に肯定的」という話の一部分だけが出てきて、私はなんか違和感が(滅びの美学って山崎さんらしからぬという意味で)あったのですが、これで合点が行きました。
私はどっちかというと賑やかな方が好きなタイプで、商業主義の粗製乱造という側面も、元気の証しかなと思っちゃうんですが、確かに周りの空気を吸って気持ちがよかったのは、あのブームのピーク時ではなく、そのちょっと前頃かな。
TVCMが流れたころは「手垢にまみれちゃったかな。」と、少しゲンナリしたのを覚えています。
そういう意味では確かに今が色々丁度いいのかもしれないです。
少なくとも新作をフォローしきれずに、なくなく取捨選択するっていう状況にはあるわけで。
by takoba39714 (2011-07-24 10:24) 

Mas-Yamazaki

出戻り2008さま: コメントありがとうございます。ご指摘の通り、学生時代と今とでは、楽しみ方の方向性も深さも、全然違っていると思います。逆に言えば、年を重ねたら重ねたで、別の味わいが見えてくるのが、このホビーの魅力であるとも言えるかと。10年後や20年後、我々がどんな風にこのホビーと関わっているのか、それもちょっと楽しみですね。

戦況図については、先日『歴史人』の編集者さんと打ち合わせをした時にも同様の話題が出ました。私にとっては、原稿を書くのも地図を作るのも、私の頭の中にある「伝えたいこと」を読者に伝える手段なので、どちらも仕事としては同じような姿勢で取り組んでいます。

出版業界の一般論として、原稿のチェックは大手出版社ならどこも厳しいですが、戦況図については内容のチェックも求められる「地図」としての精度も、原稿ほどには高くないような印象です(私見)。しかし、情報を伝える手段として、戦況図は現状よりもさらに大きな可能性を秘めていると思いますし、より良い戦況図とは何かという模索を、今後も「実戦」を通じて行っていきたいと思います。
by Mas-Yamazaki (2011-07-29 02:19) 

Mas-Yamazaki

takoba39714さま: コメントありがとうございます。「衰退に肯定的」とか「滅びの美学」というのは、お察しの通り、私の意図とはちょっと違いますね。そもそも「衰退」とか「滅び」という言葉で、今のシミュレーション・ゲームというホビーを表現すること自体、それは本当なのか? と疑ってみることが必要かと思います。

遠く離れた場所に住み、プレイしたゲームも(おそらく)重ならないゲーマー同士が、こんな風に気軽に意見交換できるという状況自体、ゲーム雑誌の投稿欄や読者ページしか無かった時代に比べたら、隔世の感があります。もちろん、昔の方が良かった点や、今の状況が内包する問題点も、無いわけではないとは思っていますし、そういった部分にも目を向ける必要はあるでしょうね。

まぁ、あれこれと重箱の隅をつつくのもそれはそれで楽しい部分はありますが、本気で「外部の人にこのホビーを知ってもらいたい」と思うなら、自虐的な話題は完全に仲間内のオフレコとしてしまっておくべきかと思います。
by Mas-Yamazaki (2011-07-29 02:26) 

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