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2011年11月25日 [その他(雑感・私生活など)]

少し前の話になりますが、新潮社発行の『新潮45』という雑誌の2011年9月号に、興味深い記事が掲載されていました。今回は、その記事について少し書いてみます。

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「今こそ『ぴあ』が必要だ」と題された、その5ページの記事は、坪内祐三さんという評論家が書かれたもので、2011年8月4日・18日合併号を最後に廃刊となった情報誌『ぴあ』の、情報媒体としての役割と社会の変化について考察した内容でした。1972年の創刊号からの読者だという坪内さんは、『ぴあ』が廃刊から逃れられなかった理由について「ずっと若者雑誌として歩んできた路線を捨てきれず、今後も若者雑誌として誌面を作り続けようとしたからではないか」と書かれています。

ぴあ』は私の文化の指導者だった。その指導のもとに演劇やアートなどにも自分の趣味の方向が見えてくると、『ぴあ』は素晴らしいガイドブック、情報誌であることがわかるのだ。『ぴあ』が存在していた時代、人は(特に若者たちは)、『ぴあ』によって自分の関心の幅を広げていった。(P.141)


雑誌というものは時代と共に成長、あるいは変化して行かなければならない。なるほど、先にも述べたように、『ぴあ』の読者は若者たちだった。だから『ぴあ』はずっと若者雑誌であり続けようとした。しかし、最近の『ぴあ』を熱心に読む若者の姿を私はイメージ出来ない。(P.141)


現代の若者は、かつての『ぴあ』に詰め込まれていたような情報(芝居やコンサートの日程、映画の上映館や時間など)を、無料でインターネットから得ることができるようになり、彼らがわざわざ『ぴあ』を買うべき理由は、時代と共に失われていきます。しかも、『ぴあ』の巻頭に掲載されるタイプのインタビュー記事は、情報が限られていた昔ならばともかく、現在の社会環境の中ではどうしても「底の浅いパブ(パブリシティ=広報的)記事」的な価値しか持ち得ず、より「濃い情報」を求める若者以外の読者からも次第に見離される結果となってしまいました。

しかしそれでも、まだ『ぴあ』が存続できる道、情報媒体としての価値を持ち続けられる道は存在したのではないか、と、坪内さんは指摘します。

最終号に至る『ぴあ』の平均部数は六万部だという。今の時代にこの売り上げはけっして悪くないし、少し工夫すれば十万部は間違いなく突破出来る。(中略)『ぴあ』の創刊は一九七二年七月。当時の『ぴあ』の読者の平均年齢を例えば二十一歳だったとすれば、今年はちょうど還暦、六十歳になる。それは池袋文芸座の客層とも重なると思うのだが、そういう彼ら、『ぴあ』の第一読者たち、五十代六十代の人々に向けての『ぴあ』を改めて創刊すれば良いのだ。もちろん、隔週ではなくて月刊で。(P.142)


この提言を読んで、私はなるほどと思いました。かつての「若者向け雑誌」である『ぴあ』が、年を経て、成熟した「かつての若者」向けの「成熟した文化を共に味わう雑誌」に変質しても、何もおかしいところはないはずです。むしろ、『ぴあ』のような独特のネームバリュー(あるいはブランド価値)を持つ媒体の場合、青春時代を『ぴあ』と共に過ごした人々をこそ、大事な読者として扱うべきだという坪内さんの意見は、非常に説得力があるように思えます。

私は今年で44歳になりましたが、20代の頃に観た映画を今改めて観た時、面白いと思う点や、些細な演出の裏側に隠れた深い意図を感じる点など、若い頃には気づかなかったこと、人生経験の違いで理解できなかったことも、多々あることに気づかされます。俳優や映画監督へのインタビュー記事の内容やレビューの切り口も、若者のそれとは異なる、人生経験を経た上でこそ理解できる深みを持つものであるなら、『ぴあ』というブランドに愛着を持つ(かつて若者であった)読者は「今の自分に寄り添う媒体」として受け入れた可能性も大いにあります。

雑誌の方向性を変えるというのは、出版社にとっては大きな「賭け」であり、それを行ったから成功するという保障はどこにもありません。けれども、時代も読者も変化し続ける以上、雑誌という情報媒体もまた、存在価値を保ち続けるためには「今までと同じやり方でよいのか」「より価値を高める道はあるのではないか」との問いかけを、自らに課す必要があるのも確かでしょう。そして、その価値というのは「今それを読む」場合の情報的価値のみならず、読者が「その媒体と共に成長した記憶」のような、目に見えないものを大事にするという意味での「価値」も含んでいます。

ちなみに私自身も、つい数年前のことですが、『ぴあ』から忘れられない「思い出」を作るきっかけを(妻と共に)提供してもらいました。その時の話は、本ブログの過去記事で詳しく書いていますので、興味のある方は参照してください。

雑誌で紹介する映画や演劇、音楽の選択においても、現在の若者ではなく「かつて『ぴあ』と共に生きた世代」が求める方向性に特化する、という方針はあり得たでしょう。実際、何十年も前に若者の間で人気を博したロックバンドが、今再結成してコンサートを開くという時、そのターゲットは明らかに「現代の若者」ではなく「かつての若者」であり、そんなコンサートの告知を行っていた『ぴあ』自身、そうした図式をよく知っていたはずです。

豊富な「情報」を必要としていた年齢から、量より質の「読み物」を欲する年齢に達した読者は、それまで買っていた雑誌を買うのをやめ、別の雑誌を買うようになるというのが、一般的な流れだと言えます。しかし、そうではなく、雑誌自体が読者と共に「成長」あるいは「成熟」して、生き物のように変化していくというパターンも、あってもよいのでは、と思います。もちろん、そのような道を進んだなら、主な読者層の「寿命」と共に、雑誌自身も最期の時を迎えることになるでしょうが、それはそれで媒体としては「本望」ではないのか、という気もします。

こうした考え方は、雑誌だけでなく、隆盛と衰退を繰り返す個々の「趣味(ホビー)」についても言えるかもしれません。自分が若者だった時代に始めたホビーが、現代の若者から見て、昔のように魅力的に映るかどうか、という視点を忘れて、ただ漠然と「若者向けの路線」を続けたなら、衰退するのは目に見えています。しかし、「かつての若者」が「現在はどんな生活を送り、内面でどれほど成長・成熟したか」を踏まえた形で、ホビー自身もまた変化していけば、それはそれで楽しむ側にとっても「ホビー」自身にとっても「幸福な関係」と言えるのでは、と思うのですが、どうでしょうか。

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コメント 4

堀場

たしかに、目に見えない形で、いろいろなものが常に変化、進化しているのだと思います。

ぴあの話とは少し違いますが、名店と呼ばれ、長年にわたって愛され続ける飲食店は、実は少しづつ味を変化させていると聞きます。

また、自分自身の舌の感覚も、若かった頃とは違ってきているという実感があります。

そして、感受性もまた、世代による違いがあるのだろうと思います。

私は最近のHipHopやラップなどにはほぼ心を動かされることはないのですが、多分、今の二十代にはなにか感じるものがあるのでしょう。

ウォーゲームは、もしかしたらこのままガラパゴス化して滅びさっていくホビーなのかもしれません。
そして、誰にもそれは止めることができないのかもしれません。

それでも、自分が生きている間は、精いっぱいこのホビーを楽しみたいと思います。
by 堀場 (2011-11-28 22:31) 

Mas-Yamazaki

堀場さま: コメントありがとうございます。これは私見ですが、このホビーを楽しんでいる人の中にはどうも必要以上に悲観的というか、過去の情勢と現在のそれを比べて「悪くなった部分」を過大視し、「良くなった部分」を見ていないのでは、と思うことがあります。どんな種類のホビーであっても、未来永劫にわたって「滅びない」ことを約束されたものなどありませんし、逆に一人でもそれを楽しむ人が存在すれば、それは「滅びていない」とも言えるわけです。

ホビーとは本来、個人が自由気ままな心理でリラックスして楽しむべき対象であり、そこにはマナーやエチケットはあっても「そのホビーの将来を考える義務」などは存在しません。飽きたと思ったら、出て行くのもよし。今日の夕方、NHKのニュースでボードゲームに人気が集まっていることを紹介していましたが、出ている人が「このゲームは面白い」と嬉しそうに紹介しているだけで、私もやってみたいと思いました(笑)。このホビーのために、あれをしなければ、これをするべき、みたいな理屈じゃなくて、人が「楽しむ」ことこそが「趣味の本質」だと再認識した次第です。

それに、今40代の我々が、70代まで生きられると仮定するなら、このホビーは「あと30年は安泰だ」という考え方も成り立ちます(笑)。その後のことは、後の世代に任せればいいことですよね。価値があると思う人がいれば、何らかの形で残って行くでしょうし。

社会全体の中でこの業界をどうするとか、そんなことは素人が人為的に操作しようと思ってもまず成功したためしはないですし、それよりは過去より現在の方が「良くなった部分」を正しく認識して、それを「将来さらに良くする」方向に関心を向け。この趣味をそれぞれのスタンスで「思い切り楽しむ」のがよいのでは、と思っています。
by Mas-Yamazaki (2011-11-30 23:51) 

クリスマス・ピポ

思えば、私が初めてウォーゲームと出会ったのは「ぴあ」のイベントページで告知された「カデークラブ」の例会でした。そこに付けられた『今、貴方の目の前に歴史が広がる!(だったかな?)』という煽りが記憶にこびり付いて、結局私はカデーではなくゲームアカデミーの門を叩きましたが(笑)。

by クリスマス・ピポ (2011-12-06 00:17) 

Mas-Yamazaki

クリスマス・ピポさま: コメントありがとうございます。ウォーゲームクラブの情報が『ぴあ』に出ていたとは、全然知りませんでした。その告知が「ウォーゲームとの出会い」というのは、ちょっとすごいですね。

私がこのホビーを知ったのは、『ホットドッグ・プレス』という雑誌に出ていた、『スコード・リーダー』の写真入りリプレイ記事を含むウォーゲーム紹介記事なので、ウォーゲームは当時「流行の先端」扱いしてもらっていたのかもしれません。今で言うモバゲーみたいなポジションですかね(笑)。
by Mas-Yamazaki (2011-12-10 23:56) 

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