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2012年5月21日 [ミッドウェー/日本海海戦]

日本海海戦地図見本01c.jpg

先週から今週にかけて、雑誌『歴史群像』次号の付録ゲーム「ミッドウェー海戦」「日本海海戦」の仕上げ作業と、同じく次号の担当記事「東郷平八郎と旅順港奇襲作戦」の執筆を行っています。ゲームのルールは完成し、マップとコマ、ルールブックの制作を進めているところですが、「日本海海戦」のマップがほぼ完成しましたので、少しだけご紹介します。

日本海海戦地図見本s1.jpg


日本海海戦地図見本s2.jpg


日本海海戦地図見本s3.jpg


日本海海戦地図見本s4.jpg

マップのサイズは 499ミリ x 656ミリで、以前の付録の彩色ポスターと同じです。シミュレーション・ゲームの「ハーフサイズ・マップ」が 420ミリ x 594ミリなので、それより少しだけ大きいサイズです。

日本海海戦地図見本06.jpg

「距離、6400!」NHK『坂の上の雲』に登場した、時計のような「距離表示板?」もあしらってみました。

東郷.jpg

オプション・ルールで用いる東郷平八郎コマ。プレイヤーが東郷提督の役を演じるので、被弾時の負傷が重なって戦死する(確率はかなり低いですがゼロではありません)とゲームは即座に終了し、プレイヤーは文字通り「サドンデス負け」となります。

担当記事の「東郷平八郎と旅順港奇襲作戦」は、日露戦争開戦劈頭の、水雷艇と主力艦によるロシア太平洋艦隊(通称旅順艦隊)への「先制第一撃(とその失敗)」がテーマです。

日本で出版されている日露戦争の書物では、奇襲攻撃があった事実だけを軽く述べるか、「ロシア海軍に大きなショックを与えた」という日本側に都合の良い部分にのみ目を向けるかという扱いが多いように思えます。しかし、水雷艇隊の攻撃は明らかな事前の準備不足と目標不徹底による失敗であり、その後の主力艦による攻撃も「ロシア側が意気消沈している」という第3戦隊参謀の(結果として誤った)報告に基づいて行われたものの、奇襲による旅順艦隊の撃滅という目的を達成する最大のチャンスを逃してしまうこととなりました。

サッカーで言えば、キックオフ直後にキーパーと1対1になるチャンスを掴みながら、ミスキックで得点し損ねたようなもので、その後の三次にわたる閉塞作戦の失敗と乃木第3軍による死屍累々の旅順総攻撃を考えるなら、緒戦の攻撃不発は「連合艦隊司令長官の重大な失策」とも言えるわけですが、今まで目にした文献では、旅順奇襲攻撃における東郷の采配を「失策」と捉える視点は皆無でした。

ただ、私は別に「東郷嫌い」というわけではないので、ことさら「東郷批判」という文脈で書くつもりはありません。今まで私が書いてきた記事と同様、特定の人物を神格化したり不自然に持ち上げることはせず、不必要に貶したりすることもせず、「実際に何があったのか」を様々な角度から分析し、最高意思決定者としての東郷平八郎の役割と、旅順奇襲作戦が事実上の「失敗」に至った経緯・原因を、私なりに読み解く記事にするつもりです。


おまけ

日食.JPG

写りの悪いUFOのようですが、今朝寝室で撮影しました。紙にボールペンで小さい穴を空けて、そこを通過した太陽の光を別の紙に映したもの。ちゃんと輪っかになっているのが不思議。
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