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2017年8月13日 [その他(映画紹介)]

今日はまず告知から。前回の記事で告知し忘れていましたが、いま発売中の『歴史群像』誌8月号に、私の担当記事「インドと第二次大戦」が掲載されています。

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第二次大戦とその前後におけるインド人の軍事と政治の両面での戦い(イギリス軍傘下のインド軍の戦歴、日本とドイツ、イタリアがインド兵捕虜で編成した義勇軍の足跡、国内外で進められたインド独立運動など)を俯瞰的に解説しています。北アフリカ戦のシミュレーション・ゲームにも、イギリス軍の一部として「インド軍部隊」のユニットがよく登場しますが、それらのユニットがどんな経緯でそこにいるのか、などを知ることもできる内容です。

また、朝日新聞出版の週刊誌『AERA』8月7日号(7月31日発売号)に、以前の記事でご紹介した、6月12日に大阪の隆祥館書店で催された内田樹さんとのトークイベントの一部を再録した記事が掲載されています。当日はいろいろな話題が出ましたが、記事は今の天皇に関する話題に絞ってあります。

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この号は既に書店の店頭から姿を消しましたが、当該記事の内容は、今は朝日新聞出版の公式サイトにあるネット記事でも読むことができます。

天皇陛下の「お言葉」が示した「立場」と「象徴」 内田樹×山崎雅弘対談



さて、今日は久しぶりに映画の話題です。今年の初めに公開された、マーティン・スコセッシ監督の映画『沈黙』は、遠藤周作の同名小説を元にした、江戸時代の長崎でのキリシタン弾圧を扱った作品で、劇場で観たいと思っていたのですが、いろいろ忙しくて、結局劇場に行けないまま、上映が終了してしまいました。しかし最近、同作品のブルーレイが発売されたので、予約購入してようやく鑑賞しました。

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そして、8月10日にフェイスブックで、次のような「感想」を書きました。フェイスブックを見られないという人もおられるかと思いますので、そこに書いた内容を下に再録します。映画の内容について触れている箇所もありますので、未見の方はご注意ください。また、下の記事の途中に入っている写真は、今年の3月に長崎で撮ったものです。


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おとといの晩、スコセッシの『沈黙』を観て、昨日はブルーレイに入っていた特典映像のインタビュー(24分)と、今年1月2日にNHK−BSで放送されていた二時間ものの『沈黙』関連番組を観た。ハードディスクに録画していたことをすっかり忘れていたが、別の録画番組を観ようとして、偶然発見した(これも何かの縁)。今は、映画を観る前に、この番組を観なくてよかったと思う。

NHK−BSの特番は、スコセッシや出演者のインタビューが特典映像よりもずっと充実していて、この作品の意味を考える上で「必見」と呼べるほど、いろんな疑問や謎が解けた(「プレミアム・エディション」という豪華版セットには、同番組を収録したDVDも入っている)。スコセッシがなぜ、遠藤周作の小説を映画化したのか、という理由もよくわかった。

1988年に『最後の誘惑』という、キリストを新たな解釈で描く作品を撮ったところ、キリスト教団体や信者から猛反発を受け、映画館のスクリーンを切られるなどの上映妨害運動も起きた。それで、子どもの頃に神父を目指したキリスト教徒のスコセッシ自身も深く傷ついていた頃、遠藤周作の「沈黙」に出逢い、信仰と現実の葛藤という普遍的なテーマについて、それからずっと考え、困難だと知りつつも、ずっと映画化を構想していたという。

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映画そのものについては、信仰と現実(不条理)の葛藤をていねいに描き込んだ内容で、俳優の演技もみんな素晴らしかった。レンタルではなくソフトを買ったので、しばらく間を置いてから、また観ようと思う。そんな中で、ひとつ感じたのは、一般に言われているのと違い、私はキチジローを「弱い」とは全然思わなかったこと。

スコセッシ自身もキチジローを人間の「弱さ」の象徴だというような話をしており、観た人の感想でもそういったものが多いが、私はそうは思わなかった。むしろ彼は強い。おそろしく強く、図太く、しぶとい。本当に弱い人間だったら、最初の砂浜での出来事で精神が壊れているだろう。

キチジローは、何度も「転ぶ」。そして転ぶたびに反省して、許しを乞う。しばらくすると、また転んでしまう。そういった「転ぶ」場面だけを局所として見れば、彼はとても弱い人間のように見えるが、しかし長いスパンで見れば、何度転んでも致命的に傷ついた様子がない。精神的な回復力が高い。戦略と戦術という軍事の観点で言うなら、キチジローは戦術的には弱いが、戦略的にはとても強い。その証拠に、最後まで平然と生き延びている。

そして、キチジローの反省はいつも「転んだこと」に対してだけで、ロドリゴやフェレイラが心に抱えてのたうちまわっているような、どこまでも答えの見えない深い「葛藤」を、キチジローが理解したり共有する様子はない。キチジローには、その種の葛藤は、たぶん理解できない。

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この作品を見ていて、偶像に依存する信仰は、その偶像を逆手に取られれば容易に破壊されてしまうということが、最大の弱点だと改めて思った。既存の偶像には頼らず、内面だけで完結する信仰であれば、偶像を足で踏むような行動を強いられても、葛藤に苦しむことはない。偶像を足で踏むことと、内面の信仰は直結しない。

その意味で、何度も何度も偶像を足で踏み、それでも毎回改悛して同じ信仰を胸に持ち続け、完全な「悪」の道に走らずに前向きに生きようとするキチジローは、おそろしく強い存在で、それと気づかないまま、内面だけで完結する信仰を体現しているようにも見える。

とはいえ、日々の暮らしに何の希望も持てず、絶望の中で暮らす人々にとって、目で見て手で触れることのできる「偶像」は、弱い心を支えるのに必要な、かけがえのない「精神の拠り所」であっただろうとも思う。手の中に隠れるほどの小さい十字架を、人々が宝物のように大切に扱う姿を見ると、偶像のない信仰というのは、現実的にはかなり難しく、ある程度恵まれた境遇にいる人間にしか通用しない理屈かもしれない。

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いずれにせよ、いろんなことを考える「種」を観る者に与えてくれる、素晴らしい作品だった。今後も、諸々の問題を考え続けていきたい。

【トップの画像は公式サイトより】
 
 
 
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