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2013年8月26日 [その他(映画紹介)]

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今日は久しぶりに本と映画の紹介です。

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本の紹介は、内藤陽介著『蘭印戦跡紀行』(彩流社)。著者の内藤さんは、私も何度か上京時にお会いしたことがありますが、国内・海外の切手と郵便関連物からさまざまな情報を丹念に読み解き、発行された国の歴史や政治、文化などの理解に繋げるという研究をなさっている郵便学者です。

内藤陽介さんのブログ

今月刊行された『蘭印戦跡紀行』も、かつてオランダの植民地で、太平洋戦争中に日本軍が侵攻した「蘭印(オランダ領東インド、現在のインドネシア)」の歴史と政治、文化を、切手とご自身の旅行記で綴るという興味深いシリーズの一冊で、従来の太平洋戦争本とは異なる角度から、当時の日本と蘭印住民の関係などに光を当てています。

太平洋戦争中に日本軍が侵攻したアジアの植民地群の中で、インドネシアは「日本の占領軍との関係が比較的良好だった場所」と言えます。よく知られているように、日本軍が同地に侵攻したのは、アメリカの対日石油禁輸措置を受けて、それに代わる石油産出地を早急に確保しなければならないという経済的理由が第一義でしたが、侵攻軍(第16軍)を指揮した今村均中将は、現地の民族運動指導者で、後に蘭印がインドネシアとして独立した際は正副大統領となるスカルノとモハマッド・ハッタと進駐後すぐに面会し、次のような「軍政統治の方針」を伝えました。

「私は貴方に対して、こうせよと命令することはいたしません。この戦争が終結した時に、インドネシアが独立しているか否かについても、私には権限がないので、何もお約束できません。私がインドネシアの六千万民衆に約束できる事柄はただ一つ、我々がこれから行う軍政統治を、オランダ支配時代よりも福祉の面で優れたものにする、ということだけです」


こうして、1942年3月から1945年8月までの3年と5か月にわたる日本軍の軍政統治時代が始まりましたが、その内情については拙著『世界は「太平洋戦争」とどう向き合ったか』(学研パブリッシング)で解説していますので、そちらも併せてお読みいただければ幸いです(電子書籍版も発売中)。日本軍が進駐してきた当初、現地の住民は「オランダの植民地支配から解放してくれる人たちが来た」と歓迎し、今でも親日的な感情を持つインドネシア人は多いようです。

内藤さんの『蘭印戦跡紀行』では、インドネシア各地の探訪紀(豊富な写真つき)とそれぞれの場所に関連する切手(日本統治下で発行されたものも含む)を絡めながら、かつての蘭印が置かれていた状況や、時代と共に変化する蘭印/インドネシアの歴史と文化を解説しています。そして、太平洋戦争だけでなく、十八世紀のジャワ戦争や第二次世界大戦後のアチェ独立闘争などの「戦い」も取り上げており、これ一冊読めば蘭印/インドネシアの歴史を大筋で理解できるような内容構成になっています。

「切手や郵便物による歴史と文化の解説」というと、切手にも郵便にも興味がない人は「退屈な内容では?」と思えるかもしれません。しかし、内藤さんの著作に記されている文章は「切手」そのものの専門的な解説よりも、それが発行された時期の政治的状況や、絵柄に込められた政治的・文化的意図、そして消印や付箋に記された情報が物語る、その時代の政治的動乱などに関する「広範囲でわかりやすい解説」の方が多いので、切手や郵便物に関心のない人でも充分楽しめると思います。

そして、こうしたアプローチに触れることがきっかけとなって、切手や郵便物に関心を持つ人が増えることになれば、私も「同好の士」として喜ばしく思います。私の切手や絵はがきのコレクションは、テーマが非常に偏っていて量もさほど多くはありませんが、それでも歴史的出来事を研究する一人として「ある国で、ある重要な出来事の前後に発行された切手、それが貼られた絵はがき」に込められた政治的・文化的情報をいろんな角度から読み解く作業をしていると、自分と主題の距離が少し縮まるような気持ちになることが結構あります。

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切手や郵便に関する内藤さんの著作は膨大ですが、この「切手紀行シリーズ」には、他にも『ハバロフスク』や『喜望峰』などがあり、前者は旧ソ連と帝政ロシアの極東情勢、後者は南アフリカの歴史に関心のある方に強くお薦めします。私はどちらもテーマ的に「どストライク」だったので、関連の切手と郵便物、そして現地紀行の写真を、ページの隅から隅までたっぷり楽しんでいます。



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映画の方は、2001年5月に公開された藤由起夫監督作品『ムルデカ』。ムルデカとは、インドネシア語で「独立」を意味する言葉で、太平洋戦争期の日本軍の進駐から、戦後のオランダからの独立戦争に至る時期を扱っています。

前記した『世界は「太平洋戦争」とどう向き合ったか』の中でも触れていますが、日本軍が蘭印に進駐していた時期、一部の日本軍人は同地のインドネシアとしての独立を支援するため、さまざまな支援を行っていました。

まず1943年1月8日にインドネシア人の若者に軍事教練と精神修養を行う「タンゲラン青年道場」が開設され、3月9日には日本軍政への協力体制を効率化するための統括組織として「民衆総力結集運動(プートラ)」を設立。前者は、第16軍参謀部別班(特務工作担当)の柳川宗成中尉が中心となってジャカルタ近郊で開かれた訓練施設で、第一期生として47人のインドネシア青年が採用され、実践的な軍事教練や体育教練に加えて、日本式の精神訓話なども織り交ぜた授業が行われました。

映画『ムルデカ』の前半は、この柳川中尉ほか数名の日本軍人をモデルとする主人公が、インドネシア人の若者と衝突しながら、彼らに日本軍式の訓練を行って「鍛えていく」物語です。同年10月3日、第16軍の軍政司令部により「郷土防衛義勇軍(セカレラ・テンタラ・ペンベラ・タナー・アイル、略称ペタ)」と呼ばれるインドネシア人の武装組織の編成が許可されると、これらの若者は兵士としてペタに編入され、やがてオランダとの独立戦争では中核を担う「軍人」へと成長していきます。

主人公を含む日本軍人の一部は、現地のインドネシア人と寝食を共にするうち、やがて彼らの心情に共感するようになり、インドネシア独立という大義を本気で実現しようと考えます。しかし、遠く離れた東京では、インドネシアの民族主義に対する強い警戒感が払拭されず、彼らの独立を認めるかどうかについては意見が割れていました。外務省は、国際政略上の判断からインドネシアの独立を承認して正式な「同盟国」に加えることを主張しましたが、陸軍と海軍は産油地を持つ同国の統治権を手放すことに強く反対しました。

そして1943年5月31日の御前会議で承認された「大東亜政略指導大綱」では、最重要の戦略物資である石油をはじめボーキサイトや錫、ゴムなどを豊富に産出するインドネシアは「永久に(大日本)帝国の領土とする」と規定されます。つまり当時の日本政府は、真珠湾攻撃から1年半が経過した段階においても、インドネシアの「植民地からの解放」ではなく、インドネシアを大日本帝国に併合し、実質的な「日本の植民地」として天然資源を手中に収めることを「国家の意思」としていたのです。

また、軍政当局の食糧供出強制によって生じた慢性的な食糧不足や、マレー半島の鉄道建設工事などに動員されたインドネシア人「ロームシャ(労務者)」の苛酷な労働環境が知れ渡ると、インドネシア民衆の対日感情は急速に悪化。同国の農村地域では1944年2月以降、二年前の歓迎ムードから一転して小規模な反日暴動が発生するようになり、もはや従来の軍政方針ではインドネシアの民心を掌握できないことが明白となっていきます。

映画の後半では、日本が太平洋戦争に敗れた後、主人公とその仲間の日本軍人がインドネシア独立派に加わって、オランダ軍と戦う様子が描かれています。戦後もインドネシアに残って独立派と運命を共にした日本軍の軍人には、「インドネシア独立の大義に心底から共鳴した者」と「農家の次男坊三男坊で帰国しても故郷に居場所がない者」、そして「現地のインドネシア人女性と恋仲になった者」の三種類がいたといわれていますが、いずれにせよ彼らは日本政府が降伏した後も、インドネシア独立の実現のために命を捧げて「戦い」を続ける道を選びました。

私はこの映画を、公開当時に劇場で観たのですが、当時メディアからはほとんど無視されていたように思いました。その理由は、作品の内容を考えれば、大体想像がつきました。

太平洋戦争を「日本の侵略戦争だった」と見なす、いわゆる「左翼」の人にとって、太平洋戦争の最中に我が身を犠牲にしてまでインドネシア独立に尽力した日本の軍人が存在したというのは、非常に「都合の悪い事実」です。一方、太平洋戦争(大東亜戦争)を「日本のアジア解放戦争だった」と見なす、いわゆる「右翼」の人にとって、アジア解放の大義に身を捧げていたのは特務機関の一部将校に過ぎず、東京の日本政府や軍上層部はインドネシアの独立を認めるどころか、逆に同地を「日本の植民地」と見なしていたというのは、非常に「都合の悪い事実」です。こうした「双方にとって都合の悪い事実」が描かれているがゆえに、この映画は左と右の両方から「黙殺」されたのではないか、と私は考えています。

拙著『世界は「太平洋戦争」とどう向き合ったか』のテーマは、あの戦争が「侵略」だったか、それとも「解放」だったか、という乱暴かつ短絡的な二分法を拒絶し、実際に現地で起こったことや、当時の日本政府および日本軍人と各国の関係をありのままに認識することで、太平洋戦争の全体像を俯瞰的に(つまり「日本の視点」ではなく「第三者的視点」で)理解しようというものでした。今回紹介した本と映画もまた、太平洋戦争とその前後の時期における、蘭印/インドネシアの置かれた政治的・文化的情勢を「侵略 or 解放」という乱暴かつ短絡的な二分法から離れて「ありのままに」理解する一助になるのではないかと思います。
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2013年8月17日 [パンツァークリーク]

今回もシックス・アングルズ別冊第10号『パンツァークリーク』の制作作業についての情報です。今週月曜日に石田さんがお見えになり、自宅の表札取り付け作業(セメントを削り取る必要が生じたのでヘルプをお願いしました)を手伝ってもらった後、シナリオ7「ドニエプル川の戦い」のテストを行いました。

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今回の日本版では、マップとユニットのグラフィックを一新していますが、OSG版やAH版ではブック形式だったシナリオ情報を、別紙のシナリオカードにしてみました。旧版は、ユニットを探したり配置制限を読み取るのがけっこう面倒で、しかも添付されている配置図が非常にみづらく、これもプレイを阻害する要因となっていたように思います。そこで、シナリオに使うユニットを並べることができ、また配置図も見やすくして、プレイの利便性向上を図ることにした次第です。

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シナリオ7「ドニエプル川の戦い」用シナリオカード。A3判(A4x2の見開き)モノクロ両面のチャートです。

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シナリオカードを実際に使用してみたところ。シナリオで使うユニットを、まず種類ごとに必要数だけボックスに置き、そこから順番に地図上へと配置していきます。将軍(リーダー)ユニットも探しやすくなったと思います。

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シナリオ7のソ連軍初期配置の例。押し寄せる赤いスチームローラー。

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そこに枢軸軍のユニットを配置したところ。足りるか足りないか、ぎりぎりの兵力で戦線を守る緊張感は、まさにマンシュタインのロールプレイ。

明日、もう一度このシナリオを石田さんとテストする予定です。
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2013年8月9日 [パンツァークリーク]

久々の更新です。このところ尋常でない猛暑が続いていますが、シックス・アングルズ別冊第10号『パンツァークリーク』の制作作業は、比較的順調に進んでいます。今日は、このゲームで重要な役割を演じる将軍(リーダー)ユニットの見本画像をご紹介します。

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パンツァークリーク』に登場する将軍は、ドイツ軍が18人、ルーマニア軍が1人、イタリア軍が1人、ソ連軍が22人で、ユニットには将軍の名前と顔写真、指揮能力(追加戦闘力)、許容移動力および「ZOCなし」を示す三角印が印刷されています。追加戦闘力は、味方ユニットとスタックして戦闘に参加する際に、自軍の戦闘力合計に加算することのできる数値です。

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ちなみに、ドイツ国防軍の装甲師団は最強で戦闘力13(SS装甲師団は16)、ソ連軍は親衛機械化軍団が戦闘力10ですが、将軍が加算できるのは「スタックしている味方戦闘ユニットの戦闘力合計」が上限となっています。例えば、指揮能力13のマンシュタインが、戦闘力5の歩兵師団とスタックしている場合、13+5で18ではなく、5+5で10戦闘力となります。従って、有能な将軍は必然的に、戦闘力の高い精鋭部隊とスタックして作戦を行うことになります。

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また、将軍ユニットが戦闘に参加していれば、解決時のサイの目に修正を適用できます。この修正が実は重要で、サイの目にプラスの修正が適用された攻撃では、そうでない場合よりも「突破(ブレイクスルー)」の戦闘結果が出やすくなります。

突破とは、その攻撃に参加した味方の機械化ユニットに隣接する別の機械化ユニットが、臨時の予備兵力として移動と戦闘を行えるというもので、これを上手く使えば敵の縦深防御を1回の戦闘フェイズで突破することも可能になります。逆に言えば、将軍が少ない戦域では、あまり突破の戦闘結果が発生しないので、ゲームマップ全体を見渡した時に、両軍の将軍ユニットが集まっている場所が、勝敗の鍵を握る激戦地ということになります。

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ドイツ軍で最も優秀な将軍は、マンシュタインとグデーリアン、ホート、ハウサー、バルクの5人(いずれも指揮能力13)で、ソ連側はヴァトゥーティンの指揮能力9が最優秀です。OSG版もアバロンヒル版も、将軍ユニットは数字と名前だけの味気ないデザインでしたが、今回のシックス・アングルズ版では『パンツァークリーク』の華とも言うべき将軍ユニットの見栄えを良くすべく、それぞれの将軍の「いい顔の写真」を探してあしらってみました。

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お盆休みに、石田さんと次のテストを行う予定です。次回は、ドニエプル川の戦いカ、コルスン包囲戦のシナリオで展開を確認しつつ、ルールの不備な点の洗い出しと明確化/補足を追加していきます。発売は、9月下旬または10月上旬の予定です。興味のある方は、ぜひお楽しみに。

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