2013年9月15日 [パンツァークリーク]
シックス・アングルズ別冊第10号『パンツァークリーク』のプレオーダー募集を開始しました。発売は10月下旬の予定です。
別冊第10号『パンツァークリーク』プレオーダーページ
表紙画像。ティーガーI型は、久々にモノクロ写真をフォトショップで彩色してカラーにしました。スカッと青い空と白い入道雲に重戦車と搭乗員、何かどこかで見たような構図ですが(笑)。背景に敷いてあるのは、1942年6月27日(青作戦開始前日)の「Lage Ost(ラーゲ・オスト)」地図(ドイツ陸軍参謀本部制作の戦況報告用地図)のハリコフからニコポリ辺り。両軍の部隊配置が描き込まれています。
価格は、別冊第3号『クルスク大戦車戦(Eric Goldberg's Kursk)』と同じく税込で7140円となりました。いろいろ努力してみたのですが、シナリオ用のA3両面チャート5枚(うち1枚の裏面はゲームマップのカラー縮小版)がけっこう高くなってしまいました。原版のような冊子にすれば、コストも削減できるのですが、プレイの利便性を考えると冊子方式は非常に不便なので、別紙チャートで「考えうる限り最善」の形式をとることにしました。
ユニットの見本画像。将軍ユニットの裏面は、写真無しで名前を読みやすくしたバージョンになります。
今回の日本版では、本誌のリプレイ記事と連動する形で、追加の練習用ショートシナリオを1本追加して、計10本のシナリオで発売します。これについては、次回の記事で詳しくご紹介します。
シックス・アングルズ別冊第10号
パンツァークリーク
2013年10月下旬プレオーダー発送予定
2013年10月下旬店頭発売予定
限定600部
小売価格 7140円(本体6800円)
プレオーダー価格 6615円(本体6300円)
シックス・アングルズ別冊第10号の内容紹介ページ
※マップやユニットの見本をご覧いただけます。
《プレオーダー特典》
◆本体価格約500円割引
◆店頭発売5日前に発送
◆送料無料(ヤマト運輸メール便にて発送)
◆二冊以上ご注文の場合は宅急便にて翌日配達指定
◆ドイツ陸軍参謀本部作成の戦況報告用地図
「Lage Ost(ラーゲ・オスト)」南方軍集団戦区
のコピー(A3判白黒)を添付
◆希望される方のみ、日本版発行人のサインを製品にお入れします。
《プレオーダー同時注文特典》
◆「独ソ戦コレクション」のプレオーダーと同時に、
第14号「ベアズ・クロウ」(通常価格5460円)
別冊第7号「ウエストウォール」(通常価格7140円)
別冊第8号「東方への突撃」 (通常価格6090円)を
ご注文いただいた場合に限り、それぞれ3割引の価格
でご提供いたします。商品は、別冊第9号と同梱して
発送いたします。
今回も、従来のプレオーダー特典に加えて「プレオーダー同時注文特典」をご用意いたしました。「ベアズ・クロウ」「ウエストウォール」「東方への突撃」共に数量限定生産ですので、品切れとなり次第、特典販売も締め切りとさせていただきます。
2013年9月12日 [その他(雑感・私生活など)]
昨日は久しぶりに仕事をオフにして、坂本(滋賀)と比叡山、京都に出かけてきました。上の写真は、比叡山から見たびわ湖の風景。中央左寄りにはびわ湖大橋も見えます。編集プロダクションの社員として旅行雑誌『まっぷるマガジン』の仕事をしていた頃は、何度も湖岸を回りましたが、ここ10年くらいはごぶさたです。
その『まっぷるマガジン』で、最初にやらせてもらった仕事が、1998年に出た「びわ湖へ出かけよう」という本の観光地図でした。これは大津から湖西、湖北、湖東まで、びわ湖をぐるっと一周カバーしたガイドブックで、地図の点数も多かったのですが、その中の「比叡山坂本」の地図を作る際、「鶴喜そば」というお店の名前の「喜」という文字が、漢数字の「七」を三つ重ねた「品文字(しなもじ)」になっていたのが、なぜか強く印象に残りました(下の画像は鶴喜そばの公式サイトより)。
おそらく、Adobe Illustratorで「七」を三つ並べて自分で作字したからだろうと思いますが(本当は「七七七」ではなく「七十七」らしいですが)、どんなお店なのか、一度行ってみたいと思っていました。そして昨日、15年越しにその希望が叶うことになりました。
創業290年、本店の建物は築130年とのことで、有形文化財にも指定されているとのこと。お昼にとろろそばをいただきましたが、歯ごたえもそばの香りもつゆの味も私好みで、とても満足できました。「たべログ」での評価は意外と厳しいようですが、私は機会があればまた食べに行きたいと思っています。京都からもすぐ行ける距離なので、何かの用事で京都に行った時には立ち寄るかもしれません。
その後、日吉神社の参道をぶらぶら散歩した後、ケーブルカーで比叡山へ。東側のケーブルはわりと新しい車輌を使っていて、椅子もゆったりしています。
比叡山の東塔エリアに立つ文殊楼。メイン施設の根本中堂は、残念ながら内部の撮影禁止。
比叡山系。
比叡山頂から大津方向を望む。この水瓶は、京都や大阪の飲み水の供給源でもあります。
帰りは京都側へと降りる。まずローブウェー、次にケーブルカー。叡山ケーブルは標高差561mをわずか9分で一気に下る。ただ椅子のスペースはとても狭い。
八瀬でケーブルを降り、叡山電車で出町柳へ移動した後、いったん外に出て、eze bleu(エズ ブルー)というパン屋でフランス系パンを補給。カフェで少し休憩してから、京阪と地下鉄を乗り継いで、京都駅近くの待ち合わせ場所へ。
京都では、クロノノーツ・ゲーム店主の渡辺さん、友人のぐちーずさんと呑み会でした。今回は「戦争と切手とウォーゲーム」というテーマで、各人が戦争にまつわる切手や絵葉書、貨幣などのコレクションを数点ずつ持ち寄り、それを肴に歴史や戦争、およびそれを題材としたシミュレーション・ゲームについて語り合うという趣向でした。こういう「テーマ付きの呑み会」は、話題の方向性が制限されるように見えて、実は意外な方向に展開したりして面白かったので、今後もまた企画したいと思います。
前回の京都旅行は、坂本龍馬ゆかりの地をめぐるというルートでしたが、今回の滋賀・比叡山・京都小旅行も、久々に気分をリフレッシュできた楽しい一日でした。SA第10号『パンツァークリーク』の制作もいよいよ大詰めですが、今日から気分一新でベストを尽くします。
2013年9月9日 [その他(戦史研究関係)]
今日は新刊雑誌の告知です。
まず、おなじみの『歴史群像』誌第121号(2013年10月号)ですが、今回の私の担当記事は「デミヤンスク包囲戦」。1942年1月から1943年2月にかけて、東部戦線の北方軍集団戦区で繰り広げられた過酷な包囲戦を、独ソ両軍の視点から詳細に解説しています。
ソ連軍は何を意図してデミヤンスクを包囲したのか。彼らの真の意図は何だったのか。対するドイツ軍は、なぜデミヤンスク突出部を放棄せずに頑強な抵抗を行ったのか。ドイツ空軍がデミヤンスクに対して行った、補給物資の空輸作戦は、いかにして実施され、どんな困難に直面していたのか。
この戦いの「全体像」について書かれた日本語の本はおそらく皆無(特定の視点から部分的に言及した本はいくつかありますが)だと思いますが、今回の記事は写真や地図、戦闘序列などの図版も豊富で、独ソ戦に関心のある方には特にお勧めです。
もう1冊は、同じく学研さんの新刊ムック『ヒトラーと第二次大戦の真実』。私の担当記事は「ヨーロッパ大戦の名将たち」「第二次世界大戦欧州戦争を総括する(1. 枢軸陣営はなぜ連合国陣営に敗れたのか 2. 欧州大戦は世界に何をもたらしたか)」「もっと学びたい人のためのブックガイド」です。
テーマの関係上、私の担当記事ではあまり「新しい情報」は書けませんでしたが、こういう媒体(定価780円でコンビニでも売られるムック)で地道に「新しい情報」を紹介して「ファン」と「マニア」の距離を縮められるような近道を提供できれば、と思っています。
『ヒトラーと第二次大戦の真実』に掲載されている、守屋純氏の「偽装された『国防軍潔白神話』」は、戦史ファンに一読をお勧めの記事です。ある種の陰謀史観のようなタイトルですが、東西冷戦期にソ連/東側だけでなく西側の戦史研究も、政治の影響を色濃く受けていた事実とその背景を、わかりやすく解説しています。
「戦史マニア」はネットや洋書で日々新たな情報を仕入れて知識を更新していますが、気楽な「戦史ファン」は、そんなに駆け足では知識を更新しません。その結果、両者の差はどんどん開いて行きます。ここで守屋氏が書かれている「国防軍潔白神話」の話もそうで、私の著書『宿命の「バルバロッサ作戦」』でも少し書きましたが、東西冷戦時代に形成された「冷戦バイアス」を外して戦史を読むと、旧い本からでも新たな情報(正確には「目にしてはいたが意味を読み落していた情報」)を少なからず読み取ることが可能になります。
こうした「戦史マニア」の間ではかなり昔から「常識」として周知されているような歴史的事実や解釈が、「戦史ファン」の間では全然知られていなかったりします。トンネルが深く掘られれば掘られるほど、先端を進む人と、浅いところにいる人との距離は遠ざかり、やがて直接会話できないほどに隔絶した関係になってしまいます。
昔から様々な分野で存在し、ネットの登場でさらに加速しているかに見える「マニア」と「ファン」の乖離現象について、思うところを書いたツイートを下記のリンク先にまとめてみました。関心のある方は、ぜひご一読ください。
「マニア」と「ファン」の乖離あるいは断絶について
2013年9月2日 [パンツァークリーク]
昨日、石田さんとシックス・アングルズ別冊第10号『パンツァークリーク』の検証テストを行いました。今日は、その報告です。
『パンツァークリーク(Panzerkrieg)』は、第二次世界大戦期の東部戦線(独ソ戦)における南方戦域の攻防を、特徴的なシステムと豊富なシナリオで再現する作戦級ゲームです。デザイナーは、アバロンヒル社(後にアヴァランチ・プレス社が再版)の『第三帝国(The Third Reich)』やピープルズ・ウォー社(後にStrategy & Tactics誌と日本のタクテクス誌で再版)の『カニェフ(Kanev)』などで知られるジョン・プラドス氏。初版は米国OSG社から1978年に出版され、アバロンヒル社が版権を買い取って1983年に再版されました。
収録されているシナリオは、全部で9本あり、シナリオ1は「キエフ包囲戦(1941年8月27日〜10月8日)」、シナリオ2は「ソ連軍冬季反攻(1942年1月14日〜3月31日)」、シナリオ3は「青作戦(1942年6月28日〜9月13日)」、シナリオ4は「スターリングラード包囲戦(1942年11月19日〜1943年2月18日)」、シナリオ5は「後手からの一撃(1943年2月19日〜3月29日)」、シナリオ6は「ツィタデレ作戦の後(1943年8月2日〜10月2日)」、シナリオ7は「ドニエプル渡河作戦(1943年10月2日〜12月21日)」、シナリオ8は「コルスン包囲戦(1944年2月1日〜3月28日)」です。最後のシナリオ9は、もしドイツ軍が1943年夏にクルスク突出部に対する攻勢「ツィタデレ作戦」を行わずに、ソ連軍の攻勢を待ち受けていたら、という仮想シナリオ「マンシュタインの選択」で、シナリオ6の「ツィタデレ作戦の後」と同じ開始線でスタートします。
上はシナリオ9の検証テストの様子。ドイツ軍は第4装甲軍の強力な装甲部隊が温存された状態でゲームを開始できるので、ソ連軍の攻勢は史実のようなペースでは進展せず、各所でドイツ軍の限定的な反撃が繰り広げられます。
フルサイズ1枚のゲームマップには、プリピャチ沼沢地からクルスクに至る線よりも南の東部戦線が収録されており、西端はルーツクとドゥブノおよびルーマニア領、東端はスターリングラードとヴォルガ川となっています。1ヘクスのサイズは、25.8キロメートルで、1ターンは実際の一週間、1ユニットはドイツ軍が師団、ソ連軍が軍団となっています。ただし、砲兵や対戦車砲、司令部、将軍ユニットなどもあり、砲兵は攻撃時に戦闘力を加算、対戦車砲は敵戦車の攻撃を受けた場合の防御時に戦闘力を加算できます。
司令部ユニット(ドイツ軍は軍、ソ連軍は方面軍)は、このゲームを特徴づける重要なユニットの一つです。ゲームの手順は、補給判定、移動、戦闘、突破移動というオーソドックスなものですが、個々の戦闘を解決する際、非フェイズプレイヤーは自軍の「予備部隊」を急派して、戦力比を防御側に有利な方向へと引き下げることができます。
急派されることのできる予備部隊は、その戦闘の防御側ヘクスから5ヘクス以内の大都市または小都市ヘクスで、自軍の司令部とスタックしている戦闘ユニットです。このシステムが物語るように、『パンツァークリーク』は機動防御の有効性が地図上で再現されるゲームとなっており、ほとんどのシナリオでドイツ軍がより多くの司令部ユニットを持っています。
予備部隊の使用例。歩兵師団と狙撃兵師団はZOCなし、装甲師団と戦車軍団はZOCありです。一般的なゲームだと、ドイツ軍は左のような戦線を張ってソ連軍を待ち受けますが、これだとソ連軍は防備の弱いヘクス(3-7歩兵師団が単独で守るヘクス)に戦闘力を集中して、戦闘後前進で敵陣への浸透を図ることになります。しかし『パンツァークリーク』では、ドイツ軍の装甲師団を司令部と共に後方の町で待機させておき、敵が兵力を集めて攻撃を宣言したヘクスに対して急派できるので、ソ連軍は迂闊に攻撃を行うことができなくなります。
この予備の威力を無力化するには、時間をかけてさらに多くの部隊(特に強大な火力を持つ砲兵)を集中し、全正面で一斉に攻撃を仕掛けるしかありません。ソ連軍は、司令部(=予備運用)の能力では劣りますが、砲兵ユニットの数ではドイツ軍を凌駕しています。
実は、このゲームの原版は、ジョン・プラドス、アルバート・ノフィ、ヴィンセント・カンボの3人が「モーニングサイド・ゲーム・プロジェクト」というチームでデザインし、1975年に米国ランド・ゲーム・アソシエーツから出版された『フォン・マンシュタイン』という作品で、後にプラドスが一人でユニット規模を変更するなどのディヴェロップを行って、『パンツァークリーク』という作品に生まれ変わらせました。下の写真は、ランド版の『フォン・マンシュタイン』のコンポーネントです。
将軍ユニットについては、以前の記事でも紹介しましたが、マンシュタインやヴァトゥーティンなど、両軍の有名な将軍を表してしており、戦闘解決時にボーナスの戦闘力加算やサイの目修整(またはその打ち消し)を行えます。特に後者は、攻撃側で参加していれば「突破(BkTh)」の戦闘結果が出やすくなり、防御側で参加していれば逆に出にくくする効果を持ちます。この突破については、日を改めて詳しくご紹介しますが、これも『パンツァークリーク』を特徴づける、興味深いルールの一つです。
アバロンヒル社版は、同社のブックケース型のボックスに収めるために地図のサイズを縮小した影響で、ヘクスのサイズも小さくなり、ユニット同士が地図上でぶつかり合うなどプレイに支障が生じていました。今回発売する日本版では、OSG版とほぼ同様のサイズで地図を作製するほか、さまざまな点でプレイの利便性を向上させたバージョンとなります。
独ソ戦に関心のある方は、ぜひ新版の『パンツァークリーク』にご期待下さい。
『パンツァークリーク(Panzerkrieg)』は、第二次世界大戦期の東部戦線(独ソ戦)における南方戦域の攻防を、特徴的なシステムと豊富なシナリオで再現する作戦級ゲームです。デザイナーは、アバロンヒル社(後にアヴァランチ・プレス社が再版)の『第三帝国(The Third Reich)』やピープルズ・ウォー社(後にStrategy & Tactics誌と日本のタクテクス誌で再版)の『カニェフ(Kanev)』などで知られるジョン・プラドス氏。初版は米国OSG社から1978年に出版され、アバロンヒル社が版権を買い取って1983年に再版されました。
収録されているシナリオは、全部で9本あり、シナリオ1は「キエフ包囲戦(1941年8月27日〜10月8日)」、シナリオ2は「ソ連軍冬季反攻(1942年1月14日〜3月31日)」、シナリオ3は「青作戦(1942年6月28日〜9月13日)」、シナリオ4は「スターリングラード包囲戦(1942年11月19日〜1943年2月18日)」、シナリオ5は「後手からの一撃(1943年2月19日〜3月29日)」、シナリオ6は「ツィタデレ作戦の後(1943年8月2日〜10月2日)」、シナリオ7は「ドニエプル渡河作戦(1943年10月2日〜12月21日)」、シナリオ8は「コルスン包囲戦(1944年2月1日〜3月28日)」です。最後のシナリオ9は、もしドイツ軍が1943年夏にクルスク突出部に対する攻勢「ツィタデレ作戦」を行わずに、ソ連軍の攻勢を待ち受けていたら、という仮想シナリオ「マンシュタインの選択」で、シナリオ6の「ツィタデレ作戦の後」と同じ開始線でスタートします。
上はシナリオ9の検証テストの様子。ドイツ軍は第4装甲軍の強力な装甲部隊が温存された状態でゲームを開始できるので、ソ連軍の攻勢は史実のようなペースでは進展せず、各所でドイツ軍の限定的な反撃が繰り広げられます。
フルサイズ1枚のゲームマップには、プリピャチ沼沢地からクルスクに至る線よりも南の東部戦線が収録されており、西端はルーツクとドゥブノおよびルーマニア領、東端はスターリングラードとヴォルガ川となっています。1ヘクスのサイズは、25.8キロメートルで、1ターンは実際の一週間、1ユニットはドイツ軍が師団、ソ連軍が軍団となっています。ただし、砲兵や対戦車砲、司令部、将軍ユニットなどもあり、砲兵は攻撃時に戦闘力を加算、対戦車砲は敵戦車の攻撃を受けた場合の防御時に戦闘力を加算できます。
司令部ユニット(ドイツ軍は軍、ソ連軍は方面軍)は、このゲームを特徴づける重要なユニットの一つです。ゲームの手順は、補給判定、移動、戦闘、突破移動というオーソドックスなものですが、個々の戦闘を解決する際、非フェイズプレイヤーは自軍の「予備部隊」を急派して、戦力比を防御側に有利な方向へと引き下げることができます。
急派されることのできる予備部隊は、その戦闘の防御側ヘクスから5ヘクス以内の大都市または小都市ヘクスで、自軍の司令部とスタックしている戦闘ユニットです。このシステムが物語るように、『パンツァークリーク』は機動防御の有効性が地図上で再現されるゲームとなっており、ほとんどのシナリオでドイツ軍がより多くの司令部ユニットを持っています。
予備部隊の使用例。歩兵師団と狙撃兵師団はZOCなし、装甲師団と戦車軍団はZOCありです。一般的なゲームだと、ドイツ軍は左のような戦線を張ってソ連軍を待ち受けますが、これだとソ連軍は防備の弱いヘクス(3-7歩兵師団が単独で守るヘクス)に戦闘力を集中して、戦闘後前進で敵陣への浸透を図ることになります。しかし『パンツァークリーク』では、ドイツ軍の装甲師団を司令部と共に後方の町で待機させておき、敵が兵力を集めて攻撃を宣言したヘクスに対して急派できるので、ソ連軍は迂闊に攻撃を行うことができなくなります。
この予備の威力を無力化するには、時間をかけてさらに多くの部隊(特に強大な火力を持つ砲兵)を集中し、全正面で一斉に攻撃を仕掛けるしかありません。ソ連軍は、司令部(=予備運用)の能力では劣りますが、砲兵ユニットの数ではドイツ軍を凌駕しています。
実は、このゲームの原版は、ジョン・プラドス、アルバート・ノフィ、ヴィンセント・カンボの3人が「モーニングサイド・ゲーム・プロジェクト」というチームでデザインし、1975年に米国ランド・ゲーム・アソシエーツから出版された『フォン・マンシュタイン』という作品で、後にプラドスが一人でユニット規模を変更するなどのディヴェロップを行って、『パンツァークリーク』という作品に生まれ変わらせました。下の写真は、ランド版の『フォン・マンシュタイン』のコンポーネントです。
将軍ユニットについては、以前の記事でも紹介しましたが、マンシュタインやヴァトゥーティンなど、両軍の有名な将軍を表してしており、戦闘解決時にボーナスの戦闘力加算やサイの目修整(またはその打ち消し)を行えます。特に後者は、攻撃側で参加していれば「突破(BkTh)」の戦闘結果が出やすくなり、防御側で参加していれば逆に出にくくする効果を持ちます。この突破については、日を改めて詳しくご紹介しますが、これも『パンツァークリーク』を特徴づける、興味深いルールの一つです。
アバロンヒル社版は、同社のブックケース型のボックスに収めるために地図のサイズを縮小した影響で、ヘクスのサイズも小さくなり、ユニット同士が地図上でぶつかり合うなどプレイに支障が生じていました。今回発売する日本版では、OSG版とほぼ同様のサイズで地図を作製するほか、さまざまな点でプレイの利便性を向上させたバージョンとなります。
独ソ戦に関心のある方は、ぜひ新版の『パンツァークリーク』にご期待下さい。