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2010年7月13日 [その他(雑感・私生活など)]

治安の悪さやスタジアム工事の遅れなど、開催を危ぶむ声もあった南アフリカでのサッカー・ワールドカップですが、スーパースターのいない職人集団スペイン(「アルマダ=無敵艦隊」と呼ぶには、少々威圧感が不足気味ですが)の初制覇と共に、無事に幕を閉じました。※ただし、南アフリカから遠く離れたウガンダの首都カンパラで、W杯決勝戦のテレビ観戦客で混雑する飲食店を標的とした、アルカーイダ系の武装組織による爆弾テロが発生して、大勢の犠牲者が出てしまいましたが…。

スペインとオランダの決勝戦は、華麗さとはほど遠い、双方が容赦なく削り合ってイエローカード計15枚(!)という壮絶な「殴り合い」でしたが、職人イニエスタの鮮やかなゴールは、大会の締めくくりにふさわしい光景でした。今大会で、印象に残った選手は何人かいますが(名前の響きのカッコ良さでは、ドイツのバスティアン・シュヴァインシュタイガーがダントツ)、強烈なプロフェッショナリズムを感じさせてくれたプレーヤーを一人だけ挙げるとすれば、私は本田圭佑選手を選びたいと思います。

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画像はFIFAワールドカップ南アフリカ大会公式ページより

二部リーグに落ちたオランダのVVVフェンロを一部へ引き上げる立役者となった後、ロシアの名門CSKA(チェスカ: 陸軍中央スポーツクラブ)モスクワに移籍し、UEFAチャンピオンズリーグ(CL)で日本人初得点を挙げてチームを牽引したことなど、経歴では目を見張るものがありましたが、大会が始まるまでは、彼が日本代表でどれほど活躍できるのか、正直不安がありました。世界のレベルでそれなりに実績を残した選手というのは、逆に日本国内でプレーしている選手と馴染めない場合も少なくないと思われたからです。

実際、前回のドイツ大会では、「スター選手」中田英寿と他の選手の間に意識の面で大きな溝ができてしまい、日本代表はチームとしての一体感を形成できないまま、1勝もできずに尻尾を巻いて帰国する憂き目に遭いました。何か月か前のテレビ番組で、元日本代表の小倉隆史が彼にインタビューしている光景を見ました(両腕に腕時計を嵌めている理由を小倉に聞かれて「ボディバランスです」と答えた本田選手、「そうか、ボディバランスか…って、んなわけないやろ」と小倉に突っ込まれて「そういうツッコミが欲しかった」と逆に喜んでいたのが印象的でした)が、日本代表としての実績はまだ残していない中での「強気の発言」は、なんとなく「キング」中田を彷彿とさせるものがあり、彼が代表の中で浮いてしまうのでは、と少し心配していました。

けれど、実際に大会が始まると、そんな心配など吹き飛ばす結果を出してくれました。本田と同じようにヨーロッパ(ドイツのブンデスリーガ)で活躍している長谷部誠(ヴォルフスブルク)が、いい感じで「海外組」と「国内組」をまとめる役割を果たしてくれたという部分もあったと思いますが、個々のプレーや試合後のインタビューを見れば見るほど、彼の高いプロ意識、つまりプロフェッショナリズムが伝わってきて、更なる期待が高まっていきました。

決勝トーナメントの一回戦で、パラグアイに惜敗した後、日本代表の選手たちのインタビューがテレビで流れましたが、「自分が世界で通用するのがわかって満足できた」とか「大舞台で得点できたので満足している」というような緩いコメント(批判が目的ではないので発言者の名は伏せます)が多い中、本田君だけは表情からして違っていました。

この2~3日というレベルでなら、少し休みたいという気持ちはあるけど、他の(世界の)連中が休んでいる時に必死で練習するくらいでないと、いつまでたっても差は縮まらない。もちろん今大会の結果には満足なんてしていない

彼は、予選リーグ突破を決めた直後のインタビューでも「もう少し喜びがあるかと思ったけど、特にないです。ここはただの通過点ですから」と答えていましたが、やはり同じチームでプレーしている中でも、それぞれ選手が目指していた「目標」は微妙に違っていたようです。しかし、彼が前大会での中田選手のように浮いてしまわなかったのは、彼が決して「自分の価値観」や「自分の目標」を、周囲の仲間に押し付けようとはしなかったからだろうと思います。もし、次のブラジル大会で、彼と同じ目標を「共有」できる仲間が増えていれば、その時には今回以上の結果を残してくれるかもしれません。

本田選手についての報道では、時おり「ビッグマウス」という修辞句が使われますが、彼はただ「高い目標」を目指していることを公言しているだけで、現在の自分にその能力があるなどとは一言も口にしていないわけですから、横柄さという点での「ビッグマウス」とは異なる気がします。しかも、彼は自分の言葉で自分を高めるのと同時に、それが周辺ひいては「社会」に及ぼす影響まで、考えた上で発言しているのではないか、と(単なる主観ですが)思うようなことも多々ありました。

例えば、彼は「自分は優勝を目指している」と何度か発言し、一部で苦笑・失笑を買っていたようですが、彼がこの言葉を口にしたことで、それまで嘲笑の的となっていた岡田監督の「ベスト4が目標」という発言が霞んでしまい、結果としてメディアがこの「ベスト4」云々という文脈で岡田監督に嫌味の質問をぶつけたりすることがなくなりました。試合内容や相手チームに対する分析も、非常に論理的で冷静であった点を考慮すれば、この「自分は優勝を目指している」発言も、周辺への効果を計算した上での行動であったようにさえ思えてきます(もちろん、それは買いかぶりすぎという意見も多いだろうと思いますが)。

大会終了後、日本代表選手はメディアから引っ張りだことなり、実際何人もの選手がテレビに出演してチヤホヤされていました(笑)が、本田君は数百万円の出演ギャラを提示されてもそれらを全て断り、静かに「仕事場」のロシアへと旅立っていきました。オランダのチームに入団するとオランダ語を学び、ロシアのチームに移籍するとロシア語を学んで、チームメイトとのコミュニケーションをより深めようと努力する「プロのサッカー選手」本田君にとっては、なんでも使い捨てにする安っぽいテレビ番組で芸能人のようにチヤホヤされて時間を浪費している暇などない、ということでしょうか。

このサッカー・ワールドカップ決勝と参議院選挙と日程が重なったので、ほとんど日本では注目されていないようですが、世界の舞台ではもう一つ、7月11日に日本の若者が優れた結果を残していました。F1のイギリスGPで、小林可夢偉(カムイ)が6位入賞を果たしたのです。「6位? 優勝はおろか表彰台にも立ってないんなら、だめじゃん」と思われるかもしれませんが、大手自動車メーカーのサポートも大手スポンサーもいない、二線級のマシンでこの結果を残すというのは、実は非常に大変なことだったりします。

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画像は小林可夢偉公式サイトより

昨年の終盤に、撤退寸前のトヨタチームからデビューし、シーズン最後の2戦のみ出走した可夢偉は、一流ドライバーを相手に素晴らしいレースを見せて、世界中のメディアから注目を浴びました。そして今年は、シーズン序盤こそマシンの信頼性不足に苦しみましたが、ここ数戦はコンスタントに結果を残しており、欧州の強豪チームからオファーが相次いでいると噂される本田君同様、来年か再来年には、かなり良いチームで走らせてもらえる可能性も高まりつつあります。

彼のすごいところは、ミハエル・シューマッハやフェルナンド・アロンソ、ジェンソン・バトンらの新旧チャンピオンと競り合いになっても、実質的なルーキーとは思えないほど冷静に戦い、そしてしばしば競り勝つという結果を残していること。これまで、F1の世界で優勝した日本人ドライバーは1人もいないのですが、エンジンメーカーやスポンサーの後押しが全然無いのに、実力だけでシートを確保して、実績を世界に見せつけている可夢偉の姿を見ていると、彼が戦闘力の高いマシンに恵まれれば、その「最初の日本人」になってもおかしくないような気がします。

本田圭佑はまだ24歳、小林可夢偉も今年24歳と、年齢が同じ2人ですが、もうひとつ共通するのは、関西弁で話す若者だということ(可夢偉君は尼崎、本田君は摂津)。「今はもう、土佐がどうたら薩摩がどうたらという時代ではないぜよ」と怒られるかもしれませんが、それはともかく、プロ意識に溢れた若者が世界のレベルで堂々と戦って結果を残している雄姿を見ると、自分もさらに上を目指して頑張らないといけないな、という気持ちになりました。
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2010年7月4日 [その他(雑感・私生活など)]

衝撃の敗戦から一夜明け、今日も仕事(ハードカバー本の執筆)は粛々と続きます…。

今大会のドイツ代表チームは、ヨアヒム・レーヴ監督の外見(笑)を含めて非常に若く、スピードと即応能力が優れており(アルゼンチンのパスを足で反射的に阻止するプレーも多かった)、多少の語弊を承知で書くと「黒」「ノルマンディ」「第12」「マイヤー」といった単語をなぜか連想してしまいました(ドイツの若者は、いざとなったらものすごい力を発揮する、という程度の意味です)。今大会はアルゼンチンを応援していた私は、相手が鮮やかに3点目と4点目を決めた時には、ドイツを応援する妻の隣でソファからずり落ちて、床に這いつくばってしまいました。見事な完敗です。準決勝ではドイツを応援することにします。4年後のブラジル大会では、メッシは27歳。次こそは…。

しかし、ワールドカップは毎回、さまざまな番狂わせがあり、それが面白さでもあるんですが、南アフリカの今大会はとりわけそれが大きく、同じ代表チームでも試合ごとに強さの度合いが激変しているように見えます。ある試合では無様な苦戦を強いられたチームが、次の試合では別チームのように活き活きとキレのある動きで大勝する。あるいは、それまでの試合では全く隙が無いように見えたチームが、次の試合では威圧感も鋭さもウソのように失われて、1点も奪えずに敗退する。ゲーム的に表現すれば、対戦ごとに新しい戦力チットを引いてるような感じでしょうか。日本代表は、対デンマーク戦でいちばんいいチットを引いたみたいですね。

その日本に辛勝したパラグアイ代表は、大会前の評判では優勝候補筆頭に挙げられていたスペイン代表に惜敗しました。パラグアイといえば、思い出すのは名物ゴールキーパーのホセ・ルイス・チラベルト選手。今はもう引退して慈善事業などを行っているようですが、彼は「決定力のあるゴールキーパー」として世界に名を轟かせた名選手でした。



敵陣手前で直接フリーキックのチャンス! と思ったら、なぜかゴールキーパーのチラベルトが当然のごとくボールのところへ走っていく…。キャプテンでゴールキーパーで、しかもFKは自分で蹴って、当然のごとく決めてしまう。監督兼任の一軍捕手で四番打者で打点王を取った南海の野村克也選手を思い出します。




センターサークル附近でまたしてもフリーキックのチャンス! 普通にリスタート、と思いきや、どこからか走ってきたチラベルトがいきなりキック、ボールは高い弾道で相手ゴールへ…。というか、リスタート直後に相手にボール取られたら、とか全然考えていないんでしょうか(笑)。




PKはGKが蹴る。なぜなら相手GKの心理を一番読めるのはGKだから。これがチラベルトの流儀。


チラベルトの通算ゴール数は、PK45を含む計62点。1999年には、FWの選手でもなかなか達成できないハットトリック(1試合3得点)を、サッカー史上初めて(笑)ゴールキーパーの立場で決めてしまうという偉業を成し遂げました。ただ、南米やドイツでは、今でもPKやFKを蹴るプロリーグのキーパーというのがたまにいて、このチラベルトの記録も「キーパー最多通算得点」ではない、というのがすごい(現在のトップはブラジルのロジェリオ・セニで75点)。サッカーは、まだまだ奥が深いスポーツです。


以下、蛇足ですが…。

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気づかないうちに、このブログの通算ページビューが100万を超えていました。今までご愛顧いただき、ありがとうございます。今後とも、よろしくお願いします。
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2010年6月10日 [その他(雑感・私生活など)]

今日はまず告知です。学研さんより歴史群像アーカイブ第14巻『中東戦争』が発売されました。私が過去に『歴史群像』誌およびムック『中東戦争全史』に寄稿した記事も、以下の9本が収録されています。

   中東戦争【前編】
   中東戦争【後編】
   スエズ攻防戦
   米ソの中東戦略
   アラファト伝
   アリエル・シャロン
   イラク原子炉を破壊せよ
   レバノン内戦
   ガザ紛争

文庫の『中東戦争全史』は、2000年で記述が終わっていますが、いくつかの記事にはそれ以降の展開も記述しています。あと、新しくコラムを2本書きました(「諜報工作機関モサド」「ヒズボラvs.イスラエル」)。価格は本体1143円です。興味のある方は、ぜひ書店で内容をご覧になってください。

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さて、明日からいよいよサッカー・ワールドカップが開幕です。治安や建設工事の遅延など、いろいろ不安視されていた南アフリカですが、昨年同国を訪問した時、現地の人たちがみんな、本当にこのイベントを楽しみにしているのを肌で感じた(アフリカ大陸で初の開催というのも一因)ので、最後まで無事に、事件や事故もなく、盛り上がってほしいと祈っています。

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上の写真はケープタウンを海から見たところ(昨年春の撮影)。右側で建設中なのが「グリーンポイントスタジアム」。

ヨハネスブルグ空港内にあるワールドカップ・オフィシャルグッズの店でTシャツを購入した時、「おれはマルティンというんだが、日本の名前をなにか付けてくれないか?」と頼んできた黒人の店員がいて、とりあえず「丸山」と命名してあげたら、しばらく「マルヤーマ、マルヤーマ」と一人で繰り返していたのを思い出しました。彼はけっこうヨーロッパのサッカー事情にも詳しいようでしたが、「マンチェスターでプレーしている日本人のプレイヤーがいたっけ?」と聞いていたので、海外の日本人選手の知名度もまだまだか、と思いました(マンUで活躍しているのは韓国のパク・チソン選手)。丸山は、元気にしているだろうか…。

試合のテレビ中継は、いつものように、日本人の実況と解説、という形式で行われるんだと思いますが、副音声でいくつかバージョンを用意して、実況・解説なしの現地音声のみのバージョン(臨場感を楽しみたい人向け)とか、スペイン語の超ハイテンション&巻き舌実況・解説バージョンとか、視聴者が選べるようにしてもらえると嬉しいですね。特に前者は、技術的にはさほど難しくはないと思います。後者は、好き嫌いが分かれるところだと思いますが、私はスペイン語ほど、サッカーというスポーツにマッチする言語は他にないのではないか、と思っています。例えば、こんな感じ。



これは中南米のクラブ・チャンピオンシップ「コパ・リベルタドーレス」2007年の試合ですが、意味は皆目わからなくても、言葉のリズム感とか響き、ゴール後の絶叫など、完全にピッチ上の選手やスタジアムと一体化したような錯覚すら覚えます。日本人の実況と解説は、ほとんど「画面を見ればわかる」ようなことしか喋っていないので、それだったら私は「スペイン語実況チャンネル」で観たい(特にアルゼンチンの試合)。1986年のメキシコ大会では、ディエゴ・マラドーナが伝説を作りましたが、あれから24年、若き天才リオネル・メッシは南アフリカで新たな伝説を生み出せるのか。開会式にはマンデラ氏も姿を見せられるとのことで、明日が楽しみです。

今回は、コロンビアが出場していないのが残念…。ククタもメデジンも、コロンビアのクラブチームです。




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2010年2月26日 [その他(雑感・私生活など)]

以前に告知しました、割引販売分のシックス・アングルズ製品について、小売店様への納品分を、今日発送しました。今日までに、個人のお客様からの直接予約分を含めて、第9号が107冊、第10号が98冊、別冊第4号が96冊、それぞれ注文が入りました。

おかげさまで、書庫の棚スペースに大きな空間ができたので、『ポーランド電撃戦』の地図や付録と『歴史群像』次号の記事「バグラチオン作戦」の執筆が終わったら、混雑している書庫を整理しようと思います。ご予約いただいた皆様、ありがとうございました。まだ商品は残っていますので、興味がおありでしたらぜひどうぞ。

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上は、2年前の2008年4月、南米旅行の帰路でバンクーバーへと立ち寄った時に、市の中心部で撮った写真。「(冬季五輪の)開幕まであと681日と7時間11分2秒」というカウントダウン表示があります。

バンクーバーで開催中の冬季オリンピックは、前半の種目は脱稿直前だったのでほとんど観られませんでしたが(男子ダウンヒルと女子モーグルは生で観たかった)、カーリング女子の日本対イギリス戦と対ロシア戦は、たまたま休憩時間にテレビをつけたら生中継していたので、最後まで観てしまいました。「チーム青森、なかなか上手いやん!」と思いましたが、全体としては良い時とそうでない時の波が激しかったようで、私が観たのは(幸運にも)良い時の試合だけだったようです。

カーリングは「氷上のチェス」と呼ばれているそうですが、他にも囲碁やビリヤード、ボウリング、オセロゲーム(リバーシ)など、いろんなゲームのおもしろい要素が少しずつ含まれているようで、観ていると飽きませんね。双方が交互に一投ずつというのも「ゲーム的」です。イギリス戦の第9ターン、一挙五点のスーパーショットを観た時には「メダルも獲れるんじゃないか」と早合点してしまいましたが、世界の壁は甘くなかったようです。

予選で敗退した選手、メダルを獲れなかった選手、獲れたけど欲しい色じゃなかった選手など、悲喜こもごものドラマが繰り広げられていますが、失敗を恐れずに難しい技にチャレンジしたり、自分の限界を少しでも上に押し上げようと必死で努力しているアスリートたち(国籍問わず)の姿には、やっぱりストレートに心を打たれる気がします。今日の昼にやっていた「あの競技」も、結果は「ああ」なりましたが、まだまだ「あの二人」のドラマは今後も続くような感じで、次の大会が楽しみです。

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2009年12月31日 [その他(雑感・私生活など)]

いよいよ、2009年も今日で最後です。今年は、学研さんより文庫本を2冊も出していただいたことを含め、仕事面ではかなり充実した一年でした。趣味と私生活でも、前々から行きたかったところ(南アフリカ、ウガンダ、ケニア、ポーランド)に行けたり、興味のあったゲーム(システム)をプレイできたりと、大いに楽しめました。お世話になった皆様に、心からお礼申し上げます。

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昨日は、シックス・アングルズ方面軍における最大の功労者・石田さんと、なんばで忘年会をしました。まず、美味いと評判のたこ焼きとエビスビールを買って、近所の静かな公園で軽く一次会。その後、居酒屋に入って生ビールと焼酎呑みながら本格的に二次会。それから手打ち蕎麦屋にシフトして呑み喰いしながら三次会。さらに英国館でコーヒーとシフォンケーキを味わいつつ四次会と、なかなかに充実したイベントで、ぐずついていた風邪の症状も吹き飛びました。石田さま、一年間どうもありがとうございました。

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今日はこれから、妻と2人で2009年の打ち上げです。来年も、次の文庫本や各種の原稿、ゲーム出版(とりあえずの目標は6月に「ウェストウォール」、テストが順調に進めば秋か冬に「ベアズ・クロウ」という展開)など、いろいろな仕事にベストを尽くして取り組みますので、なにとぞよろしくお願いいたします。
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2009年12月16日 [その他(雑感・私生活など)]

今日、無事にベルリン・ワルシャワ旅行から戻りました。ベルリンでは、同市内の某ギャラリーで開かれる妻の個展のオープニングに出た後、二人で美術館やベルリンの壁関連の名所(ドキュメント番組で何度も見たボルンホルム通りの鉄橋など)、そして冬のヨーロッパの風物詩、クリスマス・マーケットなどを見物しました(ドイツの焼きソーセージはやっぱり最高です)。

その後、私は一人でワルシャワに行き、昼間はマイナス4度、夕方にはマイナス10度というひんやりした(笑)環境の中でひたすら歩き回り、ずっと行きたかったスタレ・ミアスト(旧市街)や、1939年10月5日のヒトラーの戦勝パレードで爆殺計画のあった「イェロゾリム通りと新世界通りの交差点」、軍事博物館、ワルシャワ蜂起博物館などを見学してきました。

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王宮広場の風景。撮影は午前11時頃なので、人通りはまだ多くありません。

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スタレ・ミアスト(旧市街)の市場広場。周囲の建物は第二次大戦で完全に破壊されたものの、戦後に「破壊以前とまったく同じ状態」へと忠実に復元されました。夜になると、ここでもクリスマス・マーケットが開かれ、ピエロギ(ポーランド風ぎょうざ)や一風変わったポテトチップスなどを食べる人でにぎわいます。

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雪にけぶるヴィスワ(ヴィッスラ、またはヴァイクセル)川の流れ。

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ポーランド独立回復の立役者ユゼフ・ピウスツキの像。世界史的には毀誉褒貶のある人物ですが、ポーランドでは今でも英雄です。

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ピウスツキ広場にある、無名戦士の墓。衛兵が交代で「永遠の炎」を守っています。廟の柱には、ポーランド兵が戦った戦場がすべて刻んであり、「トブルク」「ナルヴィク」「ノルマンディ」といった亡命軍の戦跡も当然含まれています。

ワルシャワでは、現在執筆中の文庫「ポーランド1939」で活用できそうな文献を何冊か購入できたほか、ワルシャワ蜂起博物館で意外なものを見つけて、買ってきました(これは、日を改めてご紹介します)。また、「妻の友人の友人」のポーランド人と会って、ポーランドの地名や人名(軍団長や師団長名など)の正しい発音をひとつひとつ教えてもらったり、ホテルのコンシェルジュから市内の地名の由来について興味深い話を聞けたり(前記した交差点には現在「シャルル・ド=ゴール」の名前がついていて、彼の銅像も建っていますが、その由来は?など)と、それなりに収穫の多い探索旅行でした。

短期間とはいえ、ベルリンとワルシャワという、焦点の都市二つで過ごすことができ、モチベーションもさらに高まったので、明日からはまた「ポーランド1939」の執筆に没頭します。今回も、中身の詰まった本に仕上げられるよう、全力で取り組む所存です。このテーマ(1938年10月の段階で、ドイツとポーランドは「友好国」だったはずが、なぜ11ヵ月後にポーランドは蹂躙されたのか? ドイツとポーランドの二国間戦争が、なぜ第二次世界大戦へと発展したのか? など)に興味のある方は、ぜひご期待ください。
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2009年12月1日 [その他(雑感・私生活など)]

今日からいよいよ12月ですが、クラシック好きの妻に借りたショパンのCD(ワルシャワの国際空港って「F.ショパン空港」っていうんですね。知らなかった…)を聴いたりしながら、粛々と文庫『ポーランド1939』の執筆に専念しています。ほとんど家にいると脳みそがどうしても固まってきて、うまい具合に文章のきれいな流れを作れなかったりしますが、今日は夜に石田さんと少し電話で話して(「あんなに胸板の厚い筋肉質の中学生」云々)、よい気分転換になりました。やっぱり散歩しないとだめですね。

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ところで、最近ずっと気になっているのは、家の向かいにある小学校の校庭に立っている、一本のイチョウの木。わが家の柿とざくろを含め、隣近所の大きな落葉樹はもうみんな葉っぱを落として冬支度に入っているのに、この木だけは頑固に葉っぱを一枚たりとも手放さず、何かを訴えているかのようです。何か、よほど忘れがたい「思い出」が、この夏のあいだにあったのか…。

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右側のイチョウの木は、葉っぱが落ちて丸裸。たった20メートルくらいしか離れていないのに…。
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2009年11月27日 [その他(雑感・私生活など)]

連日テレビで盛んに報道される「事業仕分け」のやりとりを聴くたびに、定期的に書庫で行っている「古い資料の処分」作業を連想します。買った時には有益な情報だと思っていた資料(本や雑誌記事、ビデオテープなど)も、その後に同テーマでより充実した資料が手に入ったことで、いつしか「相対的に価値がないもの」に変わっていたりして、多少の思い入れを振り切る形で「これは処分!」というグループに押しやります。

先日の整理では、ドキュメンタリー番組や映画、F1のレースなどを録画したビデオテープを100本くらい、不燃ゴミの中継集積所にクルマで搬入しました。それぞれ、何かしら自分にとっての「価値」や「思い入れ」があるのは確かですが、もう何年も観ておらず、しかもだいぶ前にテレビをデジタルに買い換えて、アナログのビデオテープでは画質の粗さが目立つので、よほど入手が困難なビデオ(イスラエルで買った中東紛争史のビデオソフトとか)でない限り、将来もたぶん観ることはないだろうと判断しました。

歴史関係の文筆業という仕事柄、いろいろなテーマの資料本が、まるで自己増殖でもしているかのように書庫の棚を占有しています。これが溢れると新しい書棚を買うという「追加経費」が必要になったり、二段重ねで保管していて背後に隠れた本の存在を忘れてしまう(必要な時に活用できないことで本の価値が失われる)といった「経済的損失」にもつながるので、庭の雑草刈りと同様、資料の「仕分け」は休むことのできない事業です。

その一方で、今すぐに必要ではないものの、これは将来きっと役に立つだろうと感じた資料本は、書店や古本屋、ネットオークションで見つけたら、よほど高額でない限り「とりあえず買う」ようにしています。この時に価値判断の基準となるのは、自分が将来書きたいテーマや、自分に将来仕事の依頼が来そうなテーマに合致するかどうかという点ですが、例えば「マイナーな地域紛争の具体的かつ信憑性の高いと思われるデータ集」は「即買い」の判断が下される一方、ドイツ軍戦車の技術開発面での変遷といった内容の資料は、おそらく自分は将来書かないと思うし、出版社も自分ではなく別の誰かに原稿を発注するだろうと思うので、私が書きたい原稿に必要なレベルの基礎資料を別にすれば、「今回は購入見送り」という判断が下される場合が多いです。

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テレビで報道される「事業仕分け」の中でも、これは廃止または予算削減されてもしょうがないと思うような事業(ほとんど効果が出ていないと思われる広報・啓蒙活動に数億円使っているとか)もあれば、どう考えても1時間程度では判断できないだろうと思うような事業(騒動になっているスパコン開発とか)もあるようですが、例えば国産スーパーコンピュータの開発への予算投入を継続すべきかどうかという判断は、自分たちが将来の日本をどういう国家にしたいのかという「価値判断基準」を踏まえないと、本来は「廃止すべき」とも「継続すべき」とも言えない気がします。

スパコンの開発を行う「環境」や「研究成果の蓄積」、「優秀な研究者の確保」といった要素まで含んで「将来きっと有用になる重要な資産(アセット)の集合体」と位置づけ、単にスパコンの性能や開発コストだけでは算出できない付加価値があるという見方がひとつあり、一方では「スパコンとはそもそも(別の)研究開発の計算過程で使用する『道具』に過ぎず、計算する性能と価格の対照表に基づいて、費用対効果で存在意義を評価すべきだ」という見方があります。こうした根本的なレベルでの認識の相違も、国家戦略としての明確な「価値判断基準」を提示することで、おのずと優先順位が見えてくるはずなのですが、なぜかそういった展開にはなっていないようです。

いったん予算凍結という決定を下したにもかかわらず、恐い顔をしたノーベル賞&フィールズ賞オールスターズのおじさんたちに厳しく叱られたらすぐにうろたえて前言を撤回する、という腰の引けた姿勢は、せっかく国民の期待を担って始めた「事業仕分け」という事業そのものの価値や信憑性を、自ら貶める行為のようにも見えます。

ただ、仕分けの俎上に上がっている各事業体の中にも、国のお金を使って自分たちがやっている事業についての「説明責任」をきちんと果たせていない人が多いようで(毛利衛さんのように理路整然と意義を説明できる人は例外?)、担当者の説明が下手なために廃止という憂き目を見た事業も少なからずあったように感じました。

「こういう意義があるんです」と漠然と主張しても、それぞれ探せば何かしらの「意義」は見つける(あるいは言葉は悪いですが「こしらえる」)ことは可能でしょう。しかし、問題なのはこれだけ財政状況が悪化していて、いずれ増税は間違いないという状況下で、その「多少の意義はある(かもしれない)」事業に、現状のような数億ないし数十億といった予算額が本当に必要なのかどうか、国の予算を使わせてもらっている立場である以上は、仕分け人だけでなく、納税者に対しても(建前としては)きちんと説明する義務(説明責任)があるはずです。

ゲームのプレイテストも含めて、どんな試みでも、第一回目はいろいろ問題点が出るのは当然なので、今後の「事業仕分け」では、上記したような問題点も少しずつ解決されていくのかもしれません。各事業体の担当者が、いつ誰に質問されても、自分の仕事の「意義」や「必要性」を論理的に説明でき、必要な「予算額」の根拠も明示できるようにするというのは、重要な意識改革だと思いますし、本質的な意味での「支出の無駄を削る」という出発点にもなるのではないか、という気がします。

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かくいう私も、先日電話で瀬戸利春氏といろいろ話したのがきっかけで、自分の仕事の意義について改めてじっくり考える機会を得ました。プロの文筆業者として仕事をする以上は、ある種の「自信」は不可欠ですが、それは決して「俺はスゴイ」というような浮ついた思い込みではなく、「現在の自分」に何ができて何ができないのか、どんな能力が優れていて、どの能力が劣っている(または欠落している)のか、という、「現在の自分」の能力の限界と今後目指すべき方向性(「将来の自分」はどういう能力を高めたいのか)を正しく見極めるという意味での「自信」でなくてはなりません。

新刊の『ロンメル戦記』の評判は、比較的良好のようですが、今取り組んでいる『ポーランド1939』もかなり難しいテーマですし、変に浮かれることなく、目標を明確に定めて仕事を粛々と進めていこうと改めて思いました。

ちなみに、私が瀬戸さんと知り合ったのは、1989年のことなので、交友関係はもうかれこれ20年になります。当時、私は東京の三鷹に住んでいて(後に埼玉の狭山市に引っ越した)、瀬戸さんのデザインされたゲーム「呪われた海」の製作を手伝ったりしたのがご縁でしたが、特定のテーマについての「知識」だけでなく、物事の深い読み方や社会の仕組みの捉え方など、いろんなことを幅広く教わりました。

大事なところで大事なことに気づかせてくれる友人が身近にいて、自分は幸せだと思います。
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2009年10月18日 [その他(雑感・私生活など)]

先週の水曜日(14日)から土曜日(17日)まで、横浜と東京に遠征していました。

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新横浜駅前のようす。

横浜では、堀場亙さんとお会いして、横浜美術館でコレクションの展示(第二期)を観た後、中華街でいろいろお話しました。例の「大東亜戦争」(仮)関係や、ノモンハン戦を題材にしたゲーム(中黒さんの作品が来年出るそうですが、堀場さんと私も新作を構想中)のシステム案などの話に熱中して、あっという間に時間が過ぎてしまいました。

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15日は、上野の東京国立博物館で「皇室の名宝―日本美の華」を鑑賞(伊藤若冲の「動植綵絵」の実物はやっぱり見応えがあります。分野が少し違いますが、ミケランジェロのような職人肌の天才ですね)した後、五反田の学研さんに出向き、編集部の重鎮・太田さんと次の文庫本などの打ち合わせをした後、編集さんとの飲み会でした。歴史群像誌編集長の新井さんと、文庫の新しい担当者の山本さんも、私と同じくボーイスカウト出身ということで、「ベーデン・パウエル」とか「そなえよつねに」「シートン動物記」などの懐かしい話題で楽しめました。

16日は、ゲーム業界でも知る人ぞ知るブログ「戦闘教師『ケン』 激闘永田町編」のケン先生とお会いしました。ブログでも書かれている通り、ケン先生は現在、民主党の某先生の政策秘書をされており、第二議員会館でお話した後、国会議事堂の周囲と内部を見学できるよう取り計らっていただきました。関東では、学校の社会見学で見たりするらしいですが、地方の人間には縁のない建物で、なかなか興味深いところだったので、撮ってきた写真の一部をご紹介します。

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議事堂中央の塔のようになっているところの内部には、非常に凝った装飾があります。

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議事堂内部の廊下。古めかしさと重々しい雰囲気は、以前に見学したペンタゴン(米国防総省)の内部と非常によく似ています。

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外からは見えない、中庭のようす。

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テレビでよく見る、衆議院本会議場。思っていたよりも小さい部屋。

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うしろには、裁判所と同じような傍聴席があります。

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議事堂内のエレベーター。内部の装飾も非常に大層(笑)。

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本会議場のシート・アサインメント表。福田えり子先生(ケン先生の担当ではありません)は最前列です。

ケン先生は、非常に興味深い経歴をお持ち(上記のリンク先を参照してください)ですが、同世代でなおかつ趣味もいろいろと共通している(シミュレーション・ゲーム関係に加えて、ソ連/ロシアの文化には私も興味があるので)人が、政治の第一線で参謀として活躍しておられるとなると、応援しないわけにはいかないでしょう。ブログでは、民主党の組織内部に見られる問題点や改善すべき点なども率直に書かれており、今後ますますのご活躍を期待したいと思います。

17日は、西新宿で開催されている、妻の友人の個展を観た後、瀬戸利春さん、坂本雅之さんと新宿のアイリッシュ・パブで会食しました。瀬戸さんと坂本さんも旧知の間柄で、英軍が第二次大戦中に各戦域で使用していた標準時間の話とか、SPI「大西洋の壁」とAH「史上最大の作戦」の対比など、面白い話題で盛り上がりました。その後、坂本さんと一緒に渋谷のBunkamuraで開催中の「ベルギー幻想美術館」を観て、夕方の新幹線で東京を離れました。あとで知りましたが、中黒さんも同時期に都内におられたのですね。

東京でお会いした皆様、お忙しいところどうもありがとうございました。今後とも、よろしくお願いいたします。

今週は、前半は文庫『ロンメル戦記』の再校を行い、後半は「ベアズ・クロウ」の制作を進めます。
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2009年9月18日 [その他(雑感・私生活など)]

今日、歴史群像次号の原稿「ベルリンの壁崩壊」を無事に仕上げました。具体的な「壁崩壊当日のドキュメント」は、大き目のコラム記事で別にとりあげる予定ですが、本文は1945年の第二次世界大戦終結から1989年のマルタ会談までの「東欧における東西冷戦史」を総括した内容です。「ベルリンの壁構築(および崩壊)」だけでなく、「ハンガリー動乱」や「プラハの春」、「ワレサ議長と自主独立労組『連帯』」、「チャウシェスク大統領の最期」といった有名な出来事の、大きな歴史の流れでの位置づけを私なりに整理してみましたが、興味のある方はぜひご期待ください(発売は11月5日頃だと思います)。

このところ原稿執筆の仕事が詰まっていて、気分転換にユーチューブの動画で頭をほぐしたりすることが多いですが、少し前にハマっていたのが、トヨタの小型自動車「iQ」の、ちょっとバカバカしいムービーの数々です。ここにはありませんが、個人的には最近テレビでオンエアされていた、レストランの駐車スペースに「マイテーブル」を用意するバージョンが好きです。













もっとも、私は今の愛車である日産TIIDAが気に入っているので、当分買い換える気はありませんが。車体は小さいけれどキャビンは意外に広く(180センチの私でもゆったり運転できます)、後部座席のリクライニングと前後スライドが非常に便利で(お客さん優先モードと荷物運びモードを簡単に切り替えられる)、エンジンは小さくて低燃費ですが、登り坂でもキックダウンせずにスーッと加速していきます。

これらの「iQ」のおバカなムービーを見て、かなり前にハマっていた「プリンセス・ジュリアナ空港」の動画を思い出しました。これは、西インド諸島(カリブ海)に浮かぶ、オランダ領シント・マールテン(サン・マルタン)島の空港ですが、海岸ギリギリに滑走路があるので、大きな旅客機が砂浜のすぐ上をかすめて着陸していきます。当然ですが、こちらはCGではなくホンモノです(従って相当に危険な空港です)。









次の日曜は、ひさしぶりに「隠(なばり)ゲームクラブ」の集まりです。KMTさん、石田さんと、VGの「ヘルズ・ハイウェイ」をする予定ですが、私だけはこのゲーム未経験なので、ホロックスの第30軍団を担当しながら、お二人の対戦をじっくり見学するつもりです。
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