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2012年4月24日 [その他(雑感・私生活など)]

昨日、無事に台湾より帰国しました。5泊6日の日程でしたが、台北滞在中は「夏兄(シャーション)」こと夏育華さんご夫妻があれこれと面倒を見て下さったおかげで、とても中身の濃い日々を過ごすことができました。

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上は夜の台湾総統府。現在は総統官邸として使用されていますが、児玉源太郎が第4代の台湾総督だった時代の1919年に日本の総督府として完成した建物です。周囲の雰囲気は永田町の国会議事堂周辺によく似ています。

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4月20日の金曜日、台湾の印刷会社社長・陳玠侑さん(中央)とお会いし、シックス・アングルズの各コンポーネントや文庫本の印刷経費について、詳しい情報をいただきました。陳さんの会社は、大手企業の包装パッケージを数多く手がけられているほか、福爾摩莎戰棋社(Formosa Force Games)の『英烈千秋(The Everlasting Glory: 1937年から45年までの日中戦争を扱う箱入りゲーム)』の印刷もされているので、コマの打ち抜きなどボードゲーム独特のパーツについてもスムーズに話が進みました。

この時の面会には、夏兄(上写真左端)と彼の奥さん(写真には写っていません)が英語←→中国語の通訳に加えて、なんと値引きの交渉までしてくださり、金額的にかなり良い条件で引き受けてもらえることになりました。品質については、紙の見本をいくつか出してもらって紙質(表面の質感、手触り等)を確認しましたが、今までの製品と同レベルのクオリティを維持できそうな印象です。あとは日本までの輸送コストと輸送中の事故リスクの回避さえクリアできれば、正式決定となります。

ちなみに、日本でも既におなじみの台湾製シミュレーション・ゲーム雑誌『戰棋』編集長の鄭偉成さんも、印刷所での面会に同席して下さり、その席で『英烈千秋』をいただきました。雑誌形態とボックス形態でのコスト面と収益面での差異など、興味深いお話をうかがいましたので、いずれ機会を見てこの辺りの話も詳しく書きたいと思います。

4月21日の土曜は、行天宮(関羽を祀る廟)に参拝した後、そこから徒歩で10分くらいの場所にあるレストランへ行き、そこで開催されている台湾のシミュレーション・ゲーム・クラブの例会にお邪魔して、夏兄と『ベアズ・クロウ』をプレイしました。わりと普通のレストランのテーブルを各自「占領」して(もちろん料理や飲み物は注文しますが)、朝から晩までゲームプレイに熱中していても店側から文句を言われないというのは、日本ではちょっと考えられない、羨ましい環境です。

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上はドイツ軍をプレイ中の夏兄。午前10時30分くらいに店に入り、お昼は「鶏なべ定食」みたいなものを注文しましたが、別皿の具材(鶏肉、野菜など)を固形燃料のコンロでぐつぐつ煮ながら食べる結構本格的な一人鍋でした。鍋を食べながらゲームをプレイしたのは初めての経験でした(笑)。英語でルールを説明した後、『キエフ・ウマーニ』と『スモレンスク』を続けてフルターンでプレイし、気がつくと時計の針は午後10時30分を指していました。

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夏兄も「バッテンマーカー」の愛用者と知り、さらに親近感が。

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最後に、ゲームクラブ「戰棋團」のメンバーと一緒に記念撮影。鄭偉成さんと中黒さんも昼間は会場におられましたが、二人とも用事で早めに帰られたため、ここには写っていません。中黒さんとの「台北の密約」は今回は見送りとなりましたが、改めて大阪での密談を約束しました。

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台北市内の「国軍歴史文物館」は、中国国民党軍に関する歴史的価値の高い物品を多数展示しており、非常に興味深い軍事史博物館でした。一番下の写真は、蒋介石が愛用していた帽子とコート。

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こちらは蒋介石の業績を記念して建てられた「中正記念堂」(人と比較して、建物の巨大さに注意)と、その地下の博物館に再現展示されている蒋介石の執務室。蒋介石については、人間像がよくわからない部分があったのですが、夏兄の奥さんから彼にまつわる非常に興味深い話をいくつも聞けたのは大きな収穫でした。過去に『歴史群像』誌で一度、蒋介石伝を書いたことがありますが、今までとは少し違った視点で、彼についてさらに詳しく調べてみようと思いました。

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このほか、夏兄には台北市内の観光名所(龍山寺、迪化街、士林と饒河の夜巿、万華、故宮博物院など)と郊外の九份(映画『悲情城市』で有名)にもたくさん連れて行ってもらいました。台湾の料理は、主なものは一通り食べましたが、どれも本当に美味しかったです(一つだけ、臭豆腐だけは一口が限界でしたが…)。

今回の旅行を機に、台湾は私にとっていろいろな意味で以前よりもずっと身近な国になりました。今後の出版事業の展開や拡大も含め、また台湾に行く機会があると思いますが、次回は挨拶やお礼くらいは中国語で言えるようになりたいと思いました。


不知怎么感谢才好。
真谢谢你了。


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2012年4月17日 [その他(雑感・私生活など)]

先々週の東京・横浜遠征の興奮も冷めやらぬ中(笑)、原稿執筆とゲーム開発の合間を縫って、今週は明日から台湾に出張です。用件はいくつかありますが、事前に台湾の友人が手配してくれた現地の印刷所を訪問して、日本から仕事を依頼する場合の料金や品質などを確認することもその一つです。

ご存知の通り、私は『シックス・アングルズ』というシミュレーション・ゲーム付き雑誌を自費で出版していますが、コスト面で厳しい面がいろいろと出てきたため、今後の選択肢を比較検討しているところです。値段が安いからといって、いきなり台湾の印刷所にシフトするというのはリスクが高いですが、最大のネックである打ち抜き駒だけでも、今より低コストで製作できれば、ビジネス面で少し楽になります。

また、将来的な事業展開として、ゲームだけでなく一般的な本の自費出版事業というのも考えています。いよいよ学研さんもアマゾンのKindleと契約し、日本における電子書籍の展開が本格的に始まろうとしている中、紙の本を出版するというのは時代に逆行しているようにも見えますが、実際には使い勝手という点で紙の方が優れている要素も多々あるように、私には思えます。

例えば、アメリカ軍の公刊戦史はかなり前からPDF化されており、値段も安かったので一揃え買ったのですが、ソファでリラックスして読めない、愛用している付箋紙を貼れない(長くなるので今回は説明を省きますが、私にとっての付箋紙は単なる目印ではありません)、慣れた感覚での流し読みが難しいなどの不便さに耐えられなくなり、結局紙バージョンを新たに買い直しました。紙バージョンには、サイズの大きな別紙の戦況図などもあり、私は電子版よりも紙版の方が執筆に使う資料としての使い勝手が良いと感じています。

今後もいろいろな出版社さんと一緒に、執筆や地図制作などの仕事でベストを尽くしていくつもりですが、執筆から図版・地図制作、組版、装丁まで自分でひととおり出来る立場なので、それを活かす形で、既存の出版社さんから出してもらうには適さない(端的に言えばマイナーな)テーマを掘り下げた研究書等を、限定部数で(相対的に少し高い値段で)出版する、という事業も「副次的展開」として行えないかな、と構想しています。もちろん、印刷所に送るデータは、技術的には容易に(将来のスタンダードとなる)「電子書籍」のフォーマットにも転換できる(ようになるはず)ので、課金のシステムがもう少し一般化すれば、電子版もネットで直販という形にもできるだろうと思います。

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また、週末の土曜日には、台北のシミュレーション・ゲームクラブの例会(戰棋團第31次聚會)に参加して、現地の台湾人ゲーマーと『ベアズ・クロウ』をプレイする予定です。たまたま同時期に中黒さんも台湾に出張で行かれるとのことで、もしかしたら会場で「台北の密約」的な何かが生まれるかもしれません(もちろん議事録は残しません)。

ということで、明日の4月18日(水)から23日(月)まで、家を離れますので、この間はメールチェックや各種ネットメディアの確認、商品の発送等ができなくなります。またしてもご迷惑をおかけしますが、よろしくお願いいたします。
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2012年4月9日 [その他(雑感・私生活など)]

前回の記事でも書きました通り、先週火曜日(4月3日)から土曜日(4月7日)まで、東京と横浜に出張で滞在しました。今回も内容の詰まった東方遠征でした。

到着初日は、ちょうど「爆弾低気圧」が上陸した日で、約束していた瀬戸利春さんとの会食も暴風に吹き飛ばされてしまいましたが、それ以外の日は晴天続きで、約束と約束の合間の時間に、あちこちでお花見を楽しめました。

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↑上野公園の桜。

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↑大塚(空蝉橋付近)の桜。

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↑千鳥ヶ淵の桜。去年もケン先生と観に来ましたが、ここの景色は桜のうす桃色と黄緑色のブレンドが綺麗です。

仕事関係では、いつもの学研さんとKKベストセラーズさんに加えて、今回は光人社さんとソフトバンク・クリエイティブさんにも新しい企画の件でお邪魔しました。それぞれ、具体的な内容を発表できる時期になれば随時このブログでご紹介します(一番早いのはおそらく学研さんの単行本で7月刊行予定)が、今年は昨年より広域の正面で新しい仕事にチャレンジしていきます。

また、戦史研究分野の大先輩である廣田厚司さん、切手を通じた各国史と国際関係史研究で知られる内藤陽介さん、そして国内・国外のトピックを精力的に追求するジャーナリストの坂本慎平さんとも会食し、興味深いお話をいろいろとうかがうことができました。皆さんそれぞれ独特のバイタリティに溢れる方で、仕事上の刺激とエネルギーを吸収させていただきました。

ゲーム関係では、水曜日に市川丈夫さん、浅野信二さん、奥津城常世さん、Sinさんとお会いし、原宿の紅茶専門店と新宿のドイツ料理店「カイテル」で、ゲームや歴史などの話題で盛り上がりました。「カイテル」は、料理やビールの美味しさに加えて、店内を埋め尽くすドイツ系統の「アイテム類」が面白く、最後にはオーナーのカイテルさんから日本酒(越乃寒梅)を振る舞われたりして、閉店時間まで話題は尽きませんでした。

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また、土曜日には堀場亙さんと一緒に美術館(後述)鑑賞と昼食の後、YSGAさんの例会に参加して会場でS&T誌付録ゲームの『レッドサン・レッドスター』をプレイしました。1939年7月のノモンハン紛争がテーマで、ソ連軍砲兵の威力(火力と弾薬量の両方)を実感できるゲームです。両方で劣る日本軍は、必然的に夜襲という「安上がり」な手段に訴えなくてはならなくなります。

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上京時の恒例となっている美術館巡りは、今回は他の約束が詰まっていたこともあり、国立新美術館の「セザンヌ-パリとプロヴァンス」と横浜美術館の「マックス・エルンスト-フィギュア×スケープ」の2つしか観られませんでした。しかし両方とも満足のいく内容で、特に後者はシュルレアリスム方面で従来よく知られた「鳥と人間の精密コラージュ」や「木目模様、絵の具押しつぶし模様の混じった風景」などの系統とは異なる作品も多く揃えてあり、エルンストという人物についての興味が深まりました。第一次世界大戦中、この人はどの戦線で従軍していたんだろう?

本当はもう一つ、上野で某展覧会を観るつもりでしたが、上野公園の桜を観ているうち、気がつくと上野動物園の前まで来ていたので、そのまま中へ入ってパンダなどの動物を見ることにしました。けっこういいですね、上野動物園。

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ご多忙のところ時間を取って下さった皆様、どうもありがとうございました。おかげさまで充実した一週間でした。またよろしくお願いいたします。

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2012年1月4日 [その他(雑感・私生活など)]

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本年もよろしくお願いいたします。




【追記】

エクスキャリバー社の『バトル・フォー・スターリングラード』ですが、インボイスの書類不備で到着がさらに数日遅れてしまう模様です。既に対応は済ませましたので、早ければ今週土曜日頃に発送できるかもしれません。ご注文いただいた皆様、申し訳ありませんがあと少しだけお待ちください。
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2011年11月25日 [その他(雑感・私生活など)]

少し前の話になりますが、新潮社発行の『新潮45』という雑誌の2011年9月号に、興味深い記事が掲載されていました。今回は、その記事について少し書いてみます。

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「今こそ『ぴあ』が必要だ」と題された、その5ページの記事は、坪内祐三さんという評論家が書かれたもので、2011年8月4日・18日合併号を最後に廃刊となった情報誌『ぴあ』の、情報媒体としての役割と社会の変化について考察した内容でした。1972年の創刊号からの読者だという坪内さんは、『ぴあ』が廃刊から逃れられなかった理由について「ずっと若者雑誌として歩んできた路線を捨てきれず、今後も若者雑誌として誌面を作り続けようとしたからではないか」と書かれています。

ぴあ』は私の文化の指導者だった。その指導のもとに演劇やアートなどにも自分の趣味の方向が見えてくると、『ぴあ』は素晴らしいガイドブック、情報誌であることがわかるのだ。『ぴあ』が存在していた時代、人は(特に若者たちは)、『ぴあ』によって自分の関心の幅を広げていった。(P.141)


雑誌というものは時代と共に成長、あるいは変化して行かなければならない。なるほど、先にも述べたように、『ぴあ』の読者は若者たちだった。だから『ぴあ』はずっと若者雑誌であり続けようとした。しかし、最近の『ぴあ』を熱心に読む若者の姿を私はイメージ出来ない。(P.141)


現代の若者は、かつての『ぴあ』に詰め込まれていたような情報(芝居やコンサートの日程、映画の上映館や時間など)を、無料でインターネットから得ることができるようになり、彼らがわざわざ『ぴあ』を買うべき理由は、時代と共に失われていきます。しかも、『ぴあ』の巻頭に掲載されるタイプのインタビュー記事は、情報が限られていた昔ならばともかく、現在の社会環境の中ではどうしても「底の浅いパブ(パブリシティ=広報的)記事」的な価値しか持ち得ず、より「濃い情報」を求める若者以外の読者からも次第に見離される結果となってしまいました。

しかしそれでも、まだ『ぴあ』が存続できる道、情報媒体としての価値を持ち続けられる道は存在したのではないか、と、坪内さんは指摘します。

最終号に至る『ぴあ』の平均部数は六万部だという。今の時代にこの売り上げはけっして悪くないし、少し工夫すれば十万部は間違いなく突破出来る。(中略)『ぴあ』の創刊は一九七二年七月。当時の『ぴあ』の読者の平均年齢を例えば二十一歳だったとすれば、今年はちょうど還暦、六十歳になる。それは池袋文芸座の客層とも重なると思うのだが、そういう彼ら、『ぴあ』の第一読者たち、五十代六十代の人々に向けての『ぴあ』を改めて創刊すれば良いのだ。もちろん、隔週ではなくて月刊で。(P.142)


この提言を読んで、私はなるほどと思いました。かつての「若者向け雑誌」である『ぴあ』が、年を経て、成熟した「かつての若者」向けの「成熟した文化を共に味わう雑誌」に変質しても、何もおかしいところはないはずです。むしろ、『ぴあ』のような独特のネームバリュー(あるいはブランド価値)を持つ媒体の場合、青春時代を『ぴあ』と共に過ごした人々をこそ、大事な読者として扱うべきだという坪内さんの意見は、非常に説得力があるように思えます。

私は今年で44歳になりましたが、20代の頃に観た映画を今改めて観た時、面白いと思う点や、些細な演出の裏側に隠れた深い意図を感じる点など、若い頃には気づかなかったこと、人生経験の違いで理解できなかったことも、多々あることに気づかされます。俳優や映画監督へのインタビュー記事の内容やレビューの切り口も、若者のそれとは異なる、人生経験を経た上でこそ理解できる深みを持つものであるなら、『ぴあ』というブランドに愛着を持つ(かつて若者であった)読者は「今の自分に寄り添う媒体」として受け入れた可能性も大いにあります。

雑誌の方向性を変えるというのは、出版社にとっては大きな「賭け」であり、それを行ったから成功するという保障はどこにもありません。けれども、時代も読者も変化し続ける以上、雑誌という情報媒体もまた、存在価値を保ち続けるためには「今までと同じやり方でよいのか」「より価値を高める道はあるのではないか」との問いかけを、自らに課す必要があるのも確かでしょう。そして、その価値というのは「今それを読む」場合の情報的価値のみならず、読者が「その媒体と共に成長した記憶」のような、目に見えないものを大事にするという意味での「価値」も含んでいます。

ちなみに私自身も、つい数年前のことですが、『ぴあ』から忘れられない「思い出」を作るきっかけを(妻と共に)提供してもらいました。その時の話は、本ブログの過去記事で詳しく書いていますので、興味のある方は参照してください。

雑誌で紹介する映画や演劇、音楽の選択においても、現在の若者ではなく「かつて『ぴあ』と共に生きた世代」が求める方向性に特化する、という方針はあり得たでしょう。実際、何十年も前に若者の間で人気を博したロックバンドが、今再結成してコンサートを開くという時、そのターゲットは明らかに「現代の若者」ではなく「かつての若者」であり、そんなコンサートの告知を行っていた『ぴあ』自身、そうした図式をよく知っていたはずです。

豊富な「情報」を必要としていた年齢から、量より質の「読み物」を欲する年齢に達した読者は、それまで買っていた雑誌を買うのをやめ、別の雑誌を買うようになるというのが、一般的な流れだと言えます。しかし、そうではなく、雑誌自体が読者と共に「成長」あるいは「成熟」して、生き物のように変化していくというパターンも、あってもよいのでは、と思います。もちろん、そのような道を進んだなら、主な読者層の「寿命」と共に、雑誌自身も最期の時を迎えることになるでしょうが、それはそれで媒体としては「本望」ではないのか、という気もします。

こうした考え方は、雑誌だけでなく、隆盛と衰退を繰り返す個々の「趣味(ホビー)」についても言えるかもしれません。自分が若者だった時代に始めたホビーが、現代の若者から見て、昔のように魅力的に映るかどうか、という視点を忘れて、ただ漠然と「若者向けの路線」を続けたなら、衰退するのは目に見えています。しかし、「かつての若者」が「現在はどんな生活を送り、内面でどれほど成長・成熟したか」を踏まえた形で、ホビー自身もまた変化していけば、それはそれで楽しむ側にとっても「ホビー」自身にとっても「幸福な関係」と言えるのでは、と思うのですが、どうでしょうか。

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2011年10月28日 [その他(雑感・私生活など)]

前回の記事でお知らせしました通り、今週の日曜日から水曜日まで、出張で東京に滞在していました。今回は個人的な備忘録を兼ねて、そのご報告など。

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日曜日(23日)は午後から東京入りし、ホテルに荷物を置いた後、船堀というところでウォーゲームのイベント「猿遊会」に参加しました。上の写真は、会場となった「タワーホール船掘」の建物。私が着いた時(午後4時頃)には、プレイ用に用意されたテーブルはほぼ全てが埋まっており、熱い対戦が各所で繰り広げられていました。当日プレイされていた、主なゲームの写真を撮らせていただきました。

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会場には、シックス・アングルズ第14号の付録ゲーム『ベアズ・クロウ』のテストをお願いしている堀場さんも来られていたので、私は各テーブルの対戦を見学した後、「スモレンスク」の修正版マップとユニットを堀場さんに手渡した後、初期配置の問題点について検証を行いました。

あと、主催者のたかさわさんからいただいた、記念品のサイコロが非常に面白いと思いました。六面体なのに六の目が空白となっていて、これで『東方への突撃』をプレイすれば、サビ抜きバージョンになってお子様でも安心してプレイしていただけます。

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夜は、同会場でトラファルガー海戦のミニチュアゲーム(上のプレイ写真の一番下)をプレイされていた瀬戸利春さんと一緒に会場を離れ、新宿でジャーナリストの坂本慎平さんと合流し、ビアホールで夕食をご一緒しました。『歴史群像』誌次号に掲載される、某著名人のインタビューに関連する裏話など、非常に興味深い話題が満載だったためか、久しぶりにビールを飲み過ぎてしまいました。

月曜日(24日)の午前中は、与党某議員の政策秘書をされているケン先生のアレンジ(もちろん正式な手続きで申し込んでいただきました)で防衛省の見学ツアーに参加しました。ご存知の方もおられるかと思いますが、防衛省では事前申し込み制で施設内の一部見学を受け入れていて、建て直しの際に敷地内で移築された旧正面玄関(三島由紀夫が自衛隊員に檄を飛ばした場所)と大講堂(東京裁判の法廷として使用された部屋)から成る「市ヶ谷記念館」が、特に興味深い見所でした。

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ケン先生らと昼食をご一緒した後、久しぶりに神田神保町へ足を運び、文華堂と南海堂で古本を五冊購入しました。今は古書をネットで探して簡単に購入できるため、ここ数年は上京しても神田へは行かずに済ませていましたが、今回は中身を確かめてから買いたい本がいくつかあり、幸いその一部を入手できました。

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それから大塚に移動して、KKベストセラーズさんの雑誌『歴史人』の次号記事に関する打ち合わせを行いました。先日の太平洋戦争特集で私が担当した記事は、幸い好評だったとのことで、12月発売の号(日清・日露戦争特集)では再び原稿と地図の組み合わせで、日本海軍の旅順閉塞作戦などについて解説します。同誌は、コンビニでも多く売れているとのことで、もしかしたらコーヒーやタバコを買いにきたサラリーマンなどが、一緒に買われていたりするのかもしれません(想像ですが)。

夕方には五反田で学研さんにお邪魔して、担当編集者の方々と単行本の打ち合わせなどを行った後で夕食をご一緒しました(『歴史群像』誌の編集部は校了直前ということで、ご挨拶のみ)。過去に出していただいた本の反響や、今後の方針など、私にとって非常に重要な話をいろいろとうかがうことができ、また目指すべき方向性も再確認できたので、今進めている単行本の仕上げに全力で取り組む態勢が、頭の中で整ったような感じです。

火曜日(25日)は、まず知る人ぞ知る多才な編集者「ハマザキカク」こと濱崎誉史朗さん(社会評論社)と新宿でお会いし、昼食をご一緒しながら幅広い話題で盛り上がりました。濱崎さんは、編集者として数々の話題本(『ニセドイツ』『いんちきおもちゃ大図鑑』など)を編集からデザイン、組版まで手がけられている上、書店の企画や展示などにも積極的に関与されているバイタリティ溢れる人物です。数カ月前にツイッターを通じて知り合ったのですが、第二次世界大戦期における中小国の動向などにも詳しく、時間が経つのも忘れて少々マニアックな話題に熱中できました。

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(画像は公式ホームページより)

午後は、秋葉原で市川丈夫さん、浅野信二さんと合流し、千駄木の珈琲店「満々堂」で珍しい珈琲を味わいつつ談笑。このお店に来たのは、4月に次いで二度目でしたが、今回も「幻の珈琲」コピ・ルアクは良い豆が入荷できていないとのことで味わえず。その後、秋葉原に移動して「万世」というお店で夕食をご一緒し、結局終電近くまで話題が尽きることなくゲーム談義を半日にわたって堪能しました。当日の主な話題については、市川さんのブログにて少し紹介してくださっています。

最終日の水曜(26日)は、いったん東京駅へ移動して荷物をロッカーに預けた後、秋晴れの皇居前広場を朝から散策し、戦史研究家の坂本雅之さんと待ち合わせた後、三菱一号館美術館で開催中の「トゥールーズ=ロートレック」展を鑑賞しました。柔らかい線でモデルの内面まで描き出すような作風が特徴で、観客は女性が九割以上という感じでした。私はロートレックやレイモン・サヴィニャックなどの描く、フランスの庶民的なポスター画が好きなのですが、今回も気に入った作品が何点もあり、大いに満足できました。

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(画像は公式ホームページより)

坂本さんと銀座のイタリア料理店(と書くと凄そうですが、高級店ではありません)で昼食をとった後、電車で上野に移動し、今度は国立西洋美術館で開催中の「プラド美術館所蔵 ゴヤ 光と影」展を鑑賞。目玉はやはり有名な「着衣のマハ」でしたが、私はむしろ聖職者の腐敗や堕落、スペインがナポレオン軍と戦った戦争の実情(犠牲となった市民の遺体やフランス軍に惨殺されたスペイン人ゲリラの姿など)をリアルに描写した小さめの素描や版画に感銘を受けました。宮廷画家として大成したゴヤですが、こうした市民目線の社会的あるいはジャーナリスト的な観察眼も備えた人物だったことを改めて知り、今回の展示には含まれていないプラド所蔵の名画「マドリード、1808年5月3日」の原画を観たいという気持ちがより強まりました。

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(画像は公式ホームページより)

夕方からは、兵器史研究家兼写真家の松代守弘さんと久しぶりに会い、お茶ノ水の中華料理屋で夕食をご一緒しながら、互いの近況や仕事の話題などで話し込みました。松代さんとは、シックス・アングルズを1994年に創刊した頃からの知り合いで、今までかなり幅広い領域で活動されてきた人ですが、軍事以外のサブカル方面にも造詣が深く、午後7時30分東京発の新幹線に間に合うぎりぎりの時間まで、面白い話を聞くことができました。

というわけで、今回も中身の詰まった濃厚な出張で、体内電池にエネルギーをたっぷり充電できました。私のために時間をとってくださった皆様、どうもありがとうございました。今後とも、よろしくお願いします。


《おまけ》

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タワーホール船堀の展望台から見た、東京の夜景。見晴らしがよくて、とても綺麗です。しかも公共施設なので、展望台は無料。右奥にある火柱のようなものは東京タワーです。
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2011年10月23日 [その他(雑感・私生活など)]

本日(10月23日)から水曜日(10月26日)までの4日間、リアル「東方への突撃」(東京出張)で不在となります。この間、メールチェックや商品の発送作業等を行えなくなりますので、なにとぞご了承ください。

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今日の夕方は、猿遊会の会場にお邪魔する予定。


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2011年10月16日 [その他(雑感・私生活など)]

今日は三重県鈴鹿市の鈴鹿スポーツガーデンで開催された、プレナスなでしこリーグ第13節「伊賀FCくノ一」対「INAC神戸レオネッサ」の試合を観戦してきました。

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INAC神戸は、澤穂希選手(左端)をはじめ現在の日本代表選手がスタメンに6人も入っている強豪チームで、澤選手と川澄奈穂美選手(前列右端)が特に大きな声援を受けていました。川澄選手の左サイドからの鮮やかな切り崩しや、大野忍選手(左から2人目)の豪快なドリブル突破、そして縦横無尽に駆け巡る澤選手など、試合ではやはり日本代表の選手が技量的に一段上という印象でした。

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伊賀FCくノ一は、かつては伊賀の地元企業プリマハムに運営され、その時期にはリーグ優勝も経験しましたが、現在は地域の市民チームとなっており、資金面でかなり苦しんでいる様子。境遇的には「プロ対アマチュア」という図式にもかかわらず、現在の最強チームであるINAC神戸に苦戦を強い、最終的には0-1で敗れたものの、見応えのある試合を展開してくれました。

伊賀フットボールクラブ くノ一 公式サイト

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キックオフの光景。野球の場合もそうですが、サッカー場で試合を観る時には、当然のことながら実況や解説の音声情報は何もなく、ただ目の前の試合の「流れ」を「素の状態」で楽しめるという醍醐味があります。細かい説明情報は、有益といえば有益なのでしょうが、それがあることによって失われる「何か」、無いことによって得られる「何か」も、確かに存在するような気がします。

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試合終了後にインタビューを受けている川澄選手。INAC神戸のキャプテンマークをつけてプレーしています。ツイッターの方でも、試合の感想などについて少し書いていますので、興味のある方はご覧ください。

明日は、シックス・アングルズ別冊第8号『東方への突撃』プレオーダー発送分が、家に届く予定です。こちらも、いよいよ登場です。発送開始は10月20日(木)の予定です。

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2011年6月13日 [その他(雑感・私生活など)]

昨日、買い物に出たついでに、今月10日に発売されたある雑誌を求めて本屋に行きました。今のご時世、そんなにバカ売れするとは思えないスタイルの雑誌(関係者の方、すいません)なのに、なぜか一軒目では見つからず(実は売れている?)、別の大きな本屋に出向いて、ようやく見つけました。その雑誌というのが、これ。

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ワイアード』vol.1。『GQ JAPAN』2011年7月号増刊という形式で刊行され、価格は税込み480円と比較的安価です。なぜ、わざわざ車で本屋を二軒も回ってまで買ったかと言えば、ずっと昔に同じ名前の雑誌を熱心に愛読していたからでした。

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ワイアード日本版』。こちらは現在『サイゾー』として刊行されている雑誌の事実上の前身で、日本版は1994年から1998年まで5年間刊行されていました。

この2つの雑誌の「本家」である『WIRED(米国版)』は、1993年に発刊された(精神的な)若者向けの雑誌で、当時既に普及し始めていたパソコンやインターネットなどのハイテク機器(テクノロジー)を駆使して、より自由で刺激的な生活環境を実現しようという方向性の媒体でした。

と言っても「この新製品を買えばバラ色の未来が待っている」という風な牧歌的なハイテク礼賛ではなく、テクノロジーによって「自由が阻害されるリスク(政府や企業による情報管理など)」にも積極的に光を当て、影の部分を抜け目なく注視しつつ光の部分を最大限に楽しもうという同誌のスタンスは、エディトリアル・デザイン(誌面構成と意匠)の端々に織り込まれたクールでドライなユーモアとも相まって、最高にカッコ良く思えたのを今でもはっきり覚えています。定期購読していた古い方の『ワイアード日本版』最新号が封筒で届くと、本当にワクワクしながらページを繰ったものです。

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上は、1998年1月号に掲載された主な記事。特集は「メイド・イン・ジャパンの終焉」という、今から思えばあまりにも予言的な内容でした。見出しの一部を抜粋すると「世界的な『技術立国』であるはずの日本には、結局独創的な技術はなかったのではないか、という疑念がある」「日本の製造業は成功を収めたが、量産できるもの、たくさん売れるものだけがよい製品だという『量産の呪縛』を生んだ」等々。そのほか、ゲーム業界の匿名座談会、民間スパイ衛星ビジネスの萌芽、トム・クランシーのインタビューなど。表紙はミラー調で、撮影している私の姿が下の方にぼんやり写っている(笑)。

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こちらは、1998年4月号。過去に予言された「未来予測の検証」をドライに行いつつ、テクノロジーや研究者の進む方向性を読み解くスリリングな内容。小松崎茂さんが「見てきたように未来の絵を描く奇才」という文脈で紹介されているのも面白い。このほか、マジェスティック12でもご活躍(笑)されたヴァネヴァー・ブッシュの足跡を追う記事とか、当時の言葉で言うところの「ニューメディア」が、政界と霞ヶ関の利権構造にどっぷり呑み込まれた経緯など、今読んでも鮮度が失われていないと思う記事が満載。


新しいバージョンの『ワイアード』は、古い『ワイアード日本版』が紆余曲折を経て『サイゾー』に変身した後、本家がコンデナストという大手の出版社に買収された兼ね合いで、同じ出版社の看板雑誌の一つ『GQ』日本版の側面展開媒体? として、完全に新しい形で創刊されたようです。ただし、古い『ワイアード日本版』の名物編集長だった小林弘人氏(こばへん)も、エディトリアル・アドバイサーとして参加されています。

新しい『ワイアード』は、店頭で販売中の雑誌ということもあり、表紙以外のページ画像をここで公開することは控えますが、こちらも興味深い記事が多く並んでいます。しかも、電子マネーの話やセキュリティの話など、古い『ワイアード日本版』の関連記事を踏まえて読むと、後者の特徴的な企画だった「リロード」(言うまでもなく「再読み込み」の意、過去の号で取り上げたテーマについてのその後の経過をフォローする)ページを読んでいるような錯覚すら覚えます。

個人的には、冒頭の数ページ目に出ている映画紹介で、大昔によく聴いていたスロッビング・グリッスル/サイキックTVのジェネシス・P・オリッジがその後に歩んだ波乱の人生について知った時点で、過去と現在の境界が溶けて入り交じったような錯覚に陥り、頭がくらくらしました。「ぼくのiPhoneが17人を殺したのか?」「『ソーシャル』という罠−−プライバシーが消えてゆく」「大野松雄−−『鉄腕アトム』の音をつくった電子音の怪人」「FBI暗号解読捜査官の憂鬱」などの記事タイトルを一瞥されて、興味のアンテナが反応した方はぜひ、書店で現物をご覧になってください。

ちなみに、同誌はネットでも雑誌とシンクロする形で情報発信を展開しており、ネットでしか読めない関連記事も興味深いです(雑誌記事の一部はネットで完全版が読める仕様になっています)。

WIRED.jp



【おまけ】

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一緒に書店で購入した『Pen』最新号。古い『ワイアード日本版』1998年4月号と並べると、年齢は離れているのにけっこうお似合いのカップルという印象(笑)。『Pen』の特集記事は、モチーフも写真もすごく綺麗で、切り取って壁に貼っておきたくなるほど。NHK『プロフェッショナル』に登場された回は残念ながらタイ旅行と重なったので観られませんでしたが、水戸岡鋭治さんがデザインされた九州新幹線「つばめ800」も大きく紹介されています(もちろん「あの」CM裏話も)。
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2011年6月1日 [その他(雑感・私生活など)]

 政党の数が多ければ、権力闘争が激化し、権力をめぐる政党間抗争は人民が築き上げた成果を根底から破壊し、社会の利益となるはずの計画までも台なしにすることがある。野党がこうした破壊をあえてするのは、権力の座を奪うことを目的として与党の立場を損なおうとするためである。

 政党間の権力闘争は、それが暴力的な形態をとるのはまれだとしても、相手の活動に対する非難や中傷に終始し、その結果、はるかに重要で高次元の社会的利益が損なわれる。そうした利益の全部とはいわないまでも、少なくとも一部分は、明らかに統治機構の掌握をかけた権力闘争の犠牲にされるのである。

 社会的利益がこのようにして切り捨てられること自体が、与党に対する野党の攻撃材料ともなる。

 野党が権力を掌握しようとすれば、権力の中核を占める統治機構を駆逐しなければならず、そのことは与党の業績を傷つけることになる。野党は、与党の統治機構としての無能力を暴露しようとするあまり、社会的に有意義な計画までも否定してしまうことになるからである。

 こうして、社会の利益や計画が、政党間の権力闘争の犠牲とされる。それゆえ、多くの政党が繰り広げる抗争は、政治活動を活発化させるにもかかわらず、社会にとっては政治的・社会的・経済的な破壊要因でしかない。

 抗争は、政党間の勝敗にともなう統治機構の交代をもたらすだけではなく、実は人民と民主主義とに甚大な打撃を与えるような結果をうむのである。



少し長い引用となりましたが、今日の昼間に放送されていた国会中継を観ていて、最近読んだ本のことを思い出しました。これは、リビアの独裁者ムアンマル・カダフィ(アル・カッザーフィ)が書いた『緑の書』という政治理論書の一節(藤田進訳、第三書館版、15〜16ページ)です。『歴史群像』誌の次号担当記事が「カダフィ伝」ということで、資料の一冊として目を通した文献でしたが、ここで指摘されている「そのまんま」の状況が国政の最高レベルで繰り広げられている事実を、どう理解すればいいんでしょう。

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カダフィ「大佐」自身がリビアで長らく行ってきた、非民主的で残忍な独裁政治を踏まえれば、冒頭のそれなりに的を射た分析内容も「お前が言うな」という話なのですが(笑)、それでも過去に数限りなく指摘されてきたであろう議会制民主主義の初歩的レベルの問題点が、いまだ克服されていないということを、昨今の政局がらみの報道に触れるたび、強く思い知らされます。

「みんなの党」の若手議員の一人である松田公太氏(タリーズ・ジャパンの社長だった人)は、首相公選制を提唱する議員の一人ですが、もし現首相が国家の指導者として不適任だと考えるなら、代わりに誰をそこに据えるべきか、という人選を行う必要があります。私は、3.11以前の平時ならともかく、大嵐の中で帆船を操らなくてはならないような現状では、もう永田町という小さい村の中だけでは適任者を探すことはできないような気がします。

「次期首相の適任者」は誰か、という話になった時、具体的な名前を挙げるのはけっこう難しいものです。特定の分野では有名な人であっても、私が知っているのはごく一部の断片的な情報でしかないからです。しかし今この時期に、国の舵取りをまかせて今よりマシになりそうな人を強いて一人選ぶなら、私は大前研一氏かなぁ。情勢を多面的に把握する能力、解決法を自力でひねり出す発想力、構想を現在の社会制度の中で具体的な成果に結びつける実行力、国の内外に広がる人脈と実務的な交渉力なども理由ですが、何より「話しぶりが明るい」というのが重要な魅力です。

深刻な難題に直面している時ほど、不屈の精神力の裏返しとしての「明るさとユーモア」が必要になります。ドイツ軍の名将の一人であるヴァルター・モーデルは、1941年にモスクワ前面で独軍の攻勢が行き詰まり、酷寒の中で防御に転じることを余儀なくされた第9軍の司令官に任命されましたが、押し寄せるソ連赤軍の大軍に半ば包囲されてパニック寸前となっていた軍司令部の空気を、持ち前のユーモアで一変させることの意義をよく理解していたようです。

「それで我が軍への増援部隊は?」圧倒的な彼我の戦力差に緊迫した表情の参謀からそう問われて、モーデルはこう切り返したそうです。「…私が来たよ」
この一言で参謀の間に笑いが漏れ、「組織を萎縮させる嫌な空気」が取り払われ、独第9軍の司令部は一体感を回復します。そして、危機的状況にあった「ルジェフ突出部」と呼ばれる地歩を、一年にわたって赤軍の猛攻から守り抜いた上、最後には整然と大兵力を撤収させることに成功しました。

最終的に、現下の「政局抗争」がどのような結末に落ち着くのかは不明ですが、事実上何の影響力も持ち得ない国民の一人として、船の舵取りをある程度納得して任せられる人に、私の国の次の首相をしていただきたいと強く願わずにはおれません。
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